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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2016年8月のアーカイブ


宮内熊野の獅子祭り

2016年08月09日

7月25日(月)に行われた山形県南陽市宮内にある熊野大社の祭り、宮内熊野の獅子祭り(開催日7月23日(土)~7月26日(火))に行きました。
この祭りは、神輿とお獅子さまが、行者たちに奉持され山上のお堂から大社に下りてくる祭りです。まず、見どころは重さ400キロもある大神輿が50人を超すかつぎ手によって46段の石段をおりるわけです。これを御下りとよびます。そして大鳥居の近くに作られた御旅所に安置されるわけです。翌日には、この大神輿を担ぎ、この石段を上がり、社殿にもどります。これを御上(おあがり)とよびます。
この歴史は650年をこえ、室町時代にさかのぼります。そして400キロを超す重さの大神輿は慶応年間(1865~1868)に作られ、これを担ぐ人を行者といい、修行した人があたります。3日目、町中を練った後、神輿は46段の石段を登る(御上)のですが、その前にある神木のまわりを3周し、休むのかと思いきや、一気に昇りました。3周しているときにすでにヘトヘトなのにです。その精神力たるやすごいものです。その後で獅子頭がきます。獅子頭は歴史のあるものは神倉にしまわれ、現在のものは最近作られたものです。
ともかく午前中の神事が長いというかフルコースなのです。祝詩(のりと)もたっぷり時間をかけてやってくださいます。計1時間40分、これだけ丁寧に神事をやられるお祭りは初めてでした。

神事が終わって直会があり、神輿と獅子が町内をまわっている間、子供の神輿とおはやしが数組、神社の石段を昇っていきました。おそらく300人くらいの子供たちが集まって来ていました。こんなに子供がいるならこの祭りは安泰だと思いました。

吉村作治

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山あげ祭

2016年08月09日

7月22日、23日と行われた祭りです。栃木県那須烏山市街地で行われている祭りで、この山あげというのは室町時代に創建された、午頭天王(ゴズテンノウ)を祀った神社で行われた余興のひとつです。はじめのうちはこの奉納余興も相撲や神楽、獅子舞など多種多様でしたが、江戸時代後期になるとそれらに代わって歌舞伎が主体となり今に至っています。この祭りの「山あげ」というのは網代に竹を組んで木枠には和紙を張り、そこに山や滝などを描いた舞台装置のことで、それを山といい人力で起して立てることから山あげとよばれているのです。
山あげの山は、山車(だし)とか屋台などを山(やま)と呼ぶので「だし」かと思っていましたが、実はここでは本当の「山(やま)」なんです。すなわち歌舞伎を演ずる舞台の背景に3つの山(前山・中山・大山)を人の手で大道具的に造るのです。しかも遠近感を出すために舞台との距離が半ぱではなく150mくらいあるのです。奥行き150mとれるところと言えば広場ではなく道路しかないわけで、駅前広場の取り付け道路に設置するのです。

公演前の30分間を使って道路上に前山・中山・大山を若衆100人ぐらいで立てます。そしてその前で演じられた歌舞伎のすばらしさはすごいものでした。平均年齢16歳、すなわち高校生、しかも女子高生です。5歳ごろから手伝いをして慣れさせ、実際にやるときは完璧なのです。さらにその周りで手助けしている方々のきびきびした動きはすばらしく、私は見入ってしまいました。

吉村作治

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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