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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2014年7月のアーカイブ


磯部の御神田

2014年07月24日

磯部の伊雑宮(いざわのみや)の御神田(おみた)田植祭は千葉の香取神宮、大阪の住吉大社の田植とともに日本三大御田植祭として有名です。古代日本 特に弥生時代以降、天照大神を中心とした現在の神道の基本は稲作から始まっていますが、その中でも田植祭は最重要なものです。それが天皇家にゆかりの深い伊勢神宮のすぐ脇、内宮一の宮で行われているのですから意義深いのです。この祭り自身は装束などから観て平安初期と考えられていますが、もっと古いものでしょう。
さてこの祭りの要素は3つです。ひとつ目は竹取り神事。2つ目は御田植神事。そして3つ目は踊り込みです。動、静、動という組み合わせも見ごたえがあります。この祭りを行う伊雑宮は倭姫命(やまとひめのみこと)がこの地を訪ずれたとき一羽の白真名鶴(しろまなづる)がくわえていた稲穂を落として造られたとされています。
ひとつ目の竹取り神事はご料田に立てられた忌竹(いみたけ)を裸の男(田道人―たちど)と白装束の早乙女の男女各6人がご料田の苗代から早苗(さなえ)を取る神事を行った後、40人の男たちが泥まみれになって長く太い巨大なうちわ、ゴンバウチワを奪い合う神事です。このゴンバウチワは神様がここに降りてきていただくためにご料田のはしに立ててあります。そしてこのゴンバウチワには大きく「太一」と帆かけ船の絵が書かれています。「太一」とは天照大神のことです。このゴンバウチワを男たちが取り合うのです。そのとき男たちの足でご料田がほどよく耕されると考えているのです。ともかくすごい風景で本気でゴンバウチワを取り合うさまは観ている人もつい田に入り参加してみたい感があります。

その後、御田植神事というゆるやかな静かな田植があり、参道を一の鳥居に向って「めでためでた」のかけ声とともに踊り込みがあって祭りは終わるのですが、この竹取り神事はまず見ものです。泥まみれになって取り合う男たちが光々しく見えてきます。

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宗像大社 沖津宮現地大祭

2014年07月16日

宗像大社の氏神さまは天照大神さまの御子神さまの三神を祀っておられます。三神すなわち三姫神さまのうち長女神が沖ノ島の沖津宮に次女神が大島の中津宮、そして未女神が宗像大社本体の辺津宮にいらっしゃいます。まず10月1日には沖津宮さまと中津宮さまが御座台に乗って辺津宮さまにお目にかかりに来ます。そして5月27日、28日には人々が沖津宮さまのいらっしゃいます沖ノ島へ参拝にまいられるのです。沖ノ島は島全体がご神体でして、ふつうは宗像大社の神職の人しか入島できません。1年に1回だけ5月28日に、ほぼ200人の氏子または沖津宮を信奉している善良な人が入島できるのです。ですからご参拝したい希望者がたくさんいてその栄光に与れる人は200人しかいないという狭き門なのです。またこの島は女人禁制でして男子のみが入島します。入島するにあたっては大鳥居の前の海岸でまっぱだかになって海中みそぎをしなければなりません。みそぎをすました善男は400段の急斜面につくられた階段を昇り中腹に建てられた社殿で神事を行います。総じて2時間くらいの神事ですが、その神秘性はすごいものです。森の中の1軒家の社殿にひびく宮司さまののりとはおごそかです。しみじみとのりとの意味を教えるにはいい空間です。

神事が終わりますと下山して港で氏子の漁師さんが作る直会(なおらい)がまっています。いわしやあじ、いさきの刺し身と煮つけに舌つづみをうって正午ごろ大島へ帰島し、中津宮に御礼のお参りをします。前日の夕方にも中津宮で渡島(おしま)安全祈願祭を行っていますからその御礼です。感謝感謝の2日間です。

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大山寺 御幸

2014年07月16日

鳥取県西伯郡大山町大山の大山寺御幸は1300年前、奈良時代から行なわれているものです。そもそも祭りがお寺で行なわれるのは珍らしいことです。ほとんどの祭りはお宮、すなわち神社でとり行なわれるのです。大山寺の祭りの形式はほとんど神社による祭りと同じです。廃仏毀釈(仏法を廃し、釈迦の教えは棄却する、すなわち仏教を廃絶すること)の影響かと思いましたが、それは1869年5月のことです。もしかすると大山寺が新宮寺(神社に付属して置かれた寺、但し1868年の神仏分離令によってほとんどが廃絶した)なのかもしれません。といいますのはその記録は古く、 続 日本書記(772年)に書かれているからです。
今回は所用があって行くことができませんでしたのでここのところを確かめることができませんが、写真でみる限り、神輿も担き手も皆、神式なのです。

しかし時代装束を着てお供役を務める行列を先導するのは「不滅の法灯」といって伝教大師様が点灯し、1200年間燃えつづけているものだそうですからやはり純粋の寺の祭りなのかとも思います。
ともあれ興味深い祭りであることには間違いないです。

