吉村作治が観た!日本の祭り
ケベス祭り
ケベス祭りは他に類をみない奇祭として名が高いと言われています。第一その名のケベスの意味が言い伝わってないというんですから不思議です。
祭りはケベスというお面をつけた人とトウバ(当番)の男たちが燃えさかる焚き火の前で火を取り合い、その火をシダの束につけ、集まった人たちに浴びせるというのが式次第とのことです。
全国に火祭りはたくさんありますが、シンプルですが、力強く奥の深い祭りではないかと楽しみにして、当日国見町の岩倉八幡宮に行きました。ともかく1200年以上の歴史のある祭りなのです。
しかしケベスと片仮名で表わしている意味は何だろうと考えてみますと、この祭りはかなり古いものではないかと考えられます。どういうことかと申しますと、言い伝え―音―で伝えられているから、それを表わす漢字がわからず片仮名表示になったのではないかということです。
一説には「えびす様」の「えびす」がなまったものだというのがあります。「え」は「い」に変わり易いので「いびす」となれば、即そうかなということになりますが、母音の「え」が子音の「ケ」になるのはどうでしょう。しかしこの八幡宮は海の真ん前ですから、「えびす様」はかなり関係は深いはずです。
どっちにしてもこうした「語源」の謎はいろいろな謎ときにチャンスをあげるということで夢があります。
行ってみて驚いたのはこの岩倉八幡宮の境内の狭さでした。ここに人々が集まり200本のシダの束の火がぐるぐる迫るとなるとすごいものだなあと感じました。
また「ケベス面」も祭事が始まる前に宮司様に見せていただいたのですが、驚くほど素朴で荒けずりでした。このプリミティブさはかなり古い歴史があるに違いないと直感的に思いました。
鼻がなくなっていましたので宮司様に「いつなくなったかの伝承はないのですか」と聞きましたが、全くこのお面に関する言い伝えはないとのことです。といって秘仏的な扱いはされておらず、約1200年間毎年少なくとも一人の人は被っていたということです。
ということはこのお面を被った人が1200人以上いるということで、お面の内側には1200人以上の人の汗がしみこんでいるということです。そんなことを考えていますと、この面を被った人の人生を知りたくなりました。
トウバの男の中からケベス役を数名選んでおいて、当日その人の名を紙に書いておいて、御幣といわれている祓具(木の幣串に2本の白い紙がはさんであるもの)をかざし、なでるようにその紙の上を動かしますと、ひとつがくっついて、その紙に書いてある名前の人はケベスのお面を被るというもので、よほどの運がないとなれないのだそうですから、ケベス祭りの後半期の物語はかなり興味深いものがあるはずです。
そして日が沈むとあたりが闇につつまれ、本堂の前にある焚き木に火がつけられ、本堂の脇に山のように集められているシダ束をトウバの男たちが火をつけ、まわりにいる見物客に向かって火の粉をふりながら頭上を振っていきます。ですから火の粉を十分に浴びますのでスーツや上等なジャケットには火の粉の穴があいてしまい、記念にはなりますが、二度と着られなくなってしまいます。
トウバは9町ある岩倉社の氏子が減っている今、子どもでも男であれば皆参加しているとのことです。
まず19:00ぴったりに神儀が始まりました。経験のため本堂で行なわれている儀式を見せていただきました。
どの祭りにもある宮司様の祝詞から始まり、他の神儀と同じように進みましたが、最後に他にはないケベスの面の取り付けが宮司様の手によって今年のケベス面をつける権利を取った男性に行なわれました。
それから焚き火にシダ束が投げ込まれ、そのまわりを神司を先頭に神職たち、トウバの役目の方、そして太鼓を打ちながらの行列、その間ケベス面をつけた人と焚き火を守っている人たちの間で火の取り合いが行なわれました。
それが何を意味するかは誰も知らないとのことですが、6回ほど行ったり来たりしてからついにケベス役の人が焚き火を取り、観客に向かって火のついたシダ束をもってまわると同時に白装束のトウバ(当番)の人たちが一気にシダ束に火をつけて人々の間をまわります。この火の粉を浴びるとそれからの一年間、無病と幸運がやってくるということでキャーキャー逃げながらも火の粉を浴びていました。約40分ほどこの火の粉まわしの後、太鼓の音とともに終了、今年は観客は減ったそうですが―祭りが平日のため―若い女性が多く主催者は喜んでいました。
