トップページ
 > 祭り紹介 > これまで応援した祭り > 2019年 島野浦神社秋季大祭

これまで応援した祭り トップへもどる

島野浦神社秋季大祭

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:MRT宮崎放送
放送
:12/1(日)14:30~15:25

ダイドードリンコ日本の祭り

魚舞う島 海の男の喧嘩神輿

島野浦神社秋季大祭

宮崎県北部、唯一の離島「島野浦島」。人口は約850人。島民のほとんどが漁業関係の仕事に従事する魚の町。この島が1年で一番盛り上がるのが毎年秋に2日間行われる島野浦神社秋季大祭。約300年受け継がれてきた海の男たちの祭りは活気にあふれ勇壮。初日のよどん晩には、神社から御神体を御神輿に乗せ御小屋に奉納。漁船による海上パレードや豊漁祈願の夜神楽が舞われ、二日目にはご神体を乗せた御神輿と化粧を施した若衆が担ぐ太鼓台のぶつかり合いが繰り広げられクライマックスを迎える。近年は担ぎ手も減少し、存続が難しいともいわれる中、多くの島民が準備や運営に携わっている。番組では祭りの盛り上げに奮闘する人々にスポットを当て、島の伝統を後世に伝えていく取り組みと郷土への思いに迫る。

祭り紹介

  • 祭り写真館

島野浦神社秋季大祭

江戸時代に海上交易の要所として栄えた宮崎県延岡市の離島「島野浦島」。人口約880人の島が一年で最も盛り上がるこの日は「喧嘩神輿」という御神体を乗せた暴れ神輿と化粧をした若衆が担ぐ太鼓台がぶつかり合い村を巡ります。神楽が奉納される頃、巻網船が集魚灯を灯す漁船パレードも行われ海の文化が根づく祭りです。

開催日
11月上旬
場所・アクセス
宮崎県延岡市島浦町 島野浦神社

■電車
JR「延岡」駅より浦城港へ車で約20分。
浦城港〜島野浦島 高速艇約10分、 フェリー約20分。

■車
東九州自動車道「須美江」インターより浦城港へ約15分。
お問い合わせ
島野浦離島開発センター/0982-43-1050

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史約300年続く伝統行事とまちおこしのイベントが融合

シシゾウ:島野浦神社秋季大祭の歴史を教えてください。

結城さん:島野浦神社が創建されたとされる正徳3年(1713)と同時期に例祭が始まったと考えられるので約300年の歴史があります。島野浦島は漁業の島で、江戸時代には瀬戸内海を往来する船の風待ち潮待ちの港となり、関西や瀬戸内の文化が入ってきました。秋季大祭の出し物のひとつの太鼓台は幕末から明治初期にかけて関西・四国方面から入ってきたと考えられます。
秋季大祭本来の行事は神輿・太鼓台の巡行と神楽奉納ですが、約25年前にまちおこしの一環として祭り実行委員会が発足し、よどん晩と呼ばれる前夜祭の漁船灯火や子どもたちの踊り、芸能奉納などのイベントが盛り込まれ、現在の形になりました。

ページ先頭へ

みどころ幻想的な漁船灯火。港で深夜まで繰り広げられる神楽奉納

シシゾウ:よどん晩(前夜祭)の行事について教えてください。

結城さん:午後6時半、神社の御神体を乗せた神輿は地元の若者約20人によって担がれ、神社を出発します。神輿がその晩、お泊りになる御小屋(みこや)を目指して海岸通りを練り歩くころ、港内には地元の巻網漁の灯船(ひぶね)約10隻が集まり、集魚灯を灯します。灯船の灯りはエメラルドグリーン色で、港一帯は神秘的な雰囲気に包まれます。御小屋に神輿が納まると神前で神楽の奉納が始まります。

シシゾウ:神楽奉納について教えてください。

結城さん:神楽奉納は島野浦島の対岸にある熊野江地区の神楽団(熊野江神楽)を迎えて行うのが昔からの慣わしで、約300年の歴史があります。上演されるのは岩戸神楽で、天照大神(あまてらすおおみかみ)がたてこもった天岩戸を手力男命(たぢからおのみこと)が開き、天照大神が姿を現すまでが演じられます。私が子どものころは朝方までかかって奉納していましたが、今は一部を短縮して0時までには終わります。よどん晩における神楽は、これがなければ祭りにならないといわれるほど大切な行事です。

ページ先頭へ

注目ポイント神輿と太鼓台のぶつかりあいは迫力満点

シシゾウ:2日目の本祭りの行事について教えてください

結城さん:前日、御小屋にお泊りになった神輿の巡行は早朝から始まります。本格的な神輿行列で宮司さんを先頭に神楽面を付けた神楽団一行、氏子役員、笛・太鼓の鳴り物が列を成し、氏子地区をほぼくまなく練り歩きます。住民は神輿が近くにやってくると家から出てきて宮司さんのおはらいを受けます。
同じころ、太鼓台は神輿と鉢合わせしないようにコースを変えて地区を練り歩きます。神輿よりも重量が重いので約40人の若者で担ぎ、太鼓の打ち手として着物にたすき掛けの小学生の男児4人が乗り込みます。子どもも担ぎ手の若者も顔に化粧を施します。
漁船パレードもみどころのひとつです。灯船以外の巻網漁船、養殖の作業船、小型マグロ船など地元の漁船十数隻が大漁旗をなびかせて港内を3周します。3周目になると各船はスピードを上げて疾走するのでとても迫力があります。神輿はパレードの船団の中の1隻に乗りこみ、海上を渡御します。それが終わるとこの祭り最大の見せ場である神輿と太鼓台の競演です。

シシゾウ:喧嘩神輿として名高いそうですね。

結城さん:氏子地区を回り、海上のパレードを終えた神輿は神社に戻って来ます。しかし、境内下の広場には神社の宮入りを阻止しようと太鼓台が待ち構えています。太鼓台が神輿を邪魔する理由には諸説あります。もっとも有力なのは、神輿が神社に戻ると祭りが終わってしまうので少しでも祭りを長引かせるために行うという説です。太鼓台の担ぎ手の若者が顔に化粧をするのは、神様に人相が分からないようにするためともいわれています。

シシゾウ:喧嘩神輿はルールがあるそうですね。

結城さん:暗黙の申し合わせのようなもので、神輿の担ぎ手が太鼓台に飾られている傘を奪い取ると終了です。昔はこのようなルールはなく、双方の担ぎ手がへとへとになるまでぶつかり合いが続きましたが、現在ではこのようなルールができました。私が喧嘩神輿で印象に残っているのは小学生のときの出来事です。昭和30年代半ばごろで、その当時の喧嘩神輿は島内を二分した地区対抗の性格が強く、非常に激しいぶつかり合いが繰り広げられました。怪我人があまりにも続出したため、私たちの学年が太鼓台に乗る予