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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

山王祭

2018年06月20日

「東京が江戸に戻る日」、いいタイトルです。私のところから都心に向うとき、いつも日枝神社を見上げながら行きます。しかし今まで日枝神社の祭典は見たことがありませんでしたが、実際に見てすばらしいものを実感しました。私が参加したのは6月8日の神幸祭でしたが、その行列のすばらしさにおどろきました。
まず先頭のお囃子、そしてそれにつづく猿田彦、獅子頭、3基の神輿、それにつづく色とりどりの神宮の列、何と500人以上の人の参加です。見物していても行列開始まで約20分。特に天皇皇后の2基の神輿が目立ちます。おそらく現在では日本で唯一の天皇皇后の神輿でしょう。

そして皇居の坂下門での神事。たぶん皇居をお旅所のひとつと考えているのでしょう。何かほのぼのとしたものを感じます。自然崇拝、多神教世界、そして一番の特徴は全ての自然が神さまで、それを大切にするというところです。ともかく充実した一日でした。

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豊年祭・古堅のミーミンメー

2018年06月20日

沖縄県南城市古堅のミーミンメーという祭り。沖縄には片仮名の名のついた祭りがけっこうあります。やはり異国情緒といいますか、どこか日本離れしたものを感じます。200年前からこの地で行われている伝統行事です。一番の特徴はミルク様と旗頭を先頭に、子どもたちが踊りながら進む行列です。ミルク様とは私たちのいう弥勒(ミロク)菩薩のことです。琉球独特の言い方で、いたるところでそう言われています。
子どもが声を合わせて「ミーミンメー」と歌いながら踊る姿はとてもかわいいものです。「ミーミンメー」はどうも沖縄由来のわらべうたのようです。

この祭りは子どもたちが中心で、大勢参加する祭りです。少子化が進み、日本の地方は人口減で困っている中、人口が増えている沖縄ならではのことです。とても楽しい祭りでした。

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葵祭

2018年06月20日

京都の三大祭りのひとつで全国的にも祭りの代表として有名なものです。行列の出発点は京都御所で下鴨神社、上賀茂神社へと練り歩くものです。行列の総勢は500名余りという大きなものです。今から千数百年前に始まったと言われていて、衣装は平安時代のものです。中には十二単の女官姿の女性が当日の暑さにもまけず、しずしずと歩いているのには頭が下がりました。葵祭りは「静」の祭りで、全て宮中の品がただよっています。

しかし外側から見ていると祭りが終わってこの衣装を脱ぐときの楽しみで苦しさに耐えているのではないかと思えるのです。本当に大変そうです。観る側も御所に敷きつめられた玉砂利に足をとられながら行列の後を歩くのも大変でした。

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山王祭

2018年05月10日

高山祭、山王祭は屋台があまりにも有名で、屋台の品評会のように見られていますが、実は最もオーソドックスな祭りです。神さまが天上から降臨される儀式、神さまに内宮からお移りいただく儀式、そして神輿の氏子衆家々へのご迎幸、お旅所でのご一泊、そして神社へのおもどりと、儀式が続く中、ご迎幸につきそう屋台(山車ともいう)の絢爛さが人々の眼をひくのです。
この屋台のご迎幸は「動く陽明門」とも称されています。屋台の起源は1700年頃と言われており、歴史の上でも日本の代表的なもので、現在、国の無形文化財でありユネスコ無形文化遺産にも登録されています。屋台行事は曳きそろえ、からくり奉納、夜祭りと人々をあきさせません。朝、昼間、夕方、夜とその印象は全くちがうものです。特に金色と赤は神さまの好きな色ですが、その2色が中心となり、時代絵巻のように繰り広げられる光景はみていてうっとりとしてしまいます。屋台を曳く人の顔つきが神々しく素敵です。

