昔から石垣島や西表島へ行くのが夢だったが、今日は石垣島へ着き、そのまま港から高速船にて西表島を左手に見ながら、人口50人弱の離島鳩間島へ行くとは思いも寄らなかった。しかもこれらの島を合わせて16の島が竹富町という石垣島の南の端にある町に所属していることも行ってみるまでわからなかった。
午前4時に起き羽田に行き那覇で乗り換えて石垣に行き、そこから高速船で約1時間、鳩間に着いたのは午後3時であった。
かなり長い旅と言える。祭り初日は夜通し神に祈りを捧げるユードゥシ(夜通し)があり、2日目の早朝はミルク(弥勒菩薩のこと)行列があり、一旦休んでガンパチという神様に御礼を言う儀式があり第1部は終わる。
この間(1泊2日)に島民のほとんどと島出身者、観光客、ジャーナリストが100人ほど参加する。後日、日を改めて奉納芸能やパーレー(船の競漕)や綱引きが行われ神々に奉じられる。全て古くからこの島に宿っておられる農業、漁業の神々への御礼と祈願のため行われるもので、本来は女性の神司のような人、司(つかさ)が執り行うのだが、昨年末、最後の司が辞められ現在は公民館の館長が代行している。なんとも不思議な祭りだ。
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この祭りは奇祭の中の奇祭と言われるだけあって、めったに出会えないものだというのが私の感想です。
けんか祭りで2基の神輿がぶつかり合うとか、ダンジリがぶつかり合うというのは多くないがありますし、何回も経験しています。しかしこの祭りはちがうのです。2基の神輿があるのにこの2基は別々に行動するのです。この2基の神輿の間にキリコ(奉燈)が40台あるのです。
神輿を担ぐ若者は男衆で、選ばれた20名。そのまわりに予備の人とか指揮をとる人が10数人います。重さは推定500kgですからひとりひとりにかかる重さはかなりのものがあります。それを午後21時頃から翌朝の2時、3時まで宇出津(うしつ)町内を練り歩くのですから大変だと思います。又、キリコは1台最低でも40人は担ぐのに必要といいますから2000人近くの若者(キリコは女性でも担ぎますので外から見ますと華やかです)が7月の第1金、土に集まるのです。
普段はひっそりとした町も、この祭りの時はにぎやかとなり、町の人たちにとって1年中で最も楽しい夜となるそうです。町の路地はほとんどの家が、道に面していて、玄関と居間が道路から出入り出来る構造になっていますので、祭りの当日は戸を開けはなして道ゆく人々を招き入れ、ふるまい酒をします。これはどこの祭りでも同じような形をとっていますが、ここ宇出津は特にすごいです。 この投稿の続きを読む »
「くらやみ祭」という名前を聞いて「やみ鍋」的なものを連想する人もいると思います。すなわち神様への1年の感謝のしるしとして、やみ夜の中で氏子たちが踊りを奉ずるというものだ。
神社の境内などを鍋に見立てて、人々を鍋の具として神との交流を示しているというのです。しかしここ府中市の大國魂神社例大祭「くらやみ祭」は少々趣きが違うのです。尊い神様の姿を人間が観てはいけないということから、町中の灯りを全て消して神輿の御旅を見送るところから「くらやみ祭」という通称がついたのだということです。しかもこの祭りは1000年の歴史があるというのですから驚いてしまいます。しかもこの祭りのメインイベントである渡御には一之宮から六之宮にある8基の神輿が参加するのです。
以前は御旅は真夜中、午前0時発だったとのことですが、現在は生活様式に合わせて陽が沈んだ後、午後6時に花火を合図に神輿の先導役の大太鼓が打ち鳴らされて始まります。まず御先祓太鼓がやってきました。これを先頭に二之宮、三之宮と6つの太鼓が続きます。特に二之宮の太鼓講中の方々の中に活発な方がいらして観覧席に寄ってきて、おみくじやあめを配られ、皆さんの手拍子の誘導をします。6つの太鼓の後にいよいよ一之宮から始まって8つの神輿がお宮から出てきます。
