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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2014年12月のアーカイブ


山北の棒踊り

2014年12月09日

「サイッ」「サイッ」と掛け声をかけ棒を打ち合う演舞、山北の棒踊りはとても熱いものです。1か月以上もの猛特訓の後、本番の祭りでの披露は若者たちにとっても緊張する場面です。由来は山内家一門が10年間にわたって幽閉されていた時退屈をまぎらわすために始めたとのことですが、それだけでは祭りになりません。もともと浅上王子宮で通例行われていた大祭の行事のひとつとして採用された余興と考えた方がいいと思います。もともと剣術もそうですが木と木をぶっつけ合う時のパチパチとかバンバンという音が、「神の声」と剣士には聞こえることから、剣士にとってはとても重要なものだったのです。ですから剣術というジャンルはもとはと言えば神事の一種であったのですが、武士がはばをきかせ木刀から真剣へと変わり、武芸となった段階でひとり歩きをしてしまったのです。ですからこの奉納の棒踊りも神輿が神社に戻ってから神さまの前で行われます。

演舞は2種類ありまして10人1組で2組が対決する大棒と2人1組で10組ほどが対決する小棒ですが、今や競技的性格は全くなく、もともとの神事の一環としての所作に帰っていて、奉納の演舞となっています。

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須賀川松明あかし

2014年12月09日

パーン、パーン、パチパチとカヤの枯草のはじけたり、燃え盛る中、火柱は地上15mにものぼる勢いで立ち上がり、まっくらな夜空に昇って行く。ここ須賀川の市民は毎年10月になりますと、松明づくりで忙しい日々をすごします。大松明と姫松明、そして本松明、大小合わせて約30本。市民の手により、又は企業の人により又は地元高校や専門学校の皆さんによって作られたものを一晩、いやほんの2時間弱で燃え尽きさせてしまうのですから圧巻です。前回は大松明をはじめとする松明の直下まで入り、火の粉を受けながらの見学でしたが、今回は少し離れた本部席で見させていただきました。年々警察や消防の厳しいお達しによるものだそうです。中でも、一番初めに燃される大松明は高さ10m、直径2m、重量は3トンあります。制作は「松明をもりたてる会」というボランティアの団体です。これに火がつきますと、次々に点火されていくわけですが、大松明は10mをハシゴなしでよじ登って火をつけるのですから、決死隊のようです。てっぺんに登ったところで火つけ役の人は種火を夜空にぐるぐるとまわし「これから火をつけますよ」という仕草をします。そこで会場—約2万人くらいの人が集まっています—の人々の大歓声と大拍手のうちに点火されます。次いで姫松明、本松明と点火が相次ぎます。この松明あかしの起源は遠く425年ほど前の戦国時代のことです。

当時東北一帯を支配せんと伊達正宗がここ須賀川城にいる二階堂の当主大乗院との闘いの間にたくさんの戦死者が出たのを鎮魂するために行った町民のささやかな小松明から始まったのです。まさしく夜空をつんざくような勢いで燃え上がる火は二階堂家の怨念を示すがごときの勢いです。この松明あかしこそ、不戦の誓いを私たちに知らせてくれているのです。

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春日神社秋季大祭

2014年12月09日

お祭りには大祭と中祭・小祭の3つに区分されていて、大祭に例祭とか式年祭等が入っています。中祭には元始祭とか紀元祭そして小祭には月次祭り、除夜祭などがあります。直営神社で行われる大祭は例祭が多いのです。天皇関係のお祭りがいろいろと種類があります。よってこの春日神社秋季大祭は例祭ということになります。
さてさて春日神社秋季大祭は今から700~800年前、春日神社が創建されたころと言われていますが、神輿の先導役をつとめる猿田彦の面が室町時代の作と言われていますのでこの時期かもしれません。おおむね祭りの場合祭りはいつから始めたという記録がないものですからはっきりしたことはわからないのですが、古いことは確かです。さてこの祭りの見ものは練りものです。中でも「牛鬼」です。これはこの地域独特のものがありますが、ともかく子供は恐いらしく、追われて泣いて逃げまどう子もいまだにいます。確かに見た目には気味悪く感じられますが、よくみると可愛いいものです。
その他「五ツ鹿」、これは宇和島藩初代藩主伊達家が東北からもってきたもので鹿踊(ししおどり)の流れをくんでいます。そして「お船」。これは殿様がお乗りになる御座船(ござぶね)の模型です。模型といっても車がついて引っぱることができ、この船の上に4~5人のおはやし連が乗って演奏します。しかもその周りでは女の子が踊りますので華やかです。そして三基の神輿です。これが町内を廻った後、もとの春日神社に還御するわけですが、春日神社が丘の上にありますので200段近くある急な坂というか階段を一気に昇るのです。

最後の方はへとへとでもう気力しか残っていないのですが、そこで祭りの長老やOBたちが、手や肩を貸すわけです。そのタイミングと気合いはすごいものでした。そして無事3日間の祭事は終ります。町家での接待も受けましたが、一年の財を全てつぎ込んだくらいの豪華なものでした。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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