福井県越前市五箇地区は、手漉き和紙生産で1500年以上の歴史を持つ越前和紙の産地です。5月に行われる「神と紙の郷の春まつり」は紙漉きの里ならではの歴史のある祭りです。祭りの総括を務める石川満夫(いしかわみちお)さんに「神と紙の郷の春まつり」の見どころをお聞きしました。
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シシゾウ:「神と紙の郷の春まつり」はどのような祭りですか?
石川:日本で唯一、紙の神様を祀る岡太(おかもと)神社と大瀧神社の祭礼です。山そのものが神として信仰されてきた権現山の山頂の上宮、いわゆる奥の院におられる神様を麓の里宮にお迎えし、和紙の里である五箇地区を巡幸し、再び上宮にお送りする神事で、千数百年の伝統があります。
福井県の無形民俗文化財に指定されているこの祭りの登録名は「大瀧神社・岡太(おかもと)神社の春まつり」ですが、地元の人間は通りが良いので、神様の神と紙漉きの紙をかけて「神と紙の郷の春まつり」と言っています。
シシゾウ:岡太神社と大瀧神社両方の祭りなのですか?
石川:初めて神社に訪れた方は、社名の額に大瀧神社・岡太神社と並べて書かれているのを見て不思議がられます。実は、この2つの社は一体のもので、上宮にはそれぞれの社殿が並び建っていますが、麓にある社殿は、両社共通の里宮になっています。岡太神社は、1500年前に紙漉きの技を里の人間に伝えた「川上御前(かわかみごぜん)」という女神を祀って創建されました。一方、大瀧神社は川上御前を守護神とし、国常立尊(くにとこたちのみこと)と伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神として十一面観世音菩薩を本地(ほんじ)※とする神仏習合の寺として創建され、人々には大瀧児権現(おおたきちごごんげん)の名で親しまれていました。大瀧児権現は、織田信長によって焼き討ちされましたが、貴重な紙を生産する紙漉きの里で崇敬を集めてきたことが配慮され、すぐに復興されました。その後、明治時代の神仏分離令によって大瀧児権現は神社になり、大瀧神社・岡太神社と改称しました。「神と紙の郷の春まつり」は神仏習合時代のなごりを忠実に伝えている稀少な祭礼だと言われています。
※本地(ほんじ):仏が救済する人々に合わせた姿でこの世に出現するという本地垂迹(ほんじすいじゃく)説により、神の本来の姿であるとされる仏。
シシゾウ:3日間でどのような行事を行うのですか?
石川:初日の5月3日は、山頂の上宮にいらっしゃる紙の神様、川上御前をお迎えに行き、麓の里宮までお連れします。日本古来の自然信仰では神様は常に山の峯にお住まいになっています。その神様を麓にある里宮にお迎えして祭りをするわけです。4日は例大祭で、お迎えした神様のために伝統芸能の奉納などを行います。5日は神輿の巡行を行った後、神様を元の上宮にお送りします。
シシゾウ:3日の「お下り」のとき、神様をどのようにしてお迎えするのですか?
石川:神輿で麓の里宮から山頂の上宮まで神様をお迎えにいきます。これを神様の「お下(お)り」と呼んでいます。この神輿を担ぐのが駕輿丁番(かよちょうばん)という役目の人たちで、祭り全体も取り仕切ります。駕輿丁番たちは、「ヨイッサ、ホイッサ」と掛け声をかけながら25分ほどかけて山道を駆け上ります。
「お下り」の行事は、一般の観客も見物できます。昔は、女人禁制だったそうですが、今は上宮まで上がれます。ご覧になりたい方は神輿に付いて一緒に山に上っていただけます。
シシゾウ:4日の例大祭ではどのような行事が行われますか?
石川:浦安の舞や、紙漉きの里ならではの紙能舞と紙神楽が奉納され、続いて湯立ての神事と湯囃子が行われます。紙能舞は、紙祖神の川上御前に扮した女性が里の人に授けた紙漉きの所作を無言で舞います。紙神楽は、一時期途絶えていたのを復活させたもので、里人が紙漉き唄に合わせて紙漉きのいろんな所作を演じる無言劇です。浦安の舞は小学6年生の女子、紙能舞は中学1年生の女子、紙神楽と湯囃子は小学校高学年の男子が演じます。一生懸命練習した子供たちが真剣に演じる姿は、とてもかわいらしいですよ。また、三十三年ごとの御開帳にあたる年には、僧侶たちによる「法華八講(ほっけはっこう)」※が神仏習合の式定で厳そかに修められます。
※法華八講(ほっけはっこう):法華経8巻を講じる法会
シシゾウ:神輿巡幸の見どころはどういうところですか?