ひとつ1トンはあろうと思われる神輿を40人くらいで担ぐわけですが、担ぎ手の中に女性が大勢いました。これは府中の伝統的な特徴なのか、時流におされてのことなのかわかりませんが、観ていて白装束の神輿担ぎの衣装が華やかです。 この投稿の続きを読む »
私の父は職人でしたが、玄関の入口脇にお稲荷様のお宮を置き、毎年2月の初午祭を行っていましたので初午祭につきましては関心がありました。初午祭の前夜祭であります宵宮には近所の方や職人仲間をお呼びし宴会をしていました。初午イコール美味しいものが食べられるというイメージで、祭りの原形といえます。今回の霧島の隼人町の初午には残念ながら参加出来ませんでしたが、『午』すなわち本物の馬が出動とありますのでびっくりしたとともに、そうだなと思いました。確かに神様に安全・多産・豊作などを祈願するとき、普通は山車とか神輿を出すのでしょうが、ここでは飾り立てた馬と踊りを神様にお見せするというのも納得がいきます。しかも460年も続いているというのですからすごいです。馬を祭りのメインにする意味は聞くところによりますと、室町時代に島津貴久公が鹿児島神宮にお参りに行かれたとき夢に馬頭観音さまが現れて、「お堂を作って祀ってくれたら国を守ってあげよう」と言わて作ったとありますが、こうした言い伝えはエジプトにもあります。ギザ台地の大スフィンクスが砂で埋もれていた頃(今から3500年ほど前)その上で昼寝をしていたトトメス4世が同じように夢の中で大スフィンクスに「頭の上の砂をとってくれたら王にしてあげよう」と言われ、そうしたところ王になったという記念碑が残っているのです。伝説っていうのは土地が変われど本質は変わらないものだと思いました。
歴史も古く、地域の人達からも愛され続けてきた川名津の柱松神事に興味を強く持っていましたが、急遽エジプトに行かなくてはならなくなり、残念ながら祭りに参加出来ませんでした。というのも今回「エジプトの世界遺産に寄与した外国人への金メダル」という賞をいただくことになり、その受賞式が4月18日キザ台地の大スフィンクス前で行われた為です。私は今まで賞というものをもらったことがなく、生涯賞とは無縁と思っていましたが、大好きなエジプトから頂けてとても嬉しかったです。
それにしても行くと約束していた祭りに行けず残念でしたし、申し訳ないと思っています。
参加していないのでこの祭りの様子はわかりませんが、資料を読みますと20m(12間)近い大木(御柱松)を神社前の広場に立てるもののようです。
本来柱木には松を使っていたようですが近年は杉になったと言います。柱を立てるということは諏訪の御柱もそうですが、『天に届け』とか『天にいらっしゃる神様と交流したい』という人間の心を表わしています。
古代エジプトでは木を使わず、御影石の柱を造り(長いものでは30mを越すものもあります)その頂きに太陽神を宿らせるという神事がありますが、本質は同じものでしょう。人間にとって天は尊いものだからです。それと川名津は18世紀末の大火によって痛い目にあったことから木を崇め、火を封ずるという意味も含まれているようです。20m以上もある木の柱を人々が気合いを入れて立てる(「松起こし」)のはきっとすごいものに違いありません。
長野県の諏訪大社御柱祭は、日本で最も有名な祭りのひとつでしょう。有名になったきっかけが荒々しくて、ケガ人や時には死人が出るということなので一概に喜んでばかりはいられないのだが、集まる人の数がすごい。上社と下社を合わせると50万人どころではない数とのことです。しかも7年に1回という貴重さも好奇心をそそるようです。
私もそのひとりで1回観たいと思っていました。その願いが今回叶えられたのです。
幸い前日長野市信濃美術館で「吉村作治の新発見!エジプト展」が開会したのに合わせて長野市に行ってましたので、その帰りに立ち寄ることができたのです。
神輿のけんかと舞楽で神様を楽しませる祭りと聞きますと、祭りとしましては全国的にも一番多いパターンの1つだと思うのですが、きっと糸魚川という土地柄を表した特色があるに違いないのです。
今回私は長野で開催されます私の「吉村作治の新発見!エジプト展」の開会式に出席のため、この祭りには参加出来なくて残念です。
