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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

2013年12月のアーカイブ


五王神社 秋の大祭

2013年12月18日

徳島に江戸時代から伝統的に残っている農村舞台とそこで演じられる「阿波人形浄瑠璃と襖からくり段返し千畳敷(せんじょうじき)でそれを演ずる農村舞台が残っている徳島市八多町の五王神社の秋の大祭に行ってまいりました。江戸時代阿波藍で豊かだったこの地に今でも残っているものですが、その昔は徳島藩全土で行なわれていたのに今ではここだけになってしまったとのことです。
午前10時半から始まる農村舞台はまず式三番叟から演じられます。10時ごろから村人が三々五々舞台の前に集まりはじめます。この間本宮では神事が行なわれ、奉納する人形と人形師がおまいりをします。ただこの厳粛なる神事を老人男女の素人カメラマンがフラッシュたいて何十何百枚と写真とっているのが神事のおごそかさを失なわしています。どこへ行っても神事にづかづか入りこむアマチュアカメラマンに倫理はないのですから規制をかけないといけないと思うのです。神事が遅れ本舞台がはじまったのは11:00となってしまいました。地方の祭りはこういう形が常ですそして午後から雨がふるという天気予報も気になります。さてはじめに演じられるのは式三番叟(しきさんばそう)です。この演目はお祝いの場で舞われる三番目のもので叟とは延命長寿の神さまのシンボルで通常老人の尊称として使われています。お面をつけた翁が祝いごとの言葉を述べながら舞うものです。2番目の演目は傾城阿波の鳴門一十郎兵衛内の段でした。これは浄瑠璃ではあまりも有名な「父の名は阿波の十郎兵衛、母はお弓、そして私はおつると申します」というセリフ。母を訪ねて何千里のもととなっているものです。せつせつとおつるの声が村中にひびいている中、すすり鳴く声がきこえる村人。

そしてクライマックスは襖からくり段返し千畳敷です。これはもうみごとの一言につきます。数メートルの空間を千畳にみせるのです。トリックアートそのものです。

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菊間祭 お供馬の走り込み

2013年12月18日

愛媛県今治市菊間町の加茂神社で毎年秋に行なわれる祭りです。起源は京都の上賀茂神社の競馬神事です。10月20日いよいよ本番です。前日19日の顔みせの日は午後からポツポツと雨がおちはじめていましたので翌20日本番は雨の心配がありました。しかし天候だけは人間がどうこうすることはできません。祭り人全てが心に祈っていたのですが、本番当日の朝、無情にも小雨がふっていました。それでも子供たちは8時からの駆け込みをはじめました。しかし10時ごろになりましたら雨はぴたりとやみ11時近くのクライマックスには落日がさしてきたのです。天は神事を助けたのです。それぞれの人が自分の普段の行いのよさに誇りをもったわけです。馬の走り込みは3頭でするときも7頭のときもあります。競争ではありませんのでスタート点はなく、あうんの呼吸で走りはじめます。参道を走り込みの馬場にみたて、両わきに柵をつくっていて観客が入らないようにしてあります。その脇では獅子舞いなどがあり、山車や牛鬼は走り込みの間をぬって馬場を通って加茂神社に集結し、おはらいを受けます。

午前11時をまわりますと走り込みもクライマックスに達し、その後は神輿が神社からおりてきてお旅所に向います。馬場におりた神輿は各地からやってきたのですが、3つ5つ7つとくっついて連を作ったりしてお互いの関連を深めます。そして昼前には全てがお旅所へ向うのです。

