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越中八尾に暮らす人々が大切に育んできた民謡行事。毎年9月、旧暦二百十日の風封じと豊穣を願って三日三晩、踊り続けます。小さな坂の町・八尾に、哀愁を帯びた地方衆の胡弓や三味線の音が響き、編笠を深くかぶった男女が、古い町並みに灯るぼんぼりの明かりの中、静かに情緒高く踊り歩きます。


シシゾウ:おわら風の盆はいつごろ始まった祭りですか?
五十嵐:昔の書物によると、おわら風の盆は今から300年ほど前の江戸時代に始まったということです。江戸時代初期の寛永13(1636)年、米屋少兵衛(こめやしょうべえ)という人物が加賀藩から町建(まちだて)の御墨付(おすみつき)を拝領して八尾町を開町しました。それから時代は下り元禄15(1702)年、八尾町の役人は、米屋少兵衛の子孫に町建御墨付の書類を返すように求めました。しかし、少兵衛の子孫は渡そうとしなかったので、役人は一計を案じ、桜の季節に八尾の町衆にお花見の宴を催させ、どんちゃん騒ぎのどさくさにまぎれて米屋の蔵から書類を持ち出させました。無事に書類が戻ったということで、役人はお祝いに3日間昼夜を問わず、にぎやかに歌い踊って町を練り歩いてよろしいというお触れを出しました。それが、おわら風の盆の始まりだということです。最初の頃はお花見の時期にやっていたのが盂蘭盆(うらぼん)の時期になり、その後、台風の多い時期に風災害の無事を祈るという意味から二百十日(にひゃくとおか)にあたる9月1~3日の3日間に行われるようになりました。
シシゾウ:おわら風の盆の“おわら”には、どのような意味があるのですか?

五十嵐:おわらの語源については、はっきりしたことは分かっていません。当初、おもしろおかしく歌い踊ったことから「大笑い節」と言われていたのが、いつしか言葉が縮まっておわらになったという説や、五穀豊穣にちなんで、米がたくさん収獲できれば稲穂の藁(わら)がたくさんできるという意味を込めた「大藁(おおわら)」に由来するという説などがあります。


五十嵐:おわらは、踊りと地方(じかた)と呼ばれる唄、囃子(はやし)、鳴り物によって演じられます。これらすべてが揃った時、おわらの美は最高に輝きます。
おわらは江戸時代に誕生しましたが、現在の形が完成したのは昭和に入ってからのことです。昭和4年、川崎順二という八尾出身の医師がおわらを保存育成しようと考え、現在の富山県民謡越中八尾おわら保存会の前身となる越中八尾民謡おわら保存会を設立しました。それがきっかけとなって、元々土着的な芸能だったのが、踊りや唄、鳴り物の名人たちによってどんどん洗練されていき、現在のように独特の情緒をたたえるものになりました。
踊りは「豊年踊り」と女性が踊る「四季の踊り」、男性が踊る「かかし踊り」の3種類があり、豊年踊りとかかし踊りは農作業、女踊りは四季の風景を描写した振付になっています。
唄は江戸時代に西国と北国を結んだ交易船の北前船(きたまえぶね)によって伝えられた、九州のハイヤ節が原型になっていると言われています。七・七・七・五調の歌詞は古くから伝わるもののほか、昭和になってから野口雨情(のぐちうじょう)をはじめとする、名だたる文人たちが書いたものや保存会が全国から募集したものなどがあります。
鳴り物は三味線、胡弓、太鼓の3種です。他の民謡ではほとんど使われない胡弓がおわらに加わったのは明治時代の終わり頃で、哀愁を帯びた音色はおわらの特色のひとつになっています。
シシゾウ:民謡の中で、おわらの唄は難易度が高いと言われているようですが、どういう点が難しいのですか?