石川:神輿を率いる駕輿丁番たちと各集落の若者たちの間で繰り広げられるお神輿の争奪戦です。神輿が集落の神社に到着して、お祝いが済むと、駕輿丁番は次の集落に行かないといけないので先を急ごうとします。一方、集落の若者たちは、神様にもっといていただきたいので、お神輿が境内の外に出ようとすると、それを押し留めます。「早く寄こせ」「まだまだ」と、駕輿丁番たちと集落の若者たちがすさまじい勢いで争うので、お神輿は境内を行ったり来たりグルグル回ることになります。若者たちは集落の心意気を示すことになるので張り切るし、地元の見物の人たちも頑張れと声援を送るし、なかなかの迫力です。神輿の奪い合いが一番盛り上がるのは最後に回る岩本神社です。見物客も大勢集まって、駕輿丁番と集落の若者たちは、お互いヘトヘトになるまで競り合います。
石川:そうこうして巡幸を終えてお神輿が大瀧神社・岡太神社の里宮の境内に戻ってきます。その頃には日も暮れかかっています。浦安の舞や雅楽の奉納などの式典が済むとすぐに「お上がり」と言って神様が山頂の上宮にお戻りになる時間です。駕輿丁番たちはお神輿を担ぎ、山道を上って上宮を目指します。このとき、神輿が山道にさしかかったとき、集落の若者たちがお帰りになるのは名残惜しいと神輿を引き止めます。そこで先を急ぐ駕輿丁番たちと神様を帰らせまいとする若者たちとの最後の競り合いがあります。これは、それまでの競り合いの中で一番激しく、見ものです。駕輿丁番たちが若者たちをどうにか押しのけて神輿は山道を駆け上っていきます。このときも「お下り」のときのように一般の人も同行できます。参加する人たちは全員、提灯を渡されます。参加者たちが持つ提灯の光に照らされ、お神輿が闇の中に浮かび上がる様子は神送りにふさわしい絵に描いたような幻想的な光景です。里宮の境内からも、山道を提灯の光が見え隠れしながら上っていくのが見えて、それは良い眺めですが、お神輿と一緒に上っていただくと、本当の祭りの気分を味わうことができます。
シシゾウ:「お上がり」で行事はすべて終わりですか?
石川:神様を上宮にお送りして下山するとき、駕輿丁番と氏子たちは「チョーコ、チョーコ、またチョーコ、紙の神様川上御前。今も栄える神の里…」という歌詞の越前松坂唄を歌いながら下ります。山道を駆け上がるときに「ヨイッサ、ホイッサ」と勇ましかったのと対照的です。松坂唄のゆるやかで哀調を帯びた節回しには、祭りがつつがなく終わったという安心感と同時に、次の祭りまでしばらく神様とお別れするんだという寂しさが込められていて、よそから来た人もこの歌を聞くと、しみじみとした祭りの情趣を感じるようです。里宮に着くと、社殿の前で手締めをして祭りは終わります。
シシゾウ:このサイトを見ている人に「神と紙の郷の春まつり」をアピールしてください。
石川:山頂の上宮から神様を里宮へお迎えして祭りが始まって、里宮で本祭を行い、各集落を回って、また上宮へ神様をお送りするという形式はまさに日本古来の祭りの原型で、それがそのまま残っているという点で非常に貴重な祭りだと思います。
お出でになったら、まず、大瀧神社・岡太神社に注目していただきたいです。里宮の本殿・拝殿は天保14年(1834)に江戸後期の社殿建築の粋を集めて再建されたもので、山の峯を集めたような屋根の造りは、複雑さの中に流れがあると同時に重厚さの中に躍動感があり、国の重要文化財に指定されています。上宮がある奥の院一体は、紙漉きの里の水の源泉で、ブナの大木が群生し、社叢は県の天然記念物に指定されています。
祭りの舞台になる五箇地区は越前和紙の紙匠の里で「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれています。町のシンボルロードの「和紙の里通り」には、「和紙の里会館」や「パピルス館」、江戸時代の紙漉き屋敷を移築した「卯立の工芸館」など和紙に関係した施設があります。祭り期間中はいろんなイベントも開催していますので、祭りと一緒に紙漉きの里の雰囲気を味わっていただきたいです。



