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山名神社天王祭舞楽

山名神社天王祭舞楽

祭り紹介

歴史廃絶した京都の祇園祭の芸能を伝える

シシゾウ:山名神社天王祭舞楽の起源を教えてください。

北島さん:京都において行われた京都祇園祭の共同研究会の調査の結果、応仁の乱以前から行われていた芸能の特徴を示す鞨鼓(かっこ)稚児舞と獅子舞、さらには蟷螂・龍などの風流舞の姿と当地森町の舞楽的要素に古い祇園祭の形態が残されていると、考えられます。その中でも京都の祇園祭との深いつながりが分かりやすい演目のひとつが「蟷螂(とうろう)の舞」です。これは祇園祭の山鉾のひとつで、蟷螂(=カマキリ)のからくり人形で知られる蟷螂山に付属の芸能だったと考えられます。室町時代の文献(『祇園執行記』には、カマキリのかぶりものをつけた子どもたちが蟷螂の姿に扮し、群行したという記述が見られます。

シシゾウ:京都の祇園祭の芸能がどのようにして森町に伝わったのですか?

北島さん:森町と袋井市の境界に遠江国を代表する真言宗の西楽寺(さいらくじ)という古刹があります。約500年前、この寺の門前に開かれていた市場に出入りしていたのが京都祇園祭の蟷螂山を創始した薬商の外郎(ういろう)家で、外郎家を通じて祇園祭の舞が西楽寺に伝えられたとみられ、後に森町飯田の山名神社に引き継がれたと考えられます。ういろうの製造元として知られる外郎家は、京都四条で室町幕府や公家に重用された後、永正年間(1504〜1521)ごろ、北条早雲の誘いで小田原へ移り住みました。元禄14年(1701)に著された舞の指南書には、大阪四天王寺から伝わったという記述がありますが、これは戦国期において一時中絶していた舞が再興されたことを指していると考えられます。
祇園祭は、政治犯などが怨霊化するのを怖れ、その霊を慰める御霊会(ごりょうえ)に基づくもので、後に夏越しの祇園祭に引き継がれていきます。余談になりますが、平安時代の貴族で平安三筆の1人に数えられる名書家だった橘逸勢(たちばなのはやなり)は政治犯として東国に流罪になり、当地、遠江国板築駅(いたつきえき)で没しました。この板築駅は西楽寺近くに置かれた周智郡の郡衙(ぐんが=郡の役所)の驛家(えき)だったという説があります。不遇の死を遂げた橘逸勢を供養する御霊会がその後、祇園会に継承され、都の舞が遠州にもたらされたことは想像に難くありません。

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みどころ祓いの舞から曲芸的な舞までバラエティ豊か

シシゾウ:山名神社天王祭舞楽の特徴を教えてください。

北島さん:舞楽は2日間、夕方の午後4時から夜の午後9時30分ごろにかけて舞屋(まいや)と呼ばれる境内に常設の舞台で奉納されます。内容は、祓いの舞である「八初児(やつはち)」と「獅子」の曲をベースに、この2曲のバリエーションから成る八段の舞で構成されています。舞装束などに赤が多く用いられるのは魔除けの意味合いで、舞人がつける鼻掛けと称するマスクも祇園祭の疫病退散を意味しています。舞人は稚児で、小中高生が務めます。

