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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

毛越寺常行堂二十日夜祭

2017年02月03日

岩手県の平泉町の毛越寺の春祈祷の結願の日に行われる夜祭りです。今回は1月20日のことでした。東北、北陸は連日連夜大雪で、どうなることか心配していましたが、心配するほどの大雪ではありませんでした。しかし夜の8時頃から始まる行列では絶えまなく雪が降り、裸の男衆の肌もひきつっていました。観る方の私たちも足の指先が凍りつくような感覚で、つい足先を動かさざるをえない状態でした。この祭りは結願の催しだけでなくいろいろな要素があり、夜半の4~3時間、人々は毛越寺にくぎづけになっていました。
メインは毛越寺の常行堂で行うものです。毛越寺の行事ですから、当然お坊さんが主導の仏式ですが、少し変わっているのはお堂の中心であるご本尊の阿弥陀さまなのです。それは阿弥陀さまの足元の摩多羅神(またらじん)と呼ばれる神さまの存在です。摩多羅神そのもののご開帳は33年毎というのですが、いろいろな点でこの祭りは、神道の様式がくみこまれています。東北・北陸地方に今でも残っている風習、神仏混淆のなごりだと思います。ですからそこで行なわれる延年舞も神事に近いものでした。即ち神楽に近い舞なのです。しかし1曲20分から30分、唄もなく笛と太鼓だけで舞い、台詞があっても口の中で呟くので、聞く方はあまりよくわかりません。とても大変そうですが、寒さにも単調さにも勝る、舞うことへのその真剣さにオーラを感じます。

この祭りは外部に見せるものではなく、近所の人だけで守られてきましたので、ギャラリーも舞手に負けず劣らず真剣です。荘厳な祭りです。

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野沢温泉の道祖神祭り

2017年02月03日

あの温泉とスキーで有名な野沢温泉の祭りです。スキーが人気の冬のスポーツになる前は本当に小さな村で冬場は雪に埋もれていたのですが、観光協会の会長が言っていたように今や1シーズンに2万人ほどのスキーと温泉のお客さまが来るそうです。
中でも1月中旬に行われるこの道祖神祭りには、6千人以上の観光客がやってきて一晩二晩と楽しんでいくそうです。しかもその内の70%は外国人で中でもその60%近くはオーストラリアの人だそうです。確かにこの祭りに参加しますと、人々の会話はほとんど英語ですので英語の勉強になります。中でもひときわ目立っているのが、ボランティアで「通訳」というゼッケンをつけた若者です。
みどころはクライマックスの火祭りでした。今年は1月15日の夜です。この日は木材で作った仮の社殿のようなものの上に、42才の厄年の男たちが登り(今年は20名だそうです)、その下に火をつけようとする村人と、今年25才になった厄年の青年がそれをとめるという行事です。普通この辺の村々での道祖神は石で作られているのですが、ここでは「ドウロクジン」とよばれる木で作られています。もともと道祖神は村の入口で村に災いが入らないように村を守るためにいるのですが、ここの道祖神はそれにプラス良縁をとりもつもので、子宝をさずけるという効用があると言われ、村人に強く信仰されています。しかも木で作られたここの道祖神は毎年この日に焼かれ、また新しいものが作られます。
祭りの流れは1月13日に社殿柱となるブナの木、御神木を山から切り出し村に運びます。もっともこのブナの木は、前年の秋から見当をつけていて毎年5本切り出します。切り出されるブナの木は樹齢100年以上、高さ20m、直径30~40cmと決められていて、昨今では選ぶのが難しくなっているそうです。それらの木を切り、組み合わせて村の広場に社殿を組み上げるのに2日かかります。それを当日、皆で燃やすのですからすごい迫力があります。

今年の1月15日は北陸~東北が大雪で、野沢もその影響で大雪、しかも強風の中での火祭りですから、その迫力はすごいものでした。種火が会場についてから約2時間行事があり、社殿に火がついたのは11時ごろでした。火の粉が風に舞いその間を雪がうめ、すさまじい勢いでした。奇祭のひとつです。前の年のいろいろな災いや悩みは全て燃やし切るというのが村人の願いなのです。