私はトウバの人たちから狙われ、次から次へと火の粉を浴び、逃げまどいました。
しかしケベスと片仮名で表わしている意味は何だろうと考えてみますと、この祭りはかなり古いものではないかと考えられます。どういうことかと申しますと、言い伝え―音―で伝えられているから、それを表わす漢字がわからず片仮名表示になったのではないかということです。
一説には「えびす様」の「えびす」がなまったものだというのがあります。「え」は「い」に変わり易いので「いびす」となれば、即そうかなということになりますが、母音の「え」が子音の「ケ」になるのはどうでしょう。しかしこの八幡宮は海の真ん前ですから、「えびす様」はかなり関係は深いはずです。
どっちにしてもこうした「語源」の謎はいろいろな謎ときにチャンスをあげるということで夢があります。
行ってみて驚いたのはこの岩倉八幡宮の境内の狭さでした。ここに人々が集まり200本のシダの束の火がぐるぐる迫るとなるとすごいものだなあと感じました。
また「ケベス面」も祭事が始まる前に宮司様に見せていただいたのですが、驚くほど素朴で荒けずりでした。このプリミティブさはかなり古い歴史があるに違いないと直感的に思いました。
鼻がなくなっていましたので宮司様に「いつなくなったかの伝承はないのですか」と聞きましたが、全くこのお面に関する言い伝えはないとのことです。といって秘仏的な扱いはされておらず、約1200年間毎年少なくとも一人の人は被っていたということです。
ということはこのお面を被った人が1200人以上いるということで、お面の内側には1200人以上の人の汗がしみこんでいるということです。そんなことを考えていますと、この面を被った人の人生を知りたくなりました。
トウバの男の中からケベス役を数名選んでおいて、当日その人の名を紙に書いておいて、御幣といわれている祓具(木の幣串に2本の白い紙がはさんであるもの)をかざし、なでるようにその紙の上を動かしますと、ひとつがくっついて、その紙に書いてある名前の人はケベスのお面を被るというもので、よほどの運がないとなれないのだそうですから、ケベス祭りの後半期の物語はかなり興味深いものがあるはずです。
そして日が沈むとあたりが闇につつまれ、本堂の前にある焚き木に火がつけられ、本堂の脇に山のように集められているシダ束をトウバの男たちが火をつけ、まわりにいる見物客に向かって火の粉をふりながら頭上を振っていきます。ですから火の粉を十分に浴びますのでスーツや上等なジャケットには火の粉の穴があいてしまい、記念にはなりますが、二度と着られなくなってしまいます。
トウバは9町ある岩倉社の氏子が減っている今、子どもでも男であれば皆参加しているとのことです。
まず19:00ぴったりに神儀が始まりました。経験のため本堂で行なわれている儀式を見せていただきました。
どの祭りにもある宮司様の祝詞から始まり、他の神儀と同じように進みましたが、最後に他にはないケベスの面の取り付けが宮司様の手によって今年のケベス面をつける権利を取った男性に行なわれました。
それから焚き火にシダ束が投げ込まれ、そのまわりを神司を先頭に神職たち、トウバの役目の方、そして太鼓を打ちながらの行列、その間ケベス面をつけた人と焚き火を守っている人たちの間で火の取り合いが行なわれました。
それが何を意味するかは誰も知らないとのことですが、6回ほど行ったり来たりしてからついにケベス役の人が焚き火を取り、観客に向かって火のついたシダ束をもってまわると同時に白装束のトウバ(当番)の人たちが一気にシダ束に火をつけて人々の間をまわります。この火の粉を浴びるとそれからの一年間、無病と幸運がやってくるということでキャーキャー逃げながらも火の粉を浴びていました。約40分ほどこの火の粉まわしの後、太鼓の音とともに終了、今年は観客は減ったそうですが―祭りが平日のため―若い女性が多く主催者は喜んでいました。
私はトウバの人たちから狙われ、次から次へと火の粉を浴び、逃げまどいました。
祭り軍団座長


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