シシゾウ:主な演目を教えてください。

北島さん:たたりによって発生する病を鎮め、とりわけ疫病を退散させることが祭りの目的である御霊会や祇園会で最も重要なのは祓いの舞で、「八初児(やつはち)の舞」と「二人獅子の舞」がその主たるものです。「八初児の舞」は京都では「八撥(やつばち)(=ばちで腹の上の太鼓を数多く叩くという意味)の舞」と呼ばれ、山名神社では舞児2人が胴に太鼓をつけ、両手に持った太鼓のばちを打ちながら舞います。「獅子の舞」は、一人立ちの獅子2頭が舞うもので、二人獅子舞と呼ばれます。「優填獅子(うでんじし)」は獅子と山名神社の御祭神の素戔嗚尊(すさのおのみこと)が登場します。素戔嗚尊は、疫病退散の神で祇園祭の主神、「優填獅子」では獅子を退治する役どころです。この素戔嗚尊役は八段の舞の中で唯一、大人が務めます。
「蟷螂の舞」は外郎家が足跡を残した関東の一部や伊豆韮山付近にその伝承が知られていますが、全国に類を見ない珍しい舞です。頭にカマキリのかぶりもの、背中に羽をつけた稚児1人が四半畳のうすべりの上でカマキリの仕草のままに舞います。千葉県太田市の八坂神社祇園祭で演じられる舞にも蟷螂などのかぶりものを付けて舞うものがありますが、道具や装束、所作は簡略化されています。
「鶴の舞」は、蟷螂と同じように阿吽(あうん)の鶴のかぶりものをつけて舞う、曲・舞ともに美しい舞です。鶴舞は島根県津和野町のものが有名ですが、山名神社の鶴の舞は、より所作が優美かつ複雑で、笛も加わった長曲に仕立てられています。これも余談ですが、古来、鶴や鷺など水鳥は鶴という名称で総称されていました。
「龍(りょう)の舞」は、曲芸的な「つく舞」に分類される舞です。舞台の3本の円柱に舞児がよじ登り、手を離して逆さになり、上半身をもたげるところは「龍が泳ぐ」と表現されます。昔の指南書を見ると、「獅子の舞」にも本来は舞台の欄干につかまって舞台からせりだす曲芸的要素が盛り込まれていたようですが、今はのこされていません。全体を通して観客を喜ばせるように風流化されているところが山名神社の舞の最大の特徴といえるでしょう。

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注目ポイント舞楽と屋台の華麗な競演で祭りは最高潮に

シシゾウ:屋台の巡行もあるそうですね。

北島さん:森町の屋台は二輪で、山名神社天王祭には8台が曳き廻されます。氏子各町が曳き廻す屋台の最大の見せ場は夜の宮入です。舞の奉納が佳境に入るころ、松の小枝に提灯の灯が入り、順次、境内に入ってきた屋台は舞屋を上下左右に練りながらグルグル廻ります。屋台は、曳く若い衆の威勢の良い掛け声と笛と太鼓の賑やかな屋台囃子で、舞台の舞の音はかき消されてしまいます。初めてご覧の方は驚かれるようですが、舞人は屋台囃子にさらに鼓舞され、力が入り、見物の氏子たちも盛り上がります。舞と屋台の競演は、京都の文化に続いて江戸のお囃子が時を経て、当地に溶け込んだ好例だと思います。

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ふるさと自慢行列のできるとうもうろこし、「甘々娘(かんかんむすめ)」と「森の甘太郎(かんたろう)」

シシゾウ:森町の食の名産品を教えてください。

北島さん:春から初夏にかけてはお茶ととうもろこしです。とうもろこしの品種は「甘々娘(かんかんむすめ)」と「森の甘太郎(もりのかんたろう)」で、とても甘くておいしいものです。5月末から6月半ばにかけての収穫シーズンには、買い求める人で朝暗いうちから行列ができるほどです。秋の味覚は甘柿の王様ともいわれる次郎柿(治郎柿)です。森町は治郎柿の原産地で静岡県指定天然記念物の次郎柿原木があります。明治天皇陛下以来、現在まで105回も献上させていただいており、名実共に森町を代表する名産品です。

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メッセージ全国の祇園祭の芸能の中でも最も良い形で中世の京都祇園祭の芸能が伝承されています

北島さん:京都の祇園祭の芸能は全国に伝播していますが、その中でも最も古い芸態と音楽文化を伝えるものが山名神社天王祭の舞だと思います。演目のひとつひとつは非常にみどころがあり、おもしろく、美しく、品もあります。ご覧いただければ、いかにすごい芸能であるかを感じていただけるはずです。開催時期が京都の祇園祭に重なりますが、一度見に来ていただきたいと思います。

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※祭り紹介者 森町教育委員会 技監 北島 惠介(きたじま けいすけ)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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