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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2014年10月のアーカイブ


岩手・三陸 山田祭

2014年10月31日

「わっせいわっせい」飛び交う声の嵐、神輿は最後の階段を昇っています、あと一歩。朝、八幡宮を出てから約1日、120人の男女が約1トンの神輿をかつぎ通してきたラストシーンです。3組の担ぎ手がかわるがわるかついでいますが、1組せいぜい15分から20分、全員へとへとです。しかも今日の山田町は夕方に一天にわかにかき曇り、雷と豪雨がふり祭り人はびしょぬれなのです。熱くほてった祭り人には恵みの雨だと言うのはかついでない人のセリフで、やはり神輿をかついでいる人には負担がかかります。
ここは三陸山田町、2011年3月11日の東日本大震災では大きく被害にあった町です。平地の家屋はほとんど津波にさらわれ、残ったのは家の土台だけという状態でした。何と平地にあった海の男を守る大杉神社は倒壊し、神輿も無残にもバラバラになってしまいました。あれから3年半、国や県そして有志の気持と寄付金でついに大杉神社の復興はなされ、神輿も修繕されました。かつぎ手ももどってきました。あとは祭りをやるっきゃない。ついに八幡宮、大杉神社そろっての完全復活です。祭り人は燃えます。初日の八幡宮の大祭は陸の祭り。2日目の大杉神社の祭りは海の祭りです。2基の神輿は揃いました。初日は久しぶりの祭り人の祭りで華があり「暴れ祭り」といわれているように神社の境内で約30分練りを行い見物客の拍手かっさいをあび、2日目の大杉神社の神輿も海岸をいつもより5回も多く巡幸しました。津波で流された大杉神社は高台に新築されることになり、今は未だ仮宮ですが、神事はとどこおりなく取り行なわれ、二日の祭りは無事終了しました。

3回の不完全燃焼のあとでしたから祭り人は完全に燃焼したことでしょう。終ったあとの祭り人の姿をみていますとそれがよくわかります。やはり祭りは続けることが大切です。そして祭り人の心意気こそがその地域を守るのです。

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上総十二社祭り

2014年10月31日

807年に始めたとされる上総一の宮の玉前(たまさき)神社のお祭礼「上総十二社(かずさじゅうにしゃ)祭り」は9基の神輿が玉前神社を出て2時間、九十九里浜の南端釣ヶ崎海岸に造られたお旅所目ざして「おっせおっせ」と勢いよく走ります。約1000人の老若男女がある人はかつぎ、ある人は交代要員として神輿のまわりを走り、ある人は神輿の前につながれている綱をひっぱったりしてひたすら走るのです。ともかくそのスピード感がすばらしいです。玉前神社をはじめ一の宮町周辺の12の神社で神事をすませた神輿はおのおの一番近い浜辺に出てそこで9基の神輿が勢揃いして砂浜を走り込むのです。この間、2時間、釣ヶ崎海岸に作られたお旅所までひた走ります。途中休憩はありません。釣ヶ崎海岸は玉前神社の氏神様玉依姫命が上陸された場所です。そこで玉依姫命とその一族の神々が一年に一度集まって一年の無事を感謝することから起きた祭りです。特に見ものは釣ヶ崎海岸のお旅所で行なわれる9基の神輿の一斉さし上げです。白の短パンに白足袋、上半身は白のサラシをまいた1000人の氏子が一斉に9基の神輿を両腕でさし上げるのです。何回も何回もやります。その迫力はすごいものです。

そして気勢をあげてから出身の神社にもどり宮入りをします。見ていてほれぼれします。特に海岸から参道を上り鳥居の前に入ってくる神輿は本当に中に神さまがいらっしゃる実感がします。