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銀鏡神社大祭

2016年12月28日

宮崎県西都市の銀鏡(しろみ)地区にある銀鏡神社で、毎年12月に行なわれている大祭です。この大祭で奉納されているのが「銀鏡神楽」です。神楽というのは神さまが演じるのではなく人が演じることによって神さまが楽しむ、喜ぶものですから演目も神話が中心です。神さまたちの歴史や物語を人々が演じて神さまと同化するのです。
神楽は舞いとよく似ていますが、そこには物語があって、観る人はその物語をよく知っているのが原則です。しかし、こと銀鏡神楽は一晩で33もの演目を舞うわけですから観客はそのディテールまでを知っているわけではないのですけど、舞いの流れで「ふむふむ」と納得するわけです。
鳴りものがあり、時にはうたいも入り、舞台の中央は演じ手が舞うのです。長い演目となると30分、1時間のものもありますが、ここの氏子衆はじっと真剣なまなざしでご覧になっていました。観る態度がすばらしく、立って観ておられる方は殆どなく、ひざかけや座布団持参の見物の方ばかりです。中には座椅子を持ち込み一晩の長期戦に備えておられる方もいました。また、演じ手には中学生も交じっていて初心者用の神楽を舞っており、村中の氏子衆がこぞって祭りに参加している感じがひしひしと伝わってきました。
そして本殿祭の前夜祭として31番までが奉納され、32番の「ししとぎり」は拝殿の前で舞い、狩りで山に入って捕らえたイノシシをしとめるところが舞われます。
さて12月14日、この祭りに参加すべく西都市銀鏡神社に行ったときのことです。何と神社への道がガケ崩れによってふさがってしまったのです。14日の午後3時ごろ前々日の大雨による土砂くずれとのこと、これを意味するのは神が「来るな」ということなのかなどと考えましたが、きっと祭りを滞りなくしたいためのことと解釈しました。わずか人一人歩ける程度のすき間をぬって神社に入りますと、辺りはけものの臭いです。きっと15日に行ういのししなべの供物が飾られてあるのでしょう。

着いたときには神楽が始まったばかりでしたが、観客がみなきちんと背筋を伸ばして聴いているではありませんか。すばらしい観客です。一晩中やるというので、子供たちを含めてみなさん毛布をひざにかけ聴き入っています。なかなか見ることのできない風景でした。翌日にもあり、そして最後に神送りの神楽でしめるのです。とても清々しい祭りでした。

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毛呂の流鏑馬祭

2016年11月18日

埼玉県入間郡毛呂山町の出雲伊波比神社の祭りで、そのメインイベントが3人の少年による流鏑馬です。日本には流鏑馬は多々ありますが、少年だけによるというのは珍しいです。まず神事をあでやかに行った後、「朝的(あさまとう)」の流鏑馬があり、午後には「夕的(ゆうまとう)」の流鏑馬があります。これは本番で、そこに行くまで、1週間くらい前から少年たちは境内の百間馬場で練習を行い、身を清め技をみがいております。弓を引く少年は乗り子という名で、乗り子に選ばれるのは大変名誉なことです。それだけに訓練も厳しくそれに少年たちが耐えるのです。この祭りは源頼義・義家親子が東北の蝦夷征伐に向うときこの神社で合戦の勝利を祈願したことに始まったと言われていますので、この数日間に合戦を思わせる行事が行われます。
この流鏑馬は一の馬二の馬三の馬が登場しますが、その意味は源頼朝の家臣だった毛呂氏がこの毛呂郷を3分割したことに由来するとのことです。現在では一の馬は一年ごとの地区の持ちまわりで行われているとのことです。

流鏑馬の行われる馬場は約200mあり、そこを3頭の馬がかけるのですからすごい迫力です。しかも一の矢二の矢三の矢と3回たてつづけに矢を放つので、乗り子も大変だと思います。この少年たちが成人したときこの祭りを継いでいくのです。

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桧の獅子舞

2016年11月18日

徳島県鳴門市の大麻比古神社の11月1日の例祭に行なわれる獅子舞です。
この獅子舞は鳴門市の大麻町桧地区で江戸時代初期から続いているもので、この周辺の町々で行われている獅子舞のお手本になるくらいダイナミックであざやかです。構成は雌雄の獅子の舞し手とおはやし、大太鼓、小太鼓が演奏される華麗なものです。まずすごいなと思ったのは獅子の舞い方の大きさです。獅子は頭(かしら)としっぽの2人組みなのですが、「ねりこみ」「てれつく」「しんぎょく」「きつね」「のた」の5つの舞いで構成されているのです。そしてひとつの舞いで全力を尽すので、ひとつの舞いが終わると、舞う人は代わります。その代わり方もスムーズでよく見ていないとわからないのですが、舞い終って獅子から出てきた人は息も荒々しく、それを観ているといかに大変かわかります。
 私も獅子頭を持たせていただきましたが、5kgあるといわれまして、片手で持てるものの、もうひとつの手で口をパクパク出来ると思っていましたが、とても出来るものではありませんでした。もともと獅子が人々の頭をかむ形をとっていますが、これはその人の心の中に入りこんでいる悪魔をくいちぎる意味があります。

