この祭りは奇祭の中の奇祭と言われるだけあって、めったに出会えないものだというのが私の感想です。
けんか祭りで2基の神輿がぶつかり合うとか、ダンジリがぶつかり合うというのは多くないがありますし、何回も経験しています。しかしこの祭りはちがうのです。2基の神輿があるのにこの2基は別々に行動するのです。この2基の神輿の間にキリコ(奉燈)が40台あるのです。
神輿を担ぐ若者は男衆で、選ばれた20名。そのまわりに予備の人とか指揮をとる人が10数人います。重さは推定500kgですからひとりひとりにかかる重さはかなりのものがあります。それを午後21時頃から翌朝の2時、3時まで宇出津(うしつ)町内を練り歩くのですから大変だと思います。又、キリコは1台最低でも40人は担ぐのに必要といいますから2000人近くの若者(キリコは女性でも担ぎますので外から見ますと華やかです)が7月の第1金、土に集まるのです。
普段はひっそりとした町も、この祭りの時はにぎやかとなり、町の人たちにとって1年中で最も楽しい夜となるそうです。町の路地はほとんどの家が、道に面していて、玄関と居間が道路から出入り出来る構造になっていますので、祭りの当日は戸を開けはなして道ゆく人々を招き入れ、ふるまい酒をします。これはどこの祭りでも同じような形をとっていますが、ここ宇出津は特にすごいです。
道ゆく人を引っぱり込む感じです。寄らない人には缶ビールを配っている家もありました。しかし2基の神輿の扱いがすごいものがあります。ともかく荒っぽいのです。海につける、川に落として橋ゲタにぶつける、道路にたたきつけてくるくると廻す、火をかいぐらせる、ありとあらゆる乱暴とも思えることをします。一瞬、神輿に入っていらっしゃる神様が怒るというか目をまわすのではないかと思いますが、祭人曰く、こういう風にすると神様はお喜びになられるのだそうです。しかもこういうことを350年近くやっていると言うのですからびっくりします。ですから最後に神社に収められるときには担ぎ棒以外はほとんど破壊されてしまいます。
由来は寛文年間(1661-1672)に能登町宇出津に疫病がはやり、死者がでたとき京都の八坂神社から御祭神の牛頭天王(ごずてんのう)をお迎えしたところ、たちまち疫病がなくなったのを記念してこの祭りが始まったというのです。そしてこの牛頭天王が荒々しいことを好んだので、荒業となったというのです。それにしてもすごいです。町の角々で神輿を道にたたきつけ逆にして人々が乗り、廻しこれでもかと言わんばかりにいためつけます。このような祭りは初めてです。感謝の仕方にもいろいろあるのだと思いました。











先生
大変、乱暴ト思われるお祭りです。
怪我人はでないのでしょうか?
アケトの月。
どのようなお祭りをなさるのか楽しみにしております。
人間てお祭りを実行するとこらが偉大だとおもいます。
お祭り、お待ちしているのですよ。