秋田県仙北市角館町で毎年9月7、8、9日に行われる「角館のお祭り」は、今からおよそ350年前に神明社と薬師堂の祭りが一緒になって始まりました。
平成13年には、「角館祭りのやま行事」として、国指定重要無形民俗文化財に登録されました。角館のお祭り実行委員会事務局長・佐藤強(さとうつよし)さんに、「角館のお祭り」の見どころをお聞きしました。
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シシゾウ:「角館のお祭り」とはどのような祭りですか?
佐藤:9月7日から9日まで行われる祭りで、角館の旧市街地と周辺の新しい住宅街の18丁内(ちょうない)が、車輪のついた18台の曳山(ひきやま)を出して、神明社、薬師堂への奉納、そして幕藩時代に領主だった佐竹北家への上覧を行う祭りです。上覧とは、曳山を見ていただくことで、この3つが祭りの主な目的です。曳山の高さはおよそ4mで、歌舞伎の名場面や、有名な合戦に登場する歴史上の人物などの飾り人形を乗せています。また、笛、大太鼓、小太鼓、鼓、すり鉦、三味線等の囃子方も曳山に乗り、「お山囃子(おやまばやし)」を演奏します。そして飾り人形前の小さなステージでは、お囃子にあわせて秋田おばこたちが手踊りを披露します。この曳山ですが、総重量はなんと約8トンもあるんですよ。
神社への奉納と佐竹北家への上覧では、曳山が参上してお囃子と踊りを披露するのですが、18台の曳山が同時に行うことはできません。1台ずつ奉納、上覧しなければならないのです。また奉納順も決まっておらず、到着順に行うことになっています。さらに、神社や佐竹北家へ向かう道中で曳山同士がばったり鉢合わせをした場合、簡単にすれ違うことは許されていません。そのため、時には通行の優先権をめぐって曳山同士がぶつかりあう「やまぶっつけ」をすることもあります。知力、体力を駆使した、さながら戦国時代のような戦い「やまぶっつけ」を繰り広げる祭りが「角館のお祭り」です。
シシゾウ:昔から「山」に車輪をつけて曳いていたのですか?
佐藤:いいえ。江戸時代の頃は担いでいたようです。その頃は高さが20mもあり、100人くらいで担ぐ岩山のような大きなものだったという記録が残っています。しかし、明治時代の終わりから大正時代の初めにかけて街に電線が張られるようになったため、大きなものを作ることも担ぐことも難しくなり、次第に小型化して現在のような車輪をつけた曳山になったのです。実行委員会では、祭りの歴史を伝えるために、高さおよそ20mある山を「置山」として、神明社、薬師堂、駅広場などの町内5ヶ所に展示しています。ぜひこちらもご覧いただきたいです。
シシゾウ:9月7日から9日までの、祭りのスケジュールを教えてください。
佐藤:9月7日は神明社の宵祭りです。曳山は神明社に向かいますが、道路交通規制の関係上、曳山が運行できるのは午後4時から夜の12時までです。このように時間が短いため、7日に神明社に参拝できなかった場合は、本祭りの8日に参拝してもよいとされています。8日は佐竹北家の上覧、そして薬師堂の宵祭りです。曳山はそれぞれ参拝に向かいますが、8日も曳山を運行できるのは、朝10時から夜の12時までと決められています。そして9日は、薬師堂の本祭りの日です。8日までに参拝できていない場合は、9日には必ず参拝しなければなりません。9日に運行できるのは、朝10時から深夜の2時までです。重い曳山で3ヶ所を参拝するのは大変なのですが、これが祭りの大切な目的です。
シシゾウ:神明社や薬師堂に近い丁内は早く到着できますが、遠い丁内は大変そうですね。
佐藤:そうですね。実は、曳山が他の丁内に入る際は、各丁内に設けられている「張番(はりばん)」と呼ばれる場所に行かなければなりません。張番とは、いわば関所のようなところであり、丁内の祭典行事を司る場所です。丁内に入ろうとする曳山への対応は、張番の年番長がその権限と責任を持っています。曳山の交渉員は「どうかこちらの丁内に入れてください」と張番へお願いをしますが、許可されるかどうかは年番長の裁量次第なのです。例えば一つの丁内に曳山を10台入れる時もあれば、3、4台が既に入っているという理由で丁内へ入れてもらえない時もあります。そういう時こそ交渉員の腕の見せどころで、年番長さんに前方の丁内曳山を確認してお願いし、いち早く丁内に入れていただけるよう努力します。
神明社や薬師堂から遠い丁内の曳山は、多いところで7つから8つの丁内を超えなければいけないので、午前中に自分たちの丁内を出発します。逆に神明社などに近い丁内ではゆっくり準備ができます。
シシゾウ:遠い丁内は、体力的にも大変ですね。
佐藤:はい。ですが遠い丁内は新興住宅街で、若者がたくさんいますので、曳山も元気がいいですよ。
シシゾウ:何とか丁内に入っても、曳山同士が出くわした場合はどうするのですか?
