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注目の祭り

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徳畑天神社春季例大祭

徳畑天神社春季例大祭

祭り写真館 今年の様子をご覧いただけます。

7/12公開!

3月14日、取材の事前打ち合わせのため中国自動車道を西へ走り、兵庫県の滝野社インターで降りて北上し、西脇市の比延(ひえ)小学校に到着。教頭で神主の山本義尚先生からこの祭りについてヒアリング。記憶に残るお言葉がありました。それは、“都会にでても故郷に帰ってくる子どもを育てることが私の教師としての夢です”ということ。
次はこの祭りのある多可町へ。ここは西日本有数のラベンダー畑の広がるところ。ラベンダーは初夏に咲き、芳しいその香りを楽しめるのはいっときです。そのため、オフシーズンにも香りを楽しんでもらおうと、多可町にはボタンを押せば多可町独自のラベンダーが香る清涼飲料の自販機(ベンダー)が10台ほど置かれています。これぞ全国無二の「ラベンダーベンダー」。
でも、ここが「敬老の日」提唱の地であることを知る人は少ないようです。それは戦後、野間谷村の村長だった門脇政夫が、家族制度の変革による老人軽視の風潮を憂いたことに始まるもの。年寄りを敬い、子供の心を育てる、きっとここはいいところ。
各区の区長さん、役場の後藤綾さんと打ち合わせをし、各区の神社に案内していただきました。彼らのひと言ひと言に自分の地域に対する深い愛情を感じます。“むかし神社はいまでいう公民館の性格ももっていたのでしょうね”という言葉も印象的。

それからほぼ1カ月後の4月21日の本祭前夜、町の商業施設前の広場に3地区の屋台が勢ぞろい。な、な、な、なんと!LEDの照明に飾られた、これは祈りのデコトラか!(失礼!)。夜の暗闇でも屋台がどこにいるか一目瞭然。祭り人の粋と気概がムンムン。想像だにしなかった屋台です。これは。
明けて4月22日、「徳畑天神社春季例大祭」本祭りの日、大阪駅からJR山陽本線新快速に乗ろうとすれば目の不自由な若者がホームに。手を携えて乗車。彼とゆるやかな会話を交わし、加古川駅で別れ、加古川線で西脇市に向かいます。このあたりは現役時代に車でしばしばゴルフに来たところ。72歳の人生初乗車の加古川線の車窓に新緑の播州路が新鮮。かつて舟運で栄えた加古川沿いの町を縫って北上。そこには車で高速道路を走ってばかりいたころの自分には感じなかったもの、みえなかった景色がいっぱいあったのです。

徳畑天神社での例大祭が始まる直前、大慌てで着替え中の山本神主に挨拶。神主曰く、“別の小学校に転勤になって校長になり、今日は参観日にぶつかりましたがなんとかやりくり。あちこちの神社(36社)も兼ねてるし、まあ田舎の神主はこんなもんですわ”と、ガハハと高笑い。神主は相当のエネルギーを必要としそう。
奥中・茂利・中村町をでた3基の屋台がそれぞれの子ども神輿に先導されて徳畑天神社に集まってきました。一団は木立に囲まれた天神社のまっすぐの参道を威勢よく練り入ります。錦糸輝く播州独自の屋台が初夏の光を浴びて眩く、太鼓の重低音がのどかな山里に響きます。
拝殿での例大祭が終わり、「箒」「塩水」「切麻」の使丁(して)といわれる露払いを先頭に、幣帛を手にした4ヶ村の役員さんたちが礼服で一列に並び、天神郷の中学生に担がれた神輿とともに「お旅」にでます。渡御です。3基の屋台は境内に待機し、幣帛一同は随身門から天神社を出たところで待機。神輿だけが奥宮に向かい、お旅所神事がおこなわれました。そして神輿は幣帛の一行と合流し、3基の屋台も加わって天神社を半周。入口の鳥居前での神事を終え、ふたたび参道を天神社に向かいます。還御です。

天神社の境内では祭りフィナーレの屋台3基の揃いさし上げが始まりました。太鼓の重低音が激しくなり、若者らは一斉に“さ~しませ”の掛け声で屋台を担ぎあげます。それにあわせて中では太鼓を打つ子らが“め~でたいな”、“て~んかたいへい”“ご~こくほうじょう”、“う~じこあんぜん”などと叫ぶのです。古来、これらの言葉は「言霊(ことだま)」といわれ、目出度い言葉を唱えることによって本当にそうなると信じられてきたもの。
幼児が父親に担がれて見物し、子らは太鼓を打ち、神輿を担ぎ、青年は屋台を担ぎ、古老は幣帛を手に神幸し、さらに長老は車椅子から手を合わせ、何だ、この光景!すべての世代が思い思いに故郷の祭りを感じているふうではありませんか。そう、この祭りのある徳畑天神社には平安の時代から天神郷4ヶ村を護ってきた氏神、それも天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高御産巣日神(たかむすびのかみ)・神産巣日神(かみむすびのかみ)という天地開闢(てんちかいびゃく)の造化三神と、学問の神である菅原道真公が祀られているのです。
多可町、これほど人々の想いが深く、伝統文化に満ちた里は全国的にも少ないでしょう。それはこの地域の人の優しさと、加古川の舟運がもたらした富と、温暖な気候によるものか。平成3年、天神郷4ヶ村のひとつである徳畑のおよそ37軒のうち5軒ばかりを残して灌漑用糀屋ダムの翠明湖に沈みました。でも残る奥中・茂利・中村町の3ヶ村がしっかりとこの祭りに徳畑の人々の想いを継いでいるのです。それはきっと無言のおこない。わたしはこの北播磨に祭りの深淵をみた思いがしました。
ダイドードリンコ日本の祭り専任推進役の高山明さんがダム湖のそばでつぶやきました。“この水の底に、かつては天神社を見あげるようにしていた暮らしがあったのですね”と。

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※この祭りはテレビでの放送はありません。映像はネットストリーミング「お祭りストリーム」でお楽しみ下さい。