トップページ
 > 祭り紹介 > 吉村作治先生の祭り考察

吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2015年8月のアーカイブ


牛越祭

2015年08月26日

私も230以上の日本の祭りを経験していますが、牛が主役となる祭りは初めてです。
古代エジプトでは牛を神として崇めていました。ハトホルとアピスです。ハトホルは上エジプトのデンデラを中心とした愛と出産の女神で、アピスは下エジプト・メンフィスの全ての力を持った神で、ギリシア時代はゼウスと同一視されていました。牛は役牛として田んぼを耕したり、乳(ミルク)をとったり、そして食べることができたり骨はいろいろな骨製品になったり、人間にとっては最も都合のいい動物です。ですから神として崇められます。日本も牛は同様に人間にとっては大切な動物ですから神さまに捧げられるのです。ここ、えびの高原は神に供する供物ではなく、丸太棒越えという余興として神を喜ばせるという最も人道的な扱いをしているところに注目しています。土地柄、牛や馬を大切にしているのです。他の月には馬頭観音の祭りがあるそうです。しかもこの祭りは400年以上も続いているのですから驚きです。メインイベントの牛の丸太棒越えは20分か30分で終わってしまうのですから、その前後で約4時間続くシンプルですがとても荘厳な祭りです。しかし世の中で知っている人間がほとんどいなく、この町の町民にも知られていません。それだけに貴重と言えます。
この祭りを行う宮崎県えびの市の菅原神社はその名のとおり菅原道真公の流れをくむものです。北野天満宮、太宰府天満宮と並んで日本三大威徳(いとく)天神とよばれる由緒あるお宮です。そして時代によっては牛や馬を神として崇めていたようです。江戸時代には近隣の町や村からこの日に600頭もの牛が集まり、その勢いはすごいものがあったようです。今は30頭弱の牛がこの町の中で参加するようです。
神事の後、牛越が始まりました。一番目に指名された牛は生後1年ちょっとですが、かなり体格のいい牛でした。しかし、ものすごく嫌がってびくとも動かないのです。仕方なく、2番目の牛、この牛は引き手が上手なこともあり、小走りに丸太棒まで近付きひょいと飛びました。満場のお客から拍手喝さいでした。

その後ほとんどの牛が飛び越していく中、どうしても動かない牛がいたり、飛ぶのをあきらめた牛もいたりで、24頭が終わるのは10分どころか約1時間かかりました。1頭で3回も飛んだ牛がいたこともありますが、観客が多く牛が興奮したのが一番の理由のようでした。

ページ先頭へ

能登島向田の火祭

2015年08月26日

何ともコンパクトながら迫力のある祭りです。ご神体とご神燈を載せた神輿、それにつづく大小7基のキリコ(奉灯)の行列が伊夜比咩神社から神事を終えて出ます。それから800メートルばかりを2時間くらいかけてお旅所、崎山広場に着きます。お旅所の前には高さ約30メートルの大松明の材木がつみあげられています。お旅所に神輿が着きますと再び神事が行われ、神事が終わりますと小松明に神輿の中のご神燈に火が移され、祭り男がそれを持って大松明のところに走ります。そしてキリコも含めた人々のかたまりが大松明のまわりを7回まわります。まるでメッカの巡礼のようです。7回まわっているうちに、土地の人や観客がよびこまれ、火のついた小松明の分身をいただき一緒になってまわります。その数200人、すごい迫力です。7回まわったところで指揮をとっている世話役が、「それーっつ」と声をかけますと、一斉に手に持っている火のついた小松明を鎮座ましましております大松明に投火すると一気に大松明が燃えます。乾ききった松や杉は一気に上に向かって燃え上がります。それはあたかも、燃えるピラミッドのように、私には見えました。10分ほどたちますと、火の勢いはおとろえ残り火になり、この祭事は終了です。集まったキリコは思い思いに自分の町にもどって行き、神輿は神社へと還御します。

何ともはやシンプルで壮大な祭りでしょうか。燃え上がる火と煙に氏子衆は思い思いの願いを託し、また1年間無病であったことを感謝するのです。日本の祭りのコンパクトな形です。しかしその中にいろいろな要素を見い出せます。