糸魚川といえば私たち考古学者の間では翡翠の原産地として有名で、私も訪問したことはありますが、その頃はこの祭りにつきましては気付きませんした。伝え聞くところでは500年の歴史のある大漁祈願の祭りのことできっと格式高いよい祭りだと思います。けんか祭りと聞くとケガ人が出るのではないかという方もいらっしゃられると思いますが、昔はともかく昨今は皆さん気を付けておられますし、神様としましても人がケガをすることを望んではいませんので心配ないものと考えていいと思います。
日本全国を祭りをテーマにして巡っていますと、感じることは神話がバックにある祭りは人間でいいますと背筋がまっすぐな人のようです。太平洋戦争で敗戦した日本は神話を事実に基づかないたわごとと断じ、又は断じさせられ教育の場から排除してしまいました。よって私たち日本人は背骨を失った人間と同じようにふにゃふにゃとなってしまったのです。
神話が学校教育で教えられていない国は、神話が出来ないほど歴史が浅いか、国意識が未発達な国だけで、日本のようにきちんとした国造りがされ、その時の事象を神話として伝えている国は誇るべきなのです。誤った国家観をもった文化人と称する人たちは、事実でないものを排することがいかに国民の不利益になるかを知らないか、知っていても何かちがう目的でそれを否定しているとしか思えません。
私たちのように歴史学や考古学を研究していますと、まず事実を確認し、その事実から真実を探求していくというプロセスを行います。これを研究といいます。
ですから、神話のように時代や場所、登場者が不明確なものでも対象とします。まず何故それらの事実を変えて表さざる得なかったのか、そして変えられた事実の裏にはどのような真実があるのかです。それには神話をまず再現しないといけないのです。その時代にたちかえってみるということです。故に、神話をバックにした祭りは心にひびくのです。もちろん祭りは神話のひとつで、逆も又、真なのです。今回の青柴垣神事はそういう意味でとても楽しみにしていました。
日本最古の人形芝居ということで関心も深く自分の眼で観てみたいと考えていたのですが、どうしても外せない急用ができてしまい行くことができませんでした。
昨今の少子化現象と都市への流出の影響で人員不足を補うためと、伝統芸術を後世に残すため、どこの祭りでもそうですが、保存会が組織されてきています。
ここもそういった組織があり、40人もの人が参加しているとのことです。日本は素晴らしいことです。しかも親から引き継いで保存会に入っている人が少なくないということも日本ならではのことです。
人形舞の中で「お狂い」というシーンがあるそうですが、祭り特有の型のできたユーモアだと思います。このようなコミカルなシーンがないと祭りは盛り上がりません。写真やイラストを見る限りではかなり大きな人形なのできっと見ごたえも充分あったと思われます。
2月26日(金)(旧暦の1月13日)に愛知県稲沢市で行われる国府宮のはだか祭に行きました。
ともかく祭りに参加するはだか男が約1万人いると聞き、びっくりしました。
見物人より参加者の方が多いのではないかという心配がありましたが、とんでもないことで、その倍近い見物人というか参拝の方がいらっしゃったのです。国府宮の周りはごったがえすというより、固まっているといった方が正しいほどの人の群れでした。
屋台がそれに伴って多く、少なくとも100台はいるのではないでしょうか。定番の食べもの、ゲーム、その種類は多く、同じものも少なくありませんでした。こんなにあって商いになるのかしらと余計な心配をしてしまいました。
この日は天気予報では雨、しかし私たちの運からいって必ず晴れると信じていましたが、その気配は全くなく、ついには終日雨、どしゃぶりと言った方がいいくらいの雨でした。この祭りも30年以上雨が降ったことがなく、主催者は戸惑いを隠せません。雨の時の進行の予断がつかないのだそうです。
