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中里の火の花祭り

2014年10月07日

ともかくすごい雨でした。どしゃぶりという感じで本来ならば中止でしょう。だって火の祭りで雨がふっているんですから。火に油をそそぐならば危険なので、わかりますが火に水をそそぐわけですから。しかし主催者は雨天決行の断を出しました。東京都清瀬市中里地区の火祭りです。ここは江戸時代中期から始まった富士山信仰が今でも残っている都内でも珍しいところなんです。東京都民といいますか江戸町民は富士山が大好きで霊峰として敬っていました。ですから都内には富士日坂とか富士見台とか富士見町という富士山にちなんだ地名がたくさん残っています。しかし江戸時代、富士山へおまいりに行くのはかなり大変でしたからその代りとして町内に富士塚という小高い丘を作りそこにおまいりをすることで代用していたんです。そのため富士講という講を作り、積立てをしたりして富士山参りを行ったり、送り出したりしたのです。そこで8月26日に富士吉田で行なわれる火祭りにならって、ここ中里でもこの富士塚を富士山にみたてて行いました。富士吉田ではたいまつは木を使っていましたが、ここでは麦わらを使います。麦わらの方が燃え易いのと、ここではいい木材が手に入らなかったこと、また関東ローム層は地味が肥えていて麦や根菜がよくとれたことなどがあげられます。祭り当日は先達という仕切り人の家に集まり夕方講員がそろって富士塚に向かい、山頂で「お伝え」という経文を読みながら祈祷するのです。そして酒をくみ交わし夜になりますと登山道に見立てた坂道を下り、そのまわりには108本のローソクをともして、下に降りたところにすえつけてある麦わらの山の頂上に点火します。

今回は大雨で点火が危ぶまれていましたが、見事に火がつきました。あとは10分か15分の間に燃えつきますので長さ3mの御幣を火にかざして観客にふりかけます。いわゆる厄よけです。そして燃えつきた灰を各人もちかえり、家に飾って無病息災を願うのです。ともかくびしょびしょになりながらの一晩でした。

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おわら風の盆

2014年10月07日

おわら風の盆は数ある日本の祭りの中でも私は好きな祭りの筆頭です。よく考えてみますとおわら風の盆は盆踊りのひとつですから神式の祭りの形式どおりではなく、町民がこぞって一年の締めくくりとして楽しんでいる閉鎖的なものなんです。ですから祭り人も外からたくさんの人が観にきてくれなくてもいいと考えていますが、有名になればなるほど人が多くなってやりずらいと考えているようです。しかし「風の盆恋唄」などで有名になり小説でも有名になり年を増すごとに観客は増えています。私もここ11年間で9回来てますから外来人としては多い方でしょう。実は私のエジプト発掘は9月はとても大切な時期なんです。大学が休みですから発掘調査に最適なんですが、私はこの「おわら風の盆」に出るためにエジプト行きを遅らせています。実は本隊はすでに行って発掘をしていますが、私は後半参加という形にしています。しかし毎年そうもいきませんので3年に1回はおわら風の盆を休みます。
おわら風の盆で何がいいかと申しますとまず踊りです。盆踊りの系統で集まった人が全員参加の郡上八幡のように形は決まっています。阿波おどりとか青森ねぶたも参加型ですが、踊りが単純で踊り易いというのと、始める前に特訓があります。しかし西馬内やおわらの踊りは、かなり難しいのです。ですから町内会の人が踊っているのはとてもきれいで楽しいので夜半まで外者を入れないというポリシーがとてもいいです。ともかくきれいです。型が決まっています。諏訪通りの直後の坂を上から踊り下ってくるのを観ますと心から感動します。そして次におはやしがすばらしいです。

特に三味線と二胡のバランスというか音色が心にしみます。二胡はもとからあったのではないようですが、二胡ぬきでは「おわら風の盆」は語れません。そして踊り手に定年があるのもおもしろいです。何才かになると踊り手は唄い手やおはやしの方に行き新しい人を育てるのです。ですからいつ見てもおわら風の盆は生々しいのです。

