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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2016年3月のアーカイブ


八戸えんぶり

2016年03月03日

八戸の駅に降り立ったとき雪が降っていました。それも並ではなく大雪の予想がしました。とても寒い。ダウンのコートを着ていましたが。それでも寒い。一斉摺りが行われている会場に向かう途中も大降りの様子でしたが、街中に入ったときには東の方に青空がみえ、陽が照ってきました。不思議な光景です。聞くところによりますと、毎年このえんぶりが行われる2月17日には雪が降るんだそうです。10年くらい前には道路に50cmくらい積もった中、えんぶりを行ったそうです。太陽が照っても風は冷たく、身ぶるいがします。
ところで皆さんこの「えんぶり」というあまり聞きなれない言葉の意味をご存じですか。「えんぶり」そのものは語源が「えぶり」といい、漢字では「柄振り」と書くそうです。全国各地の農耕起源のお祭りでは、道具を使って土を耕す仕草が祭りの中に入っているものがあるようです。ここ八戸は東北なまりで「え」と「ぶ」の間に「ん」が入って「えんぶり」となったみたいです。ですからこの祭りは豊作祈願なんです。
この祭りでは、農具を使ってのパフォーマンスは、馬の頭を摸した烏帽子をかむった太夫たちが唄い踊ることにあります。青森のねぶたに比べると規模も小さく派手さはないものの、町内会の固い団結のもと一糸乱れず、踊り手、はやし方、唄い手がうまくコラボレーションしていてすばらしいハーモニーを奏でています。昔は100組もあったえんぶりの踊り手集団は、今は30数組になったそうですが、老いも若きも真剣に踊ったり、笛、太鼓、鉦などをならしている姿は明日の日本の躍動を思わせます。特に子供が「子どもえんぶり」と旗を立てて頑張っている姿に心地良さを感じました。
農耕が東北に広まったとき、いっしょに入ってきた芸能が神事と組み合わさって今のようになったと考えられていますが、定かな記録では800年~900年前に始められていますので少し年代が合いません。しかし、農耕儀礼のひとつであることはまちがいないと思われます。私見ですが、記録にはなくても、もっと古くから行なわれていたと思われます。

夕刻に「お庭えんぶり」というものを観せていただいたのですが、これがとてもすばらしかったのです。これを見させていただき、私は「えんぶり」、わかりました。といいますのは年輩の方が八戸方言をまじえて説明して下さり、それに合わせてえんぶりが踊られ、唄われたからです。特に大人にまじって3歳の子まで参加して踊るのですからすごいです。このことからもこの祭りは永遠に続くと私は思いました。

吉村作治

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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