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屯宮祭

2013年12月18日

毎年10月は神無月と言いまして、日本中の神さまが出雲に集まることになっています。すなわち出雲だけが神有月なんです。これは日本の祭りの起源であるエジプトもそうでして、毎年今の7月ナイル川の氾濫がはじまる頃の1ヵ月間エジプト中の神さまがワセト(今のルクソール)に集まりまして、今の名であるカルナック神殿(アメン大神殿)からアメン神をはじめとする神さまたちが今の名であるルクソール神殿(アメン神殿の副殿―日本でいうお旅所又は下社―)に集まり一か月間神さまたちが大宴会を開くというものです。この間神さまが不在となった各地域の人々はどうするのかが古代エジプトも日本も書かれていません。ところがここ長崎県雲仙市瑞穂町伊福地区では神さまが出雲に行かれてしまってはここが危ういということで、人間を神に見立ててというより代役として男衆を宮司が指名し、神の代役として1カ月間(現在では3日間)ふるまわれるのです。これを屯宮祭というわけです。毎年六人の男衆が宮司によって選ばれこの地区全体で祝うというのです。しかも一度この男衆に選ばれたら20年はできないというわけで人口減少の世の中大変なようです。なんといっても現在この地区は80世帯しかいないようで、しかも一家の家長の年齢制限もあるようなので継続が大変のようです。さて当日、台風はここ長崎にはこなかったのですが、その影響で前夜まで強風が吹き暴れ神社の旗もちぎれんばかりにゆれ、はためいていました。しかし天は祭りに味方しました。風もやみ秋空の青天太陽も秋らしくあまり強くありません。六人衆は自宅で各々の友人・知人と宴を張り、午前11時半には「みこし」に乗り友人・知人に引っぱってもらい他の六人衆の家々をまわりながら八幡神社へとお上りをはじめたのです。竹ざおに六人衆の名が書かれた青や赤、白などの色の布地の旗をたて、太鼓や笛、かねなどを打ちならしながら2時間ほどかけ宮入りを果しました。

お宮では神儀を行い、社務所で直会をするというなれた手順で祭りは行なわれていきます。しかし神さまの代理人六人衆は途中であびるように酒をのまされベロンベロン直会のあいさつも何を言っているのかわからないほどでした。しかも2時半には町内まわりを真夜中までやるというのです。そしてこれを今日を入れて3日間。神さまの代理に選ばれる栄誉はありがたいのでしょうが、その代償はとてつもないものがあります。しかしこれが毎年行なわれて400年つづくという土地柄にも心から尊敬いたします。

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河尻神宮秋季大祭

2013年12月18日

熊本県熊本市南区八幡河尻神宮の秋の例大祭です。この祭りはとてもオーソドックスな祭りです。5日間通して行なわれるもので、初日に本宮から氏神がお旅所に行き、最後の日におもどりになるという基本を守った祭りでして、その間にいろいろな余興があります。河尻神宮の氏子たちはその地区を14に分け14年に一回年行司がまわってきます。ただ最近人口が減ってきて1地区では年行司が務まらないときは補助として近くの地区がお手伝いをすることになっています。今年は正行(しょうほ)地区がメインで十三(じゅうさん)地区が補助で催していました。この祭りの主役は馬でもあります。流鏑馬、さがり馬、馬の宮入りなど馬のための行事もたくさんあります。その中でもさがり馬という行事はあまり他ではみられないものです。奉納された馬(今回は5頭)が河尻神宮の参道を駆けるのですがそのとき馬のくつわやたてがみ、くらなどに手をかけ、ぶらさがって足を地面にけるようにあてるという荒業があるのです。5頭(あとからごあいきょうに2頭のポニーが同じようなことを子供によって行なわれますが、)が3回やりますので1、2回ひやっとする場面もあります。全力で走る馬にしがみつくのが精一杯なのに、その間150mの距離の間に50回以上足を地面につけるというのは大へんなことで訓練が必要と思います。

その他の出しものには流鏑馬、馬の宮入り傘鉾(かさぼこ)風流舞、神輿、獅子舞などいろいろありますが、かけ声が変わっています。ふつうは「ワッショイ」ですが、ここは「どうかい」なのです。どういう意味かといいますと、その字のごとく「どうですか」「いいですか」ということですが祭りのはやし言葉としては変わっています。昔は「ぼした」と言っていたそうです。たっぷり5日間祭りにあけくれた人々は、次の日から又、来年の祭りを考えているそうです。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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