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吉村作治先生の祭り考察 エジプト考古学者、吉村作治名誉教授のブログ

※このページは吉村作治先生からの寄稿を原文のまま公開しています。

二本松の提灯祭

2017年10月13日

福島県は祭りの宝庫です。いろいろな形の祭りがあります。その中でもこの二本松の提灯祭りは質・量とも、とびぬけています。ともかく提灯を1台に300個つけた山車が7台集まり、町中を練り歩くのですからそれは素晴らしいものです。
沿道(中には国道があり、そのため巡行時には規制がある)には、二本松市の市長がゆかた姿で声援に来ています。提灯の火はローソクの火なので、燃えやすいのです。神社で祭事が行われ、松明がともされ、それをもって男の人が走り、提灯山車に行き、そこでひとつひとつ提灯に火を移すのです。祭事が終わると、松明を手にした祭り人が町に出て、山車に向かいます。陽の暮れる頃、提灯全てに火がともります。ゆったりゆったり提灯山車が町内を巡ります。そこに何百人という氏子が山車を引っぱったり、声をかけたりして町内を巡ります。

不思議なのは神輿が神社の本宮に鎮座しているのです。きっと神輿は昔は町内を巡ったのでしょうが、今は山車の提灯に神様がのるという形となったのでしょう。ともかく静かないい祭りです。

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早長八幡宮 秋祭り

2017年10月13日

ともかく驚きました。神社一式が町をかけ巡り、氏子におめみえするのですから、神社の出前です。普通、祭りは神さまが本宮に降臨し、宮司が祝詞をあげ、神様をお出迎えし、神輿にお移りいただき、神輿が町内を巡り、氏子衆におめみえし、お旅所で神様がお休み間、神楽などを演じ、おしまいとなるのが定番です。
しかし、この早長八幡宮の場合は違うのです。神社一式(鳥居、燈籠、こま犬、右大臣左大臣、鏡、聖船)が全て山車の上に作られているのです。それを町内8つの自治会の人が引っぱって町内巡りをした後で、お旅所に行き、そこで神社を組み立てて再び祭礼を行い、その日のうちに還御するのです。
おそらく日本国内でもあまり見ない風景です。少なくとも私は初めてです。奇祭の中の奇祭でしょう。しかも別仕立ての踊山には100人以上の子供が乗って大人がひく。また山車の中には子供だけがひくものもあります。町の人500人以上、子供300人以上、見物200人以上、町中の人が一体となって祭りをしているのです。

この神社がある光市にはいくつもの神社があり、それぞれがユニークな祭りをやっているとのことですが、神社が氏子巡りをしているのはここだけでしょう。しかも歴史が古い、350年前からやっているとのことでした。
とても良いお祭りでした。

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市木古式十五夜柱祭「火祭」

2017年09月25日

松明投げが始まって約20分、柱松の上部にしつらえてあるワラの束に火がつきました。「ボッ」と小さな火が一気に炎となり、ワラの束が燃えていきます。ともかく松明投げが始まってからの緊張感は投げる人も、観衆もすごいものでした。保存会の会長は、すぐに火がついたら迫力が出なくて困るなと陰で心配していましたが、15分経ったところで「このままつかないと、どうしよう」との心配に変わり、20分すぎたところで「何とかしないと」に変わっていきました。
しかし天に神さまはいるのです。20分すぎたところで、ひとりの松明が、ワラの束の上にひょいとのっかったのです。市民で埋めつくされた会場は一斉に大拍手、本当に奇跡のようでした。たったひとつの火が、500人程の群集の気持ちを一気に変えてしまうのです。それがお祭りなのでしょう。私は手をたたきながら「本当によかった」と何度もつぶやきました。今から300年以上前から伝わっている柱松。日本各地にいくつかこの柱松はありますが、ここ宮崎県串間市木の岩折神社の火祭は有名なのです。
この祭りの特徴は柱松が始まる3時間ほど前から市木の人が集まって地面にゴザをしき、食べたり飲んだりしながら舞台で行われる演舞を楽しんで、松明投げが始まるのを待っているところにあります。日本の祭りの原風景とでもいいましょうか、ほのぼのとしています。
松明投げで、柱松に火をつけるのは無病息災や豊穣祈願ということですが、もとはといえばこの世にはびこっている悪霊(鬼ともいいますが)退治、すなわち悪魔祓いから始まっています。一年のあかを焼きとばすということです。