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根知山寺の延年~おててこ舞~

2014年10月07日

新潟県糸魚川市の根知山寺地区の延年はおよそ500年前から行なわれていました。
一見するとお寺さんの行事のように見えますが、山寺という地名で行なわれる歴とした神事です。糸魚川市根知地区山寺集落が正式な地名です。この祭りは地元の日吉神社の例祭に奉納される余興の歌や舞のことを延年と称しています。延年とは大祭や法会の後、芸術で心をやわらげて長生きをしようという趣旨で行なわれているもので、この周辺の村落には毎年形を変えてこの延年が数多くあります。以前は延年の舞台に立てるのは山寺集落の人間それも各世帯の長男だけでしたが、少子高齢化で今では誰でも、長男でなくとも男でなくてもこの集落の人間でなくても舞い歌うことができるようになりました。祭りの形式は基があってそれが年とともに環境や社会情勢によって変わっていっていいのですからこの山寺集落のやり方は正しいのです。祭りの本質はこの神事を末永く続けることにあるのです。
ご当地氏神さまのおられる日吉神社の例大祭は8月31日に宵祭りと9月1日の本祭りで形成されています。そして本祭りではこの祭りの愛称「おててこ舞」が奉納されます。宵祭り、本祭りとも神社では神事がとり行なわれ、それがすみますと、奉納舞いが演じられるのです。宵祭りは9曲、本祭りは10曲とそれぞれが違う舞となっています。その中のひとつが「おててこ舞」なのです。
いわゆる神楽というものです。宵祭りではまず「あくま払い」が演じられ、最後に稚児舞の「てんとの舞」(元照大神が天の岩戸にお隠れだった物語が主題のものです)が演じられます。本祭りでは大人の舞と稚児の舞の2つに分けられます。

そしてメインの「おててこ舞」は大人と稚児がいっしょになって舞います。演目の中には獅子舞やかけあい万才もありバラエティに富んでいます。村人はこのため祭りの前の10日間はおさらいをし、本番当日にそなえます。村人にとってこの祭りなくして人生はないというくらい力を入れて舞います。すばらしいことです。

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阿波おどり

2014年10月01日

8月12日から15日迄の4日間徳島県徳島市で行なわれる祭りといえば「阿波おどり」です。「おどる阿呆に見る阿呆、同じ阿呆ならおどらにゃ損々」という言葉通り何万人の人が1晩でも2晩でもおどり狂うのですからすごいの一言です。阿波おどりではおどる人のグループを「連」と言っています。総数500以上の連がこの4日間毎晩のように徳島市内の演舞場や町角でおどり狂うのですからすさまじいです。この4日間は徳島の人は何事もほっぽり出しこの阿波おどりに集中します。県外からもたくさんの人が来ます。一説には150万人が来るとも言われていますが、市内のホテル事情を考えてみて1日5万人くらいが参加すると考えた方が妥当かと思います。
歴史をみますと約400年前にさか上りますが、お盆を記念しての行事と考えてもいいかもしれません。厳密な神事はなく神興も出ません。しかし人々の熱狂ぶりはすごいものです。私たちダイドー連(ダイドードリンコの関係者が浮助連と組んでおどる連です)は藍場浜(あいばはま)演舞場でおどったあとその近くの町角で輪おどりをします。藍場浜演舞場は長さ120メートル、観客約300人の中で20分余りおどり続けるのです。中腰で右足右手、左足左手とふしぎな形で2拍子のおどりを踊るのですから足は痛くなります。おどりの行列はまず連の名前をつけたちょうちんが先頭で次は女踊り、男踊りがつづき、おはやしがその後につづきます。
ダイドー連は先頭に私と髙松会長、髙松社長、それと苦田先生がおどりその後を男おどり女おどりがまじって踊るという不規則な形となっています。

おどる人数は80人ほどで小ぶりです。その後に浮助連の人が女おどり、男おどりと分けてつづきそしておはやしです。踊っていますと客席からはげましの声援をもらい、それが励みで120メートル20分がんばれる要素です。