ページ先頭へ

土崎港曳山祭り

2015年08月26日

「じょやしゃ、じょやしゃ、じょやしゃ・・・」という掛け声とともに曳山は少しづつ進んで行く。この間、曳山の車輪には油がたたきつけるようにかけられて、摩擦熱を防いでいます。「じょやしゃ」とは「除夜叉」と書き、もとは強いという意味のインドの神さまですが、鬼の顔をしているので悪魔と考え、曳山に悪魔が乗り移らないように悪魔を除く、よけるという意味で使ったのでしょう。もっとも掛け声をかけている時、そんな意味を考えている人はいないと思いますが、この大きな曳山を引く曳子とよばれる人はおよそ150人から200人いるといわれていますが、一致団結しないと引けません。ですから100メートルか200メートル引いて曳子がくたびれかかると止まって、曳子とは別に着物を着た女性が「秋田おばこ」などの民謡とともに踊りを披露しています。これがまたとても楽しいです。
秋田県秋田市土崎(つちざき)というところに300年も続いている祭りです。文献には神輿という文字が出てくるのですが、私たちは曳山は24台見ましたが神輿は見ませんでした。きっと時代とともに曳山が神輿に変わるようになったのかもしれません。曳山のルーツは京都の祇園祭りですが、北前船に乗ってくるうちに曳山の形も変わってきたのです。ここの曳山の一番の特徴は何と言っても見返りの人形でしょう。ともかく大きくいかついものです。

また、裸の武将などは生々しく、はじめて見る人はぎょっとします。ともかく曳山の前面にはおはやしがいて、見返りの人形とその他飾りでにぎやかです。またこの曳山の車輪は全部木型なので運行中、油をかけるのですが、24の町ごとにその調合が違うのだそうです。通の人はその香りをかぎわけられるそうです。勇壮で見ごたえのある祭りでした。

ページ先頭へ

お手火神事

2015年08月04日

燃えさかる大松明、祭り人が百人以上も周りを囲んでいる中、10人前後の祭り人が「ほーらー、ちょいと、はーらーちょいと」「よしよし」「ほーらーちょいと」と勢いのあるかけ声とともに、必死で火のついた大松明をかつぎ、石段を少しずつ昇って行くのです。大松明の火からはパチパチと火花が散り、かつぎ手の頭や身体にはねて飛び散ります。それにバケツで水をかけるのです。見物のためそばに寄っただけで、顔がほてり、衣服が熱くなる中、Tシャツとタオルのハチマキ、手は軍手といったいでたちで、代わりばんこに25キロの大松明をかつぐわけですから壮絶です。しかもこの大松明は3つもあるのです。この行事が行われる沼名前(ぬなくま)神社は創建が平安時代中ごろでして、この神事は鎌倉時代から行われていたとされています。
この行事は午後8時、3つの太鼓の合図で拝殿での宮司の祝詞あげから始まります。続いて火打ち石で大松明の導入となる形が小さめの神前手火(しんぜんてび)とよばれる松明が点火されます。それが拝殿内で待機している白装束の当番町の代表によってかつがれ、参道の石段を駆け下り、隋神門(ずいしんもん)の鳥居よりのところにおかれた大松明に次々と点火されるのです。この大松明は乾いた松が中心にあり、その周りに青竹がはりつけられ、それを針金や縄でしばったものです。芯となる松は約1年乾燥させてありますが、一気に燃えない工夫がいろいろされているようです。約1時間半の練り歩きの後、拝殿前の広場に安置されます。

そして翌日はお旅所に神輿が行って、そこで祭事が行われて終了です。
ともかく、熱い、冷たい、重い、足元が危ない、のですが、ケガ人は出ません。すばらしいことです。

ページ先頭へ

祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

  • 日本の祭り 名産品
  • 祭り写真館
  • 祭りカレンダー
  • 注目の祭り
  • 吉村作治先生の祭り考察
  • これまで応援した祭り
  • ダイドードリンコ日本の祭りチャンネル
  • DyDo online shop

日本の祭りポスターをプリントしよう!

ダイドードリンコは「NPO(特定非営利活動法人)日本の祭りネットワーク」に加盟しています。