祭り紹介

祭り紹介者

荒神社 名誉宮司 西舘 勲(にしだて いさお)さん

「荒神社は地元では荒神様と呼ばれています。氏子の皆さんは三陸一のお宮と崇敬してくださり、なにかあれば荒神様のところへ行こうとおっしゃいます。漁業者の方からの信仰は特に厚く、祭りの神輿渡御では中心になって活躍してくださいます。」

(インタビュー日:2019年11月15日)

歴史荒神社の創建は約800年前。源氏の武将で奥州を治めた閉伊頼基公をまつる

シシゾウ:荒神社について教えてください。

西舘さん:荒神社の主祭神は源武者所閉伊守頼基(みなもとむしゃどころへいのかみよりもと)です。一般には源氏武将の閉伊頼基として知られています。源頼朝から下賜された奥州の閉伊郡と気仙郡で善政を敷いた閉伊公は亡くなる前、「私は東海の守護神となって海上安全と大漁満足を与えてやろう」と言って、自分のなきがらを棺に納め、閉伊川(へいがわ)に流すように命じました。しかし、家臣たちは敬愛する主君を海に流すのは忍び難く、遺言に背いて華厳院(けごんいん)という菩提寺を建立し、そこに棺を納めました。しかし、その後7日7夜、雨が降り続き、閉伊川は氾濫しました。大洪水によって華厳院と霊廟は流され、閉伊公の遺骸は船越半島の小谷鳥(こやとり)湾に浮かぶ小島に漂着しました。その後、家臣たちの夢枕に閉伊公が現れ、遺骸は荒神浜(あらがみはま)で荼毘に付し、小高い丘に納めるように告げました。家臣たちによって閉伊公が葬られた場所が荒神社です。

シシゾウ:荒神社は東日本大震災の津波で甚大な被害を受けられましたね。

西舘さん:拝殿は無事でしたが、鳥居と神輿の担ぎ手が身を清める籠殿(こもりでん)が流されました。籠殿に収蔵していた古文書や道具類などもすべて失われました。本当に津波は怖いです。ありがたいことに、多くの皆さまのお力添えで鳥居と籠殿は再建することができました。

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みどころ砂浜や海中で豪快に練る暴れ神輿。荒神様を喜ばせて大漁満足を祈願

シシゾウ:神輿の海上渡御について教えてください。

西舘さん:荒神社には上社と下社の神輿2基があります。この2基の神輿は神社下の浜から曳船に乗せられ、船越湾を巡って海上安全や大漁満足を祈願します。途中、対岸の2ヵ所に上陸し、集落を練り歩きます。

シシゾウ:昔と今では神輿渡御の形式が違うそうですね。

西舘さん:現在、海上渡御をした神輿はその日のうちに神社に戻りますが、昔はお渡りをした先で一泊して翌日神社に戻ってきました。お泊り先は御三家と呼ばれる3軒の地元名士の家で、1年ごとに持ち回りしました。神輿渡御に関わる費用はその御三家がすべて負担し、神輿に随行する数百人の人たちを家に泊め、食事と風呂も用意しました。現在、還御も船を利用しますが、昭和初期に機械船が登場するまで、神輿は1泊した翌朝、陸路で山越えをして神社に戻ってきました。当時、道路は通っていなかったので、険しい山道を重い神輿を担いで登るのは並々ならぬ苦労だったと思います。昭和20年代、私が大学を卒業して神官になりたての頃、若者たちが昔の祭りを再現し、神輿を担いで山越えをしたことがありました。それは荒神様への思いの表れだったように思います。

シシゾウ:神輿を担ぐのはどのような方たちですか?

西舘さん:昔は漁業者の方々が神輿渡御を取り仕切っていましたが、現在は荒神様の神輿会という担ぎ手団体が中心になっています。私は元教員で、教員生活のほとんどを地元の山田中学校に奉職し、校長も務めたので、地域には手塩にかけて育てた教え子が多く、「集まれ」といったら皆、馳せ参じてくれるので担ぎ手に困ったことはありません(笑)。
荒神社の神輿は暴れ神輿です。担ぎ手の若者たちは陸で練るだけでなく、曳船に載せる前、海の中でも威勢よく神輿を練ります。余談になりますが、神輿も東日本大震災の津波の被害を免れることはできず、1基は傷み、1基は流されました。傷んだ神輿は修繕し、流された神輿は新調しました。神輿は海水につかると傷むので、担ぎ手の若者たちに、新しい神輿に海水がかからないように海中で練るときは胸元の深さまでとあらかじめ釘を刺すのですが、若者たちは「暴れたほうが神様はお喜びになる」と意に介さず、肩や首まで海につかって神輿を練ります。浜で見ている私はヒヤヒヤしています(笑)。

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注目ポイント大神楽、剣舞、虎舞が神輿にお供し、伝統の舞を舞い踊る

シシゾウ:神輿に供奉する三役といわれる郷土芸能について教えてください。

西舘さん:荒神社の神輿に付く三役は、荒神大神楽(あらがみだいかぐら)、山ノ内剣舞(やまのうちけんばい)、湾台虎舞(わんだいとらまい)です。三役は神輿の通る道をお清めしたり、安全に渡御できるようにお守りしたりするのが役目です。
荒神大神楽は、これがないと神輿渡御はできないといわれるほど重要な芸能で、神社の創建と同じくらい古い歴史を持っています。長年、船越地区の田の浜集落の人たちが奉仕をしてきましたが、戦後、漁業離れ等で担い手がいなくなったため、船越湾漁業協同組合の組合員が後継しています。大神楽は神輿を道案内する役で常に神輿の一番近くにいます。先踊りでは子どもたちも大活躍します。
山ノ内剣舞は閉伊公が家臣たちのために作ったと言い伝えられていて、岩手県内の各地に伝わる剣舞の中で最も歴史が古いといわれています。舞い手は剣や扇、棒を持って勇壮に舞います。数種類の舞いは一続きに演じられるので、最初からご覧になることをおすすめします。太鼓・笛の拍子が変わるのが次の舞いに移る合図です。
虎舞は岩手県沿岸地域に伝わる郷土芸能で、虎の頭をつけて舞います。湾台虎舞は昭和の初めごろ、他所で盛んな虎舞が地元にないのは寂しいということで私の父親が同世代の若者たちと始めました。当初、虎の頭が用意できず、荒神社の権現様の獅子頭を使ったため、祖父に叱られたそうです(笑)。虎舞のみどころはダイナミックな所作です。虎に扮する2人1組の後方の踊り手が頭を持つ踊り手を肩に乗せるところなど見ごたえがあります。

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ふるさと自慢近海は全国屈指の漁場。ホタテ、ウニ、カキなど海の幸を享受

シシゾウ:山田町の食の名産品を教えてください。

西舘さん:近海はホタテ、ウニ、カキ、ホヤなど海産物の宝庫です。新鮮なので刺身はもちろん、フライ、天ぷらなど調理しても大変美味です。

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メッセージ素直な気持ちで神様の前に額(ぬか)づいてください

西舘さん:創建から約800年間、荒神様を代々お守りしてきた家に生まれた私は、荒神様に育てられたと思っています。氏子の方々の荒神様に対する畏敬の念も昔から変わらず、神輿が集落を回ると皆さんが拝みに集まって来られるのでありがたいことだと感じています。敬神崇祖(けいしんすうそ)の気持ちが薄れているといわれる昨今ですが、どうぞ素直な気持ちで神様の前に額ずく時間をお持ちください。祭りがそのきっかけになれば幸いです。

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※祭り紹介者 荒神社 名誉宮司 西舘 勲(にしだて いさお)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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