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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2017年5月のアーカイブ


ながい黒獅子まつり

2017年05月29日

「今日はたける風に恵まれまして暑さもしのげます…」長井市の總宮(そうみや)神社の宮司さまのお話でした。確かに外気温は30度近くあるのに森の木々にかこまれているこのお宮にいますと心地よいのです。
さて、一連の式典が終わると黒獅子のおでましです。本宮と拝殿に間にある神棚にその獅子は置かれてありました。獅子舞い連の男17人が席を立ち、さっとその獅子頭を持ち上げると、今まで眠っているかごときだった獅子が生きかえるのです。そこから拝殿の中にいる私たちのところにきて、お払いをしてくれます。もともと獅子は神輿の前をいき、その前にいる悪魔や悪霊をやっつける役割をもっています。口をあけてカチンカチンと口を合わせるしぐさは、元々は悪魔を食うしぐさなのです。そして境内でひとしきり獅子舞をして町に出ます。こうした神社が長井市に50近くあり、各神社がみな黒獅子をもっていて、1年に1回、一堂に会して黒獅子舞を競うのです。
そしてこの黒獅子は警固(けいご)という屈強な男がつき、先導したり、道案内をする人がいたりするのです。この警固たる人物はもとは相撲取り(アマチュア)がやっていたのだそうですが、今では相撲がすたれてしまったので町で一番の力もちと自認している人がなっているようです。

一日かけて町の中央広場に集まる黒獅子はすごい迫力です。また黒獅子の中に入っている人は老いも若きもどころか5、6才の男の子もいました。皆、将来の獅子の足となるのでしょう。とても珍しいお祭りでした。

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矢矧神社春の大祭・にわかと獅子舞

2017年05月25日

愛媛県今治市朝倉北にある矢矧神社の春季祭礼で行われる、獅子舞と掛け合いによる寸劇「にわか狂言」です。祭りの余興では神楽を始めいろいろな演芸が催されます。全て神さまを喜ばせるために行います。もちろん神さまと共に氏子たちも楽しむのですが、「にわか狂言」が行われるのは全国で珍しいです。300近く日本の祭りに参加している私でも初めてです。
「にわか狂言」の内容は普通のコント的なものですが、これを氏子衆がやっていることに意味があります。決して笑をとるという訳ではありませんが、最前列にいる子供10人くらいのかけ合いが集まった人の笑をとっていました。次代を担う子供を大切にしているところが良かったです。
しかし、何と言いましても、つぎ獅子は素晴らしい。今回は4段ですが、なかなかできないことです。最上段は4~5歳の男の子が登るのですが、登るのも大変なのに上に立ち扇子をひらき、みえを切る。そして1回転するのです。1番下の男の大人が5人、まずまわりはじめます。それと共に2段目の男の人、3段目と人数が少なくなり3段目のひとり、おそらく上の男の子の父親ではないかと思います。10分15分と次第に担いでいる男たちの顔が歪んできます。あわや崩れるのではと思ったとき、終わりました。大成功です。「素晴らしい」の一言です。途中で涙が出てきました。

その後、神輿の宮出しです。子供みこしが4基、大人みこしが1基、ゆったりとしたかけ声とともにお宮を出ていきます。氏子衆は最後まで拍子をやめませんでした。後には清々しい雰囲気が残っていました。

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能生 白山神社春季大祭

2017年05月09日

あの翡翠で有名な糸魚川市にある白山神社の春季大祭です。お祭りは現場に行ってみないとわからないことが多いのですが、今回ほどそれを強く感じたことはないのです。
まず、驚いたのは、お旅所が本殿と同じ神社の区域の中にあることです。ですから3基ある神輿は町中の氏子の家をまわらないということになります。ふつう、お祭りのときは神輿に神様がのり、その神様が町内の氏子衆の家々をまわり、福を授けるのですが、本殿から神輿に神様がのり、拝殿を通り3基の神輿が出て、そこに待機している獅子舞いの後につづきます。獅子舞いの前にはこの年に選ばれた稚児が男の人の左肩にのり、右側に男衆がつきそい、うしろを守る親せきの人が1グループになって、さらに6組の稚児グループが歩きます。その列が神社を2周したところで「御神郷向打ち止め」となります。その後、時間をおいて、2番目の神輿に神様がのり移った時、全部の列の人々が走り出すのです。これを「お走り」といい、1周したところでお旅所のある建物の中へ全ての列の人が入りこみ、神輿は舞台の正面に向けて並べられます。
これらを午前中にすませ、午後は舞楽(ぶがく)が11番披露されます。この舞楽はふつうの祭りの神楽にあたるものですが、笛と太鼓しかBGMはなく、しかもテンポはとてもゆるやかです。1時ごろから6時ごろまでの5時間余りかけて舞われるのです。中心は稚児の舞いですが、それは立派なものです。それもそのはず、何週間も特訓をうけているのです。

そして舞楽の最後に大人の舞う「陵王」という演目があります。これが終わると祭りは終わりますので、観客が終わらせないよういろいろと邪魔をします。約1時間ばかり舞うのですが演者は大変でしょう。そして最後に2人の男の腕の中に陵王が飛び込んでおしまいです。
その盛り上がりはすごいものでした。その後、3基の神輿におのりになっている神様を本殿に戻し、神輿が帰ってきます。それで終わりです。とてもいい祭りでした。

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大須八幡春季例大祭

2017年05月09日

宮城県石巻市雄勝町にある大須八幡さまのお祭りです。石巻は私にとって、とても思い出深いところです。2011年3月11日の東日本大震災の後、4か月目に初めて被災地を訪れたところだからです。まだ仮設住宅も出来ておらず学校に皆さんが避難していたときです。宅地からはほとんどの家屋が流され、道路には船がのりあげていました。それから2年後に再び石巻を訪れました。今度は私の写真展をするためです。その頃になるとかなり復旧は進み被災の皆様は仮設住宅に移られていました。
そのような町ですので、それから4年経った今どうなっているのかを見るのも大切だと思っていました。さすが震災後6年経つと町は完全に復旧していました。とても勢いを感じました。とてもうれしかったです。
さてお祭りですが、とても楽しい祭りでした。丘の上の神社から神輿をかついで階段をおり、町中を通って海に入るのが1部、そして民家の庭に設けた舞台で神楽を演じるのが2部でして、2つとも一見無関係のようですが、うまくコラボしていて参加者も楽しいものです。
この町、雄勝町は震災前は人口4,000人、600戸くらいの規模だったそうですが、今や1,000人120戸くらいになったとの説明を聞きましたが、祭りの勢いはありました。
町から出た若者が戻ってきて神輿をかつぎ、高齢者が神楽を舞い、とてもいいバランスです。

神輿が海に入ると神輿を海水につけないように少し高めにかつぐのも、かつぐ時のかけ声が「ヨサーイ」と「チョーサイ」の2つをくり返すことが特徴です。「ヨサーイ」とは「太平洋の波を砕く」、「チョーサイ」は「潮(うしお)を砕く」という意味だそうで、海の男が海の幸を求めていく姿が思い浮かびます。
いい祭りでした。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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