市木の特徴は、移住者が多いところだそうです。皆、家族連れでサーフィンを楽しむためにこの町に移住するのだそうです。どうやって食べていくのか不思議ですが、お金や地位を求めない若者が増えているということだとのことです。日本の未来はもしかするとそういう世界になるのかもしれません。

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深川八幡まつり

2017年08月30日

東京都江東区富岡の富岡八幡宮の例祭です。子供の頃から富岡の祭りはすごいもので三社祭りや神田祭りにひけをとらないもので、夏の暑さをしのぐため、沿道の人々がバケツで水をかける水かけ祭りといっているものだと聞いていましたが、行ったことはありませんでした。しかし子供神輿、おとな神輿、よそからの助け神輿を入れると120基を超す神輿が出、富岡八幡宮の氏子衆の神輿だけでも50基をこえる神輿が揃う神輿オンパレードです。1基3トンから4.5トン近くあり、担ぎ手が1基200人と並外れたスケールの祭りです。今回は水かけよりも大雨の力の方がまさっていましたが、トラックの荷台にミニプールを作って水をかけるなどダイナミックなものです。もともと水をかけるのは、暑さよけではなく、お清めの意味があるのですが、8月の真夏ですから暑さをしのぐのにも利用したのでしょう。
富岡という地名も、この近くに小高いところはないのになあと地元の人も首をかしげていますが、日本には富岡という地名は多く、そこには必ず神社があります。きっと江戸前のいい立地で豊かなところだったのでしょう。そうでないとこんな立派な神輿は持てません。

ワッショイワッショイワッショイと威勢のいい担ぎ手のかけ声に町中が一体となって祭りを楽しんでいる様は江戸の華やかさを思い浮かべさせてくれます。

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鬼来迎

2017年08月30日

千葉県山武郡横芝光町虫生地区に伝わる祭事です。総戸数30戸にも満たない横芝光町の一地区虫生地区に、鎌倉時代から伝わる伝統芸能です。勿論、民俗芸能もカテゴリー的には祭りの中に入っていますが、儀式はなく、村人を集めて、盆のお施餓鬼の後の楽しみとして村人が演じるものです。演者はよそ者を入れず、保存会の役員の方も「いつまで続くのか」とおっしゃるくらいのものです。
地元の人も地獄劇とよんでいますが、仏教の伝道劇としての位置付けがされているものではないかと私は思います。すなわち、悪党は地獄へ落ち、そこで赤鬼などの鬼にいじめられますが、仏教を信ずると菩薩がやってきて悪党といえども救ってくれるのだということを劇で示した、仏教の徳を字の読めない人々に知らしめるものです。

一時間余りで仏教の効用がわかるのですから素晴らしいものです。小雨降る中、お盆の明けということもあり、100人余りの村人が見学に来ていました。

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尾道祇園祭り三体廻し

2017年07月19日

私たちが参加する祭りはほとんど晴れるか、悪くても曇りです。それが私たちの誇りであり喜びでしたが、今回は珍しく祭りの開始前から大粒の雨が降り始めました。「神事が始まる頃にはやむさ」という声が聞こえ、本当に小降りになりはじめ、一時やんだような感じがしてきました。しかし、神輿の宮出しの頃には本格的な雨天になってきました。そのときの保存会長のごあいさつでは、「この雨は滋雨(じう、めぐみの雨)だ」という言葉が出ました。すなわち、雨降って地固まるの如き、今回の祭りがうまくいく知らせだということです。そして雨が降って地面が滑りやすくなっているにもかかわらず、ケガ人が出なかったのです。まさしく滋雨だったのです。宮出しから町のど真ん中の広場での三体まわしは、それはそれは盛り上がりました。はじめのタイムトライアルも三体の神輿(ここでは巴(ともえ)とよんでいます)が全力で中心の木の軸をまわり、その真剣さに感激しました。ともかく、30人近い担ぎ手の「よいやさーの、よいやさ」の叫び声に近いかけ声に、三体の神輿が運ばれて、くるくるまわる姿は、今、私がどこにいるかを忘れさせるものでした。