屋台はどれをみてもすばらしいもので、いかに高山が豊かな土地であったかということがわかります。

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御塞神祭

2018年03月14日

雪がちらほら降る夜、周辺の住民が500人ほど、外からやってきた人が100人ほどの人々がお札とご神体を奪い合う祭りでした。
旧暦の小正月に行われます。今年は3月2日でした。祭りそのものは少し変わっていますが、神事もきちんとされていますが、クライマックスのご神体争奪戦がともかく大変なのです。ご神体はその日の朝、有志の方が山へ松を切りに行き、生木を男根の形に切りそろえます。その数20数体です。その他神社のお札が100枚以上これを町はずれの神の脇で神職の方が投げるのです。時刻は夜9時ごろです。とても寒いからでしょうか、奪い合いに来た人たちはお酒を飲んでいます。まずお札がまかれます。まるで豆まきのようです。それを3、4人が奪い合うのです。でもつかむことができればOKですが、地面におちたものの取り合いは壮絶です。その後ご神体がまかれます。まくといってもご神体は大きいので放り投げると言った方が適切です。へたをするとあたり出血する人もいます。その間約30分大騒ぎです。1つのご神体を2人か3人がしがみついて取り合う様は少し滑稽でした。

10時ちょっとすぎ終わりましたが、まだまだご神体を取り合っている人たちもいます。この光景だけを見ますととても変わった祭りです。

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参候祭

2017年12月04日

日本の祭りの亜種原型のようなものです。
いわゆる村祭りといえます。地域住民が自分たちのために一年に一回、祝う祭り。津島神社の境内で行われる「湯立て神事」が始まる前に、神宮が祝詞をあげるのですが、本職がいないようで、祝詞がつっかかったりして、それを人が助けて2人で行ったりというユニークな点が多い祭りです。
神を喜ばせる余興としての神楽のような問答も、問答をしかける禰宜もゆったりとした、たどたどしさがみうけられ、一方、答える七福神役の人もかなりお酒を飲んでいるらしくよろよろで、やり方をまちがえたり、さらにはセリフを言いまちがえたりして、世話役の人に注意されたりします。
アットホームというか、ファミリアな形で約2時間が過ぎます。三河漫才の流れをくむのか、かなりコミックで、集まった住民たちとのやりとりも楽しいものです

しかしこの間、寄進者は列をなし、受け入れの人は大忙しです。またお囃子に20才代の若者がいるのも将来が楽しみです。原始的村祭りでした。

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熊野速玉大社 御船祭

2017年10月26日

和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の例大祭で、通称御船祭りといわれています。その名の通り、船の競争が主なる行事ですが、その競争の前の神事はとても荘厳です。この日(10月16日)はあいにく雨が降っていましたが、神主さまをはじめ神職の方々はずぶぬれになりながら、きちんと神事を行っていただきました。「ウオーウオー」という魂入れ、本宮に降臨した神さまを神輿に入れ、船の競争がある川まで町内を巡行しながら行き、川で待っている川船の神輿(御座船)に乗りうつし、競争の無事を祈願します。
ふつう船の競争といいますと、沖縄や長崎のペーロンのような海で行うのですが、ここは川です。まず町内を巡った神輿が下札場に着き、そこから9隻の船によって争われるのですが、さらに川を遡って御旅所のある上札場に向かい、御船島を3回まわり、上札場に上陸する競争です。
但し、勝っても賞金は出ず、名誉だけです。しかしこの町の人はこのために1年間、時をみて練習にはげむのです。いかにも日本の古式の祭りの典型です。上札場の御旅所で神事を行い、船で下札場に向かい、下札場で上陸し、神さまを大社からかついできた神輿に移し、速玉大社へもどし、直会を行い、祭り終了となります。

1日がかりでこの祭りを観ていて感じたことは、新宮で1000年以上、続けられてきた祭りのすごさでした。もちろん最初の頃と、形式は変化しているのでしょうが、プロセスが見事に整理されていることと、競争していた男衆に疲れた様子がみられないことに感心しました。このような祭りがずっと続いてほしいものです。