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青森ねぶた祭

2014年10月01日

今年で私は参加11回目です。私が初めて参加したのが第2回目2004年ですから皆勤賞ものです。それほど参加していて楽しいということです。ねぶた祭の最大の楽しみはやはり跳ねることです。「ラッセラ、ラッセラ、ラッセラッセラッセラ」のくり返す掛け声とともに左右の足を2度地面にたたきつけ踊るのです。一見単純そうで簡単そうですが、跳ねるのですからまず空中に身体をあげて、足が地面についたら飛び跳ねるのです。重力が邪魔してなかなかうまく飛べません。しかも同じところにいては前に進めないので、身体を前のめりにして先へも進まなくてはなりません。なんといいましてもすぐ後ろにはねぶたが迫ってきているのですから。私はダイドードリンコがサポートしている市民ねぶたの会のねぶたに参加しているんですが、跳人は総勢200人余りがいます。多いところでは400人とか500人もいる強い連(れん)もあります。
ねぶたの起源ははっきりしていませんが、七夕に行われる灯籠流しが変形したとするのが有力です。実際は大きすぎて流す川がないのですが、以前はもっと小型だったそうです。図がらというかデザインはとてもユニークです。背の高さが電線などの制約で決められていますので横に広がっています。国道いっぱいに広がったねぶたは見ものです。それとねぶたの楽しみは跳ねるところです。派手な衣装と花笠をつけて、ピョンピョンと跳ねながら「ラッセラ、ラッセラ」と叫ぶのです。それは200人とか300人が一斉にやるんですからすごいです。こういう連が10基以上つらなってある区域をぐるぐるまわるのです。今年はあいにく終わる寸前に雨が激しく降ってきましてガッカリしましたが、跳人およびおはやし連は微動だにせずつづけました。

天晴れというばかりです。ダイドードリンコの高松富博会長はこの雨は「神さまのうれし涙」といわれましたが、そうなのかもしれません。そして終わってからの直会(なおらい)もこの祭りの楽しみのひとつです。青森の人は1週間これをつづけて、また来年の青森のねぶたを夢みて長い冬をこすのです。

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日向ひょっとこ夏祭り

2014年10月01日

宮崎県日向(ひゅうが)市塩見永田地区に伝わる「永田のひょっとこ踊り」です。「ひょっとこ」は「火男(ひおとこ)」から由来していて一種の火祭り系が多いのですが、ここは昭和59年に始まった町おこしのイベントに近い祭りです。ただもとは明治時代に永田地区で開業していた眼医者の橘公行(たちばなきみゆき)先生がこの地に伝わっていた里神楽をもとにしました。この神楽は「やまんくちのいなっさま」と地元でよばれている稲荷神社の初午祭に奉納されていたもので、ストーリー性が強いものです。ストーリーはおかめさんという村一番の美女とおかめさんが見染めた「ひょう助」という若者の恋愛ストーリーです。2人は結婚しましたが子宝に恵まれずおかめさんは毎日稲荷神社に豆ん飯(まめんめし)をお供えし子どもを授かるようにお願いしました。ところがこの豆ん飯を神主が食べてしまったのです。お供えものをとられたお稲荷さまは怒ってキツネに化身して神主を追いかけるのですがおかめさんに会って一目ぼれしてしまいかどわかしを企てます。それを知ったひょう助と村の若者がキツネを退治しようとドタバタするというものです。他愛のない昔話ですが、のどかな田園風景の中でこれが演じられるととてもおもしろいものです。
この物語を背景にもってパレードが行なわれます。団体は「連」を組んで踊るのですが、各連には1名づつのキツネとおかめさん、残りはひょっとこというものです。ひょっとこは火男ですから男というイメージですが最近では女性も多く参加しています。この祭りは神事をはじめとする祭りの要素にこと欠いたイベント性が強いのが残念です。稲荷神社がもう少し前面にでてくるともっと神秘的になると思うのです。

しかし今回は台風の接近による大雨で警戒警報が出る中行なわれたため出演した100余の連、参加した踊り手も2500人は全力をふりしぼって雨と斗っていました。その中でも子どもたちの活躍はこの祭りの将来の明るさをみせてくれていました。