五十嵐:自分が唄い手をしているからというわけではありませんが、「おわらは唄が命」「唄がしっかりしないといけない」と先輩方からずっと聞かされてきました。
おわらの唄はほかの民謡に比べて音程が高く、歌詞の上句と下句はそれぞれ一息に歌います。唄を始めてまもない頃は、高音が思うように出ないし、息も続きません。また、単に高音が出て息が続けばいいというものではなくテクニックも必要なので、一人前に唄えるようになるまでには努力と研鑽(けんさん)が必要です。
七・七・七・五の26文字の歌詞が「正調おわら」と言って基本形になりますが、唄い出しに5文字をのせる「五文字冠(ごもんじかむり)」、26文字の歌詞にどんどん歌詞をつなげていく「字余り」というバリエーションもあります。どの唄を唄うかは唄い手の気分次第です。三味線や胡弓などの弾き手も同様ですが、唄い手の個性は十人十色。同じ歌詞でも10人の唄い手がいれば10通りの唄い方があります。見物されるときには好みの唄い手や弾き手を見つけるのも楽しいのではないかと思います。


五十嵐:おわらには踊りが3種類あると申し上げましたが、一番歴史の古い豊年踊りには、唄と唄の切れ目など唄が入らないときに踊る「素踊り」と、唄がいい間合いで入ったときに通常の振付に所作を加えた踊りがあります。所作が入る場合は、踊り手は歌詞の上句のところで春の田んぼを飛び交うツバメの様子を表した「宙返り」の所作、下句のところで秋の「稲刈り」の所作を行います。素踊りは初心者でもある程度練習すれば踊れるようになりますが、所作入りの踊りは、唄をしっかり理解していないと踊れません。例えると、素踊りは具の入らない素うどんのようなものです。踊り手、唄い手、弾き手の息が合って所作の入ったときの演舞にぜひ注目してください。
地方だけで演奏するときに見せる阿吽の呼吸も見ごたえがあると思います。唄い手の誰かが唄い始めるのを合図に三味線や胡弓、太鼓が伴奏をつけ、唄い手が音を伸ばしたりテンポの緩急をつけたりしても、音を巧みにからませていきます。「こういうふうに唄うぞ」というようなことは一切口にしなくても息が合うのは、長年の経験と日々の研鑽のたまものと言えます。
シシゾウ:おわらを見るのにおすすめの場所はありますか?

五十嵐:観光客向けに市立八尾小学校グラウンドに設けられた演舞場では、おわらに参加する八尾の11の町が順番に演舞を披露します。会場が広い演舞場はマイクを使うので、昔ながらの機械を通さない生唄、生演奏のおわらに触れたいという方は、11の町がそれぞれの町内に設けている踊り場に行かれると良いと思います。踊り場では踊り手が輪になって踊る輪踊りや、通りを進みながら唄い踊る町流しが披露されます。 踊りは近くに行かなければご覧いただけませんが、演奏だけをじっくり楽しみたいという方には、踊り場から50mくらい離れてみることをおすすめします。残暑厳しい9月の夜、昼の熱気が残る夜風にのってじわじわ響いてくる生唄と鳴り物に耳を傾けるのは風情がありますよ。

シシゾウ:八尾町で五十嵐さんのおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

五十嵐:八尾は八尾和紙の産地として有名です。井田川(いだがわ)の川べりに建つ『桂樹舎(けいじゅしゃ) 和紙文庫』は紙の博物館で、世界各国の紙や手漉き和紙などが展示されるほか、昔ながらの紙漉き作業の見学や紙漉き体験をすることができます。
食べ物では「玉天(たまてん)」がおすすめです。卵を使ったお菓子で、外側は卵焼きのようにきつね色に焼き上げられ、中は泡立てた卵白を寒天で固めた淡雪羹(あわゆきかん)になっています。独特のふんわりとした食感と香ばしさはほかにはない味で、富山銘菓のひとつに数えられています。
時間があれば、城ケ山(じょうがやま)公園に足を伸ばしてみるのもいいかと思います。昔、城が建っていた山を整備した公園で、山頂の展望台からは八尾の街並みや立山連峰などを一望することができます。


五十嵐:八尾の人間にとっておわら風の盆は、1年に1度巡ってくる大切な行事です。日頃から踊りや唄、楽器を練習してきた成果を披露する場でもあり、大勢の人たちがこの3日間を心待ちにして1年を過ごしています。ですので、おわらを見に来られたら、観覧のマナーを守っていただきますようお願い申し上げます。おわら風の盆は本来静かな祭りです。静かに見守っていただければ、演じる私たちも興にのりますし、皆さんにより良いおわらをご覧いただくことができるのではないかと思います。