それをあおるように20人近い太鼓衆が雨に負けないようにたたいて「よいやさ」の声が消えるまでボリュームアップしたのです。2時間くらいの三体まわしは、今までにない迫力でした。とても感動の祭りでした。

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札幌まつり

2017年07月05日

正式には「北海道神宮例祭」といいます。札幌の町の中には「例大祭」のたれ幕が電柱などにたれさがっています。北海道は明治維新によって新しく拓かれた所なので、アイヌの祭り以外は皆新しいのですが、その中でもこの祭りは維新の折に創られたこの神宮の祭りです。札幌を創った佐賀の人、島義勇の並々ならぬ想いと努力が、この神宮の至るところにしみ込んでいます。境内は全部で100万坪あるそうで建物の周辺だけでも6千坪と想像を絶するスケールの大きさです。祭礼は本宮で行なわれましたが、集まった祭り人も、半端でない大がかりの人数でした。拝殿の中には4台の神輿があり、見た目にもすごさが感じられました。もっとも天皇や神々がお乗りになるので、御鳳輦(ごほうれん)とよんでいるようで、町神輿とは区別しているようです。4つの御鳳輦は4柱の神さまや歴代の天皇がお乗りになり町の氏子衆の家々をたずねられるのです。この行列に加わるのは笛や太鼓で調子をとる維新勤王隊であり、9台の山車です。御鳳輦はしずしずと練り歩き、町神輿や山車の他はにぎやかに町を練り歩くのです。

この日は札幌の町もこの祭り人にあふれるばかりの力をもらうことでしょう。集まった人は10万人とも言われていますが、広い札幌の町をくまなく歩くのですからもっと多いはずです。札幌の町とともに市民の手で創られたこの祭りはとてもすてきでした。

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ながい黒獅子まつり

2017年05月29日

「今日はたける風に恵まれまして暑さもしのげます…」長井市の總宮(そうみや)神社の宮司さまのお話でした。確かに外気温は30度近くあるのに森の木々にかこまれているこのお宮にいますと心地よいのです。
さて、一連の式典が終わると黒獅子のおでましです。本宮と拝殿に間にある神棚にその獅子は置かれてありました。獅子舞い連の男17人が席を立ち、さっとその獅子頭を持ち上げると、今まで眠っているかごときだった獅子が生きかえるのです。そこから拝殿の中にいる私たちのところにきて、お払いをしてくれます。もともと獅子は神輿の前をいき、その前にいる悪魔や悪霊をやっつける役割をもっています。口をあけてカチンカチンと口を合わせるしぐさは、元々は悪魔を食うしぐさなのです。そして境内でひとしきり獅子舞をして町に出ます。こうした神社が長井市に50近くあり、各神社がみな黒獅子をもっていて、1年に1回、一堂に会して黒獅子舞を競うのです。
そしてこの黒獅子は警固(けいご)という屈強な男がつき、先導したり、道案内をする人がいたりするのです。この警固たる人物はもとは相撲取り(アマチュア)がやっていたのだそうですが、今では相撲がすたれてしまったので町で一番の力もちと自認している人がなっているようです。

一日かけて町の中央広場に集まる黒獅子はすごい迫力です。また黒獅子の中に入っている人は老いも若きもどころか5、6才の男の子もいました。皆、将来の獅子の足となるのでしょう。とても珍しいお祭りでした。