佐藤:参拝に行く途中の曳山を「上り山(のぼりやま)」、参拝の帰りの曳山を「下り山(くだりやま)」と呼びます。上り山と下り山が出会った時は、下り山は道を譲るというルールがあります。また、参拝への道では上り山同士が出くわすこともありません。問題は、参拝を終えた下り山同士が出くわした時です。まずはそれぞれの曳山の交渉員が出て、どちらが道を譲るかの交渉をします。
シシゾウ:どのような交渉が行われるのですか?
佐藤:交渉の内容は状況に応じて様々です。例えば相手に対して「どうか一肩(ひとかた)入れてください」と言います。“肩を入れる”は曳山を左右に振ることで、寄せてもらうのと同じ意味ですが、決して「曳山を寄せろ」とは言いません。伝わるニュアンスが違うのです。また、「あなた方の曳き廻しの技は素晴らしいと聞いています。どうか私たちの若者たちに見せてください」と相手をほめちぎる場合もあります。“曳き廻す”も相手に寄せてもらうのと同じ意味です。時にはほめ殺しをしながら状況を切り開く、そこが交渉員の腕の見せどころなのです。
シシゾウ:交渉が決裂する場合はありますか?
佐藤:あります。交渉が決裂すると、実力行使で曳山同士をぶつけあう「やまぶっつけ」を行います。曳山の前に誰もいないことを確認し、曳山の左右と後ろにあるロープを持って、互いに正面からぶつけます。時には曳山同士がせり上がるようになることもあります。これは相手の曳山を乗り越えてでも前に進む、という気持ちの現れです。その状態のまま、再び交渉員同士が時間をかけて交渉します。この「やまぶっつけ」が集中するのは、曳山がもう壊れてもいい祭り最終日の9月9日、祭りのクライマックスですね。しかし、本来理想とする曳廻しは山ぶっつけをせず、あくまでも交渉によって道の中央を堂々と進んで自丁内に帰ることなんですよ(笑)。
シシゾウ:「やまぶっつけ」の間、囃子方や踊り手は
避難するのですか?
佐藤:いいえ。踊り手の秋田おばこたちは曳山の上で衝撃に耐えますし、囃子方は決してお囃子をやめません。お囃子がストップする、または曳山の提灯が消えると、曳山は「死に体」になってしまうのです。私たちの言う「死に体」とは単なる「物」です。死に体となった曳山の横を、別の曳山が勝手に通っても文句を言えないのです。ですから、囃子方は「やまぶっつけ」の時もお囃子を止めません。たとえ交渉が長引いても、交代しながら演奏を続けます。囃子方は状況に応じて様々な曲を演奏しますが、どれも素晴らしい曲ですので、じっくり聞いていただきたいと思います。
シシゾウ:「やまぶっつけ」では、人数が少ない丁内の曳山がやはり不利なのですか?
佐藤:そうとも限りません。人数が少ない丁内の曳山が、人数の多い丁内の曳山と「やまぶっつけ」をする際は、狭い道へ相手を迎え入れることが多いです。桶狭間の合戦と同じ作戦で、狭い所だと曳山を曳く人数が制限されますから、人数が勝負の決め手にならないのです。ただし、この場合は短時間で勝負をつけないといけません。長時間に及ぶと人数が多い丁内は曳き手を入れ替えますので、最後には力負けしてしまいます。こういった各丁内の作戦も見どころですね。
シシゾウ:「やまぶっつけ」は交渉の決裂で起こるということですから、いつ、どこで始まるか分からないということですか?
佐藤:そうです。また「やまぶっつけ」が始まると、ぶつかって、そして交渉、と時間がかかります。観光客の方にはどういう状況なのか分かりにくいかもしれません。ですから観光客の皆さんには、9月8日に行う観光用「やまぶつっけ」をお勧めしています。町の随所で時間と場所を決めて対戦するので、「やまぶっつけ」の迫力を確実に見ていただけます。