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二本松の提灯祭

2017年10月13日

福島県は祭りの宝庫です。いろいろな形の祭りがあります。その中でもこの二本松の提灯祭りは質・量とも、とびぬけています。ともかく提灯を1台に300個つけた山車が7台集まり、町中を練り歩くのですからそれは素晴らしいものです。
沿道(中には国道があり、そのため巡行時には規制がある)には、二本松市の市長がゆかた姿で声援に来ています。提灯の火はローソクの火なので、燃えやすいのです。神社で祭事が行われ、松明がともされ、それをもって男の人が走り、提灯山車に行き、そこでひとつひとつ提灯に火を移すのです。祭事が終わると、松明を手にした祭り人が町に出て、山車に向かいます。陽の暮れる頃、提灯全てに火がともります。ゆったりゆったり提灯山車が町内を巡ります。そこに何百人という氏子が山車を引っぱったり、声をかけたりして町内を巡ります。

不思議なのは神輿が神社の本宮に鎮座しているのです。きっと神輿は昔は町内を巡ったのでしょうが、今は山車の提灯に神様がのるという形となったのでしょう。ともかく静かないい祭りです。

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早長八幡宮 秋祭り

2017年10月13日

ともかく驚きました。神社一式が町をかけ巡り、氏子におめみえするのですから、神社の出前です。普通、祭りは神さまが本宮に降臨し、宮司が祝詞をあげ、神様をお出迎えし、神輿にお移りいただき、神輿が町内を巡り、氏子衆におめみえし、お旅所で神様がお休み間、神楽などを演じ、おしまいとなるのが定番です。
しかし、この早長八幡宮の場合は違うのです。神社一式(鳥居、燈籠、こま犬、右大臣左大臣、鏡、聖船)が全て山車の上に作られているのです。それを町内8つの自治会の人が引っぱって町内巡りをした後で、お旅所に行き、そこで神社を組み立てて再び祭礼を行い、その日のうちに還御するのです。
おそらく日本国内でもあまり見ない風景です。少なくとも私は初めてです。奇祭の中の奇祭でしょう。しかも別仕立ての踊山には100人以上の子供が乗って大人がひく。また山車の中には子供だけがひくものもあります。町の人500人以上、子供300人以上、見物200人以上、町中の人が一体となって祭りをしているのです。

この神社がある光市にはいくつもの神社があり、それぞれがユニークな祭りをやっているとのことですが、神社が氏子巡りをしているのはここだけでしょう。しかも歴史が古い、350年前からやっているとのことでした。
とても良いお祭りでした。

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市木古式十五夜柱祭「火祭」

2017年09月25日

松明投げが始まって約20分、柱松の上部にしつらえてあるワラの束に火がつきました。「ボッ」と小さな火が一気に炎となり、ワラの束が燃えていきます。ともかく松明投げが始まってからの緊張感は投げる人も、観衆もすごいものでした。保存会の会長は、すぐに火がついたら迫力が出なくて困るなと陰で心配していましたが、15分経ったところで「このままつかないと、どうしよう」との心配に変わり、20分すぎたところで「何とかしないと」に変わっていきました。
しかし天に神さまはいるのです。20分すぎたところで、ひとりの松明が、ワラの束の上にひょいとのっかったのです。市民で埋めつくされた会場は一斉に大拍手、本当に奇跡のようでした。たったひとつの火が、500人程の群集の気持ちを一気に変えてしまうのです。それがお祭りなのでしょう。私は手をたたきながら「本当によかった」と何度もつぶやきました。今から300年以上前から伝わっている柱松。日本各地にいくつかこの柱松はありますが、ここ宮崎県串間市木の岩折神社の火祭は有名なのです。
この祭りの特徴は柱松が始まる3時間ほど前から市木の人が集まって地面にゴザをしき、食べたり飲んだりしながら舞台で行われる演舞を楽しんで、松明投げが始まるのを待っているところにあります。日本の祭りの原風景とでもいいましょうか、ほのぼのとしています。
松明投げで、柱松に火をつけるのは無病息災や豊穣祈願ということですが、もとはといえばこの世にはびこっている悪霊(鬼ともいいますが)退治、すなわち悪魔祓いから始まっています。一年のあかを焼きとばすということです。

市木の特徴は、移住者が多いところだそうです。皆、家族連れでサーフィンを楽しむためにこの町に移住するのだそうです。どうやって食べていくのか不思議ですが、お金や地位を求めない若者が増えているということだとのことです。日本の未来はもしかするとそういう世界になるのかもしれません。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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