すなわち、悪魔払いなのです。しかしすごい勢いで演じられるので観ている人ものみこまれそうです。おそらく日本一の獅子舞いではないでしょうか。

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西条まつり

2016年10月31日

「ちょうさ、ちょうさ」と呼びながら、ダンジリを担ぐ男たち。総勢300名以上もが加茂川の中で黄金でつくられた「神輿(ここではみこしでなく「しんよ」とよんでいます)」をかこんで西岸にあげないぞと神輿の行手を阻んでいます。
その間約30分、神輿は上流に行ったり下流にもどったり、阻止するダンジリの間をくぐりぬけようとしますが頑張って通さない動きが活発です。これは愛媛県西条市が毎年行っている西条まつりのクライマックス、川入りの場面です。両岸には約70台のダンジリが提灯に灯りをともして、人々はその様子をハラハラドキドキながめています。あたりはもう真っ暗です。「暗い中での川入りってミステリアスでドキドキしますね」と私の脇にいらっしゃる宮司さまに言いますと、「うちの神さまは天照大神ですから日のあるうちにこれをしないといけないんですが、今日はダンジリの運行が遅くなりついに日の入り後になってしまいました」とつらい思いを語ってくださいました。ともかくやっとのことで東岸にのぼった神輿を結界の中におさめて、神事を行い祭りは終わりをつげました。長い長い1日でした。

この西条まつりは何と1800年の歴史があり特に江戸時代にこのダンジリが大集結することになったようです。私にとっては今回が2回目の西条まつり、十分満足しました。この祭りは、祭りの全てがあります。最後の神楽も若い2人の巫女が浦安を舞ったときは目になみだを浮かべる担ぎ手もいました。素晴らしい祭りでした。

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佐倉の秋祭り

2016年10月27日

千葉県佐倉市の麻賀多神社の秋の大祭です。3日間続くこの祭りはオーソドックスな祭りとして有名です。どういうことかと申しますと、まず神事がきちんとされるということです。約1時間半かけてしっかりと祝詞もあげ、神式にのっとって儀式を行う。また玉串奉天もしかるべき団体の方々が社殿の外に勢ぞろいして代表者と共に祈るなど様々な点で正式に行われます。そして神輿ですが、麻賀多神社のものは1トンもあります。それを約60名のかつぎ手が一斉に持ち上げるのですが、かつぎ手は年齢は若く、当然のこととして背丈はバラバラです。そこをうまく位置の配分で補っています。また掛け声も独特で「明神まつり」、「明神まつり」と叫ぶのです。掛け声にしては少し長いような気がしますが、麻賀多神社の明神さまがいらっしゃるわけですから、一声一声、「明神」さまに感謝をしていることが伝わりとてもいい感じです。日本全国一番多い掛け声は「わっしょい」ですが、こういうのもいいですよ。そして神社の階段をおり、町中に入る前、屋台(山車)がいてここで一回パフォーマンス、屋台の前に神輿のかつぎ棒の前端をひっかけ、屋台と神輿が大きくゆするのです。その時、かつぎ棒は神輿からはなれ、山高帽子に紋付はおりの6人の方にかつがれます。
佐倉の秋祭りはこの麻賀多神社の他、愛宕神社、神明神社、八幡神社の4神社が合同で行われていますが、ここで一番有名なのは、佐倉ばやしです。またこのはやし衆が乗っている屋台と山車は現在18台あるそうですが、山車の上に乗っている人形が特徴的です。18台のうち3台が大人形を屋台の上にのせているとのことですが、この人形は歴史が古く、江戸時代から伝わるそうです。