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藤森祭 駈馬神事

2014年07月16日

この祭りは毎年5月5日の子供の日に藤森神社で行なわれます。その名のとおり走っている馬の上から神さまへ技をご披露して神さまをなぐさめるものです。そしてこの駈馬神事は藤森祭の催事のひとつで、他の余興は日を改めて行なわれています。歴史的には古く1200年前からあったとされていますが資料が燃失してしまっているのです。ことの起りはご祭神のひとつである早良親王が天応元年(781年)に陸奥で起きた反乱の征討を帝から受けて、藤森神社にお参りをし祈願したという故事がもとになっているとのことです。その後いろいろと幅が広がり町衆までもが参加するようになったのです。
駈馬神事は日本全国でいろいろな形で行なわれていますが、ここの駈馬神事はほとんどの型を行っていることからも日本有数の駈馬神事といえます。1例をあげますと手綱潜り(たずなくぐり)逆乗り、矢払い、横乗り、逆立ち、藤下り、一字書きがあります。
どれもが難易度が高いものばかりで、参加者は訓練につぐ訓練を行ないます。
技はどれも手綱から手を離して行なわれますので、馬と乗り手(乗り子といいます)は左のあぶみに荒縄をまいてしばるのみです。そして馬上で倒立するときは乗り子と馬のつながりは全てなくなります。ですから曲乗りに近いのですが、参加者は見せ物として見られるのを嫌い、武士が戦場で戦う時必要な技を披露していると思ってやっています。厳しいものなのです。
さて実際に駈け馬神事が始まりますとその厳しさがはっきりと見えます。乗り子は顔ではニコニコしてますが、心なしか顔がひきつり緊張しているのがわかります。横のり、逆立ち、次々と新しい技が披露され沿道の人たちの拍手とため息で充満します。中でも56才という、こういう催事では超高齢の人がベテランらしく難しい技をやりますと会場はわれんばかりの拍手です。しかしこの方に後で聞いてみますと「13才からやっていますが落馬して肩を脱臼したり足や腕の骨を折ったりして今でも恐怖でたまりません」とのこと、「どうしてそんなにまでしてやるんですか」と聞きますと、「好きなんですネ」の一言。

この方の息子さんもやっているのです。しかし他の人に聞きますと「息子にだけはやってもらいたくない」と言います。どっちにしましてもほとんど練習もせず、ぶっつけ本番だそうですからすごいことです。

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青柏祭

2014年07月16日

石川県七尾市の山王神社(正式には大地主神社といいます)の例大祭のことを「青柏祭」とよんでいます。起源は1473年(文明5年)のことで500年以上つづいているものです。この祭りの見どころはデカ山といわれる巨大な曳山です。もちろん神事はきちんとされ、神興も出るのですが、住民が命がけで守っているこのデカ山は見た目も運行ぶりも関わる人々の心意気も並はずれています。ともかく大きいんです。高さ約12m、重さ20トン、車輪の直径が約2メートル、車輪の重さがひとつ2トン、4輪ですから8トンもあるのです。それをくねくね曲った町内を自由自在にあやつりながら自分の町から山王神社まで引いてゆくのですからそれは言葉に表せない苦労、努力があります。
それを成し得るキーワーズは「テコ」です。かき上げるのも、方向を変えるのに例大祭大デコ、止めデコ、中デコ、脇デコ、ステテコ(捨てていってもいい小さなテコという意味)もすべてテコの作用で決まります。逆がくねくね曲っているので90度とか60度とか方向を変えるのがいわゆる辻まわし、引きまわし、せり上げとか呼ばれている伝統的な技(わざ)です。この時活躍するのが第5番目の車輪(通常は4つの車輪で動いています)なんです。
それを地車(じぐるま)と呼んでいて、これは普通の運行のときは本体の中にひそかにしまわれていて外からは見えません。ところがデカ山が曲り角に来ますと、前輪の合い間からするすると降りてきて、大デコでカチ上げられた前輪に代わってふんばるのです。すなわちデカ山は3輪車状態になるのです。しかし押しても引いても周りも狭いし、地車もまっすぐきいていますからビクとも動きません。それを中デコで後からカチ上げて少しづつ前進させ、その間に脇デコやステテコ 止めデコをうまく使いわけて徐々に方向転換させるのです。ひと辻約20分から30分かけて、上にはりめぐらされている電線や軒をはり出させている町屋の屋根をうまくよけて無事にまわり切れると一斉に見物・引き手の間から拍手やら万才が出てきます。

そして苦労の末数時間かけて山王神社の前祓いに3町3台のデカ山がそろって集まるのです。何ともはやついた時には引っぱっている人はクタクタで地面にあお向けに倒れてしまいます。それをまたもとにもどすのですから大変です。住民はこの3日間のために1年をついやすのですからすごいものです。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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