※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。
2017年07月19日
私たちが参加する祭りはほとんど晴れるか、悪くても曇りです。それが私たちの誇りであり喜びでしたが、今回は珍しく祭りの開始前から大粒の雨が降り始めました。「神事が始まる頃にはやむさ」という声が聞こえ、本当に小降りになりはじめ、一時やんだような感じがしてきました。しかし、神輿の宮出しの頃には本格的な雨天になってきました。そのときの保存会長のごあいさつでは、「この雨は滋雨(じう、めぐみの雨)だ」という言葉が出ました。すなわち、雨降って地固まるの如き、今回の祭りがうまくいく知らせだということです。そして雨が降って地面が滑りやすくなっているにもかかわらず、ケガ人が出なかったのです。まさしく滋雨だったのです。宮出しから町のど真ん中の広場での三体まわしは、それはそれは盛り上がりました。はじめのタイムトライアルも三体の神輿(ここでは巴(ともえ)とよんでいます)が全力で中心の木の軸をまわり、その真剣さに感激しました。ともかく、30人近い担ぎ手の「よいやさーの、よいやさ」の叫び声に近いかけ声に、三体の神輿が運ばれて、くるくるまわる姿は、今、私がどこにいるかを忘れさせるものでした。
2017年07月05日
正式には「北海道神宮例祭」といいます。札幌の町の中には「例大祭」のたれ幕が電柱などにたれさがっています。北海道は明治維新によって新しく拓かれた所なので、アイヌの祭り以外は皆新しいのですが、その中でもこの祭りは維新の折に創られたこの神宮の祭りです。札幌を創った佐賀の人、島義勇の並々ならぬ想いと努力が、この神宮の至るところにしみ込んでいます。境内は全部で100万坪あるそうで建物の周辺だけでも6千坪と想像を絶するスケールの大きさです。祭礼は本宮で行なわれましたが、集まった祭り人も、半端でない大がかりの人数でした。拝殿の中には4台の神輿があり、見た目にもすごさが感じられました。もっとも天皇や神々がお乗りになるので、御鳳輦(ごほうれん)とよんでいるようで、町神輿とは区別しているようです。4つの御鳳輦は4柱の神さまや歴代の天皇がお乗りになり町の氏子衆の家々をたずねられるのです。この行列に加わるのは笛や太鼓で調子をとる維新勤王隊であり、9台の山車です。御鳳輦はしずしずと練り歩き、町神輿や山車の他はにぎやかに町を練り歩くのです。
この日は札幌の町もこの祭り人にあふれるばかりの力をもらうことでしょう。集まった人は10万人とも言われていますが、広い札幌の町をくまなく歩くのですからもっと多いはずです。札幌の町とともに市民の手で創られたこの祭りはとてもすてきでした。
エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、
本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。
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吉村作治のエジプトピア
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