もうひとつ目をひくのはこの屋台を引く人です。子供がほとんどなのです。「えっさの こらさの えっさっさ」との掛け声で子供たちが引いていく姿に、佐倉が今後ともこの祭りを続けるぞとの思いがこめられています。佐倉は北総4都市が今年、日本遺産と認定され、佐倉は城下町として認定され町中がもりあがっていました。つくづく日本の活性化は祭りだなという気がします。

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藤崎八旛宮例大祭

2016年10月18日

熊本県、熊本市のど真ん中にある藤崎八旛宮の例大祭です。ともかく例年は大規模で参加者1万7千人という祭りです。しかし今年は大地震の影響で約半数に減ってしまったとのことです。しかし、大地震があっても頑張ってやった意義は大きく、掛け声の「ドーカイドーカイ」「いやさかいやさか」の響きからは、復興の意気が感じられました。ここに謹んでお見舞い申し上げますとともに、1日も早くもとに戻し、以前にも増して盛んになっていただきたいです。
この祭りの特徴は、通常ですと70頭(今日は半数)の飾り馬の行進です。まず行列の先頭は「隋兵(ずいびょう)」とよばれる勇壮な武者行列です。次に「新町獅子舞」、そして勢子に引かれた飾り馬の「馬追い」です。行列は通り過ぎるのに2時間から3時間はかかるといいます。この行列が熊本市内を練り歩くのですからすごいです。
歴史をみましても1000年以上続いたこの祭り、市民が一体となってやっているのがわかります。生れて1才にも満たない赤ん坊をかかえた若いお母さん、小学生、中学生、そして高校生。青年はこのために他のところから会社を休んで参加します。

大人は昔をしのんでおしゃべりしながら歩いていますが、飾り馬の口とり人は大変です。馬は容赦なくあばれます。それでも4時間近くかけてお旅所へ、2、3時間休んで還御です。市内中一体となってやっている姿が印象的でした。
終って地震の跡を見ましたが、まだ復興ならずでした。

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赤崎神社例祭

2016年10月18日

長門市の赤崎神社の例祭の特徴は、国指定重要有形民俗文化財となっている楽桟敷のある舞台で行われる舞踊を、氏子をはじめ集まった人々が観るというところにあります。勿論、この催しが始まる前には神事が行われます。いわゆる舞踊は神さまを喜ばせつつ、氏子たちも楽しむ祭りの中の余興の部分です。
起源はいろいろあるようですが、今から400年ほど前に牛馬の疫病が流行したため農耕と牛馬の守護神である赤崎神社に祈願したところ鎮まったことのようです。
まず、「式三番叟」は楽桟敷上でなく隣の広場に特設された舞台で行なわれました。次に、楽桟敷に舞台を移し、「月の前の御伶楽」と「湯本南条踊」そして「虎の子渡し」がつづけて演じられました。舞踊が行われるのは楽桟敷に囲まれた舞台(アリーナ的な空間)ですが、唄はなく楽器だけで行われます。単純ですけど、めりはりのついたとても楽しめるものです。

しかし、始まってから4時間続くこの祭りはとても忍耐力が必要です。下手をすれば、ついつい眠ってしまうこともあります。子供が中心の舞踊はつなぐという意味からは大変重要なものです。衣装もとてもきらびやかで、つけている子供たちが晴れがましさを隠せない楽しさがありました。

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神舞行事

2016年09月07日

ともかく異例づくめのお祭りです。まずお祭りの場所が山口県にあり、お祭りの主体は大分県の国東市の伊美別宮社というところがやるというのです。
いきさつは今から千年前に遡り、国東の伊美に京都の石清水八幡宮からご分霊を奉じたときのことです。途中台風に会い祝島というところに逃れ、そこでよくしていただいたとのことです。ところが祝島には3軒の人家しかなく、とても貧しかったので、そこで荒神さまをおまつりして、麦の種をさしあげ、農耕を教えたりしたので、祝島はすこぶる繁栄したのだそうです。その感謝のしるしとして、伊美別宮社に参拝するとともに更には伊美別宮社の神職たちを祝島に迎えたのがはじまりといいます。
この物語もかなり稀少なものですが、山口県と大分県が分かれてお祭りしているのも珍しいことです。

行ってみますと国東の伊美と祝島は50キロ近く離れていて、高速船でも1時間余かかります。山口県からは10分~15分で来ることができます。しかしこれが千年近く続いているというのはやはり日本人の心の豊かさといえます。感謝の形を千年近く続けていくというのは素晴らしいことです。

吉村作治

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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