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那智・美瑛火祭り

2014年10月01日

北海道には開拓の歴史に合わせての祭りと、アイヌの人の祭りの2種類があります。おそらく縄文時代のものがきっとあったと思うのですが、その面影は残っていません。ここ美瑛の火祭りもそのひとつです。美瑛は和歌山県の那智の人々が多く開拓にたずさわった土地です。その人たちが故郷、那智の火祭りをここでやろうと考えたのが今から26年前、四半世紀ほど前のことでした。美瑛の人たちが那智まで行き神社の人に礼をつくして分けていただき実施したのです。ですから那智・美瑛となるわけです。
それともうひとつ理由があります。昭和63年12月の十勝岳の噴火です。美瑛町は十勝岳の西に面していますので、噴火の灰や岩が畑や田んぼに降っていて、すぐには作物を植えられなくなっていて、住民は深い悲しみにおおわれたのです。そこでこうしたムードを打ち消すために那智の火祭りが必要だったのです。神事は那智と同じで、まず火をおこすところから始まります。神木で作った板と棒をすり合わせて火をおこすのですが、これがなかなかうまくいかないのです。前回6年前のときは約30分ほどかかってしまいましたが今回は2、3分でできたそうで氏子代表の方が誇らしげに話していました。その火を十勝岳まで運び山の神さまに捧げるのです。そして再び神の火としてもちかえり、種火として松明につける火をつくるのです。あとは神事を行い、出発地点の丸山公園に行き再び大松明出発の儀式を行い行列は始まります。大松明は重さ40kgから50kgありそれを24本作ります。仕事の合間に作るので約半年かかるそうです。今年も最後の1本が出来上ったのが、祭りの日の前夜だとのことです。今回私は大松明をもつのではなく、燃えすぎないように火に水を手でかける役をやらせていただきました。簡単そうでなかなか難かしいのです。皆さんといっしょに白装束に身を固め「オウリャ、オウリャ、オウリャ」と掛け声とともに約2キロの行程を旅し、美瑛神社にもどり、24本を2つに分けた残こりの12本に再び点火して神社の境内をまわるのです。神社には1000人以上の町民と観客、祭り人の家族が集まり「オウリャ、オウリャ」の掛け声をかけます。

この火祭りのもうひとつの余興は太鼓の演奏です。行列がはじまってから終わるまでの約1時間ずっとたたきぱなしですからその体力と気力はすごいものです。そしてもうひとつ「美瑛のカレーうどん」も忘れちゃいけません。このカレーとメロンの食べ合わせは絶妙です。

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水無神社例大祭 みこしまくり

2014年10月01日

「そうすけ」「こうすけ」ズシンゴロンバタン「そうすけ」「こうすけ」ズシンゴロンバタン、道をころがるように新調した神輿をごろんころんと転がしてゆく。長野県木曽郡木曽町福島の水無(すいむ)神社例大祭、みこしまくりの1シーンです。ともかく道に置かれた神輿に人がひとり、2人寄って「そうすけ」と叫びそれに答えるように「こうすけ」と叫び返すのです。それも横に倒すだけでなく、クライマックスには長柄方向に倒すんですから見ていてハラハラします。神輿に乗っている人は飛び降りる寸前直角に神輿に乗っているというか、しがみついているんです。が、倒れる寸前にパッと飛び降りかつぎ棒の合い間をくぐりぬけるのです。そして最後は神輿がバラバラになるまでこれをくり返すのです。この神輿、毎年毎年新しく作るのですからその費用もたくさんかかると思います。何故このような荒わざを行うか祭り人に聞いてみますと、「神さまが喜ぶから」という答えが返ってきます。確かに神輿をこわす祭りはあります。そして祭り人は口をそろえて「ウチの神さまは荒事が大好きだ」と言われます。ふつう神輿は数千万円をかけて新調するのですからこわしていてはそりゃ大変な出費です。ここの神輿は木だけで装飾は一切ありませんし、転がしこわすのが目的なのは見ての通りです。でも中にはうるしを塗ったり、金ものの飾りがついているものもあります。ですから神さまが荒いことを好むからだけでは十分な説明ではありません。ここでの伝説では、もともとは神社の境内で神輿をもみ合っていたのがひょんなことから担ぎ手から神輿が落ちて坂をころげ落ちたのがはじまりだという話もあります。しかし今では奇祭として日本中に知られ観客が大勢やってくるのです。もっとも今年は5月の大雨でJRの橋が流されてしまい、名古屋からの中央線は中津川で終わってしまっていますので、観客が少ないと町長さんはおっしゃっていました。

それでも午後8時半の町中の中心でのクライマックス時には祭り人、地元の人、そして観客が1000人以上集まってかけ声をかけていました。私も祭り人のご好意で途中この神輿をかつがせていただきました。ずしんと肩にきました。でも祭りは参加することに意義があるのです。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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