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矢矧神社春の大祭・にわかと獅子舞

2017年05月25日

愛媛県今治市朝倉北にある矢矧神社の春季祭礼で行われる、獅子舞と掛け合いによる寸劇「にわか狂言」です。祭りの余興では神楽を始めいろいろな演芸が催されます。全て神さまを喜ばせるために行います。もちろん神さまと共に氏子たちも楽しむのですが、「にわか狂言」が行われるのは全国で珍しいです。300近く日本の祭りに参加している私でも初めてです。
「にわか狂言」の内容は普通のコント的なものですが、これを氏子衆がやっていることに意味があります。決して笑をとるという訳ではありませんが、最前列にいる子供10人くらいのかけ合いが集まった人の笑をとっていました。次代を担う子供を大切にしているところが良かったです。
しかし、何と言いましても、つぎ獅子は素晴らしい。今回は4段ですが、なかなかできないことです。最上段は4~5歳の男の子が登るのですが、登るのも大変なのに上に立ち扇子をひらき、みえを切る。そして1回転するのです。1番下の男の大人が5人、まずまわりはじめます。それと共に2段目の男の人、3段目と人数が少なくなり3段目のひとり、おそらく上の男の子の父親ではないかと思います。10分15分と次第に担いでいる男たちの顔が歪んできます。あわや崩れるのではと思ったとき、終わりました。大成功です。「素晴らしい」の一言です。途中で涙が出てきました。

その後、神輿の宮出しです。子供みこしが4基、大人みこしが1基、ゆったりとしたかけ声とともにお宮を出ていきます。氏子衆は最後まで拍子をやめませんでした。後には清々しい雰囲気が残っていました。

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能生 白山神社春季大祭

2017年05月09日

あの翡翠で有名な糸魚川市にある白山神社の春季大祭です。お祭りは現場に行ってみないとわからないことが多いのですが、今回ほどそれを強く感じたことはないのです。
まず、驚いたのは、お旅所が本殿と同じ神社の区域の中にあることです。ですから3基ある神輿は町中の氏子の家をまわらないということになります。ふつう、お祭りのときは神輿に神様がのり、その神様が町内の氏子衆の家々をまわり、福を授けるのですが、本殿から神輿に神様がのり、拝殿を通り3基の神輿が出て、そこに待機している獅子舞いの後につづきます。獅子舞いの前にはこの年に選ばれた稚児が男の人の左肩にのり、右側に男衆がつきそい、うしろを守る親せきの人が1グループになって、さらに6組の稚児グループが歩きます。その列が神社を2周したところで「御神郷向打ち止め」となります。その後、時間をおいて、2番目の神輿に神様がのり移った時、全部の列の人々が走り出すのです。これを「お走り」といい、1周したところでお旅所のある建物の中へ全ての列の人が入りこみ、神輿は舞台の正面に向けて並べられます。
これらを午前中にすませ、午後は舞楽(ぶがく)が11番披露されます。この舞楽はふつうの祭りの神楽にあたるものですが、笛と太鼓しかBGMはなく、しかもテンポはとてもゆるやかです。1時ごろから6時ごろまでの5時間余りかけて舞われるのです。中心は稚児の舞いですが、それは立派なものです。それもそのはず、何週間も特訓をうけているのです。

そして舞楽の最後に大人の舞う「陵王」という演目があります。これが終わると祭りは終わりますので、観客が終わらせないよういろいろと邪魔をします。約1時間ばかり舞うのですが演者は大変でしょう。そして最後に2人の男の腕の中に陵王が飛び込んでおしまいです。
その盛り上がりはすごいものでした。その後、3基の神輿におのりになっている神様を本殿に戻し、神輿が帰ってきます。それで終わりです。とてもいい祭りでした。

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祭り軍団座長 吉村作治 東日本国際大学学長・教授 早稲田大学名誉教授 NPO 日本の祭りネットワーク副理事長

エジプト考古学者(工学博士)
1943年生まれ。早稲田大学入学後の1966年アジア初のエジプト調査隊を組織し現地に赴く。以来、半世紀にわたり発掘調査を継続。「第2の太陽の船」発掘・復原プロジェクトでは、 本格的な修復作業が進んでいる。この8月から新たに「クフ王墓探査計画」を開始。動画サイト「吉村作治チャンネル」では、祭りをはじめ様々な話題を、ほぼ毎日配信中。

公式HP
吉村作治のエジプトピア

http://www.egypt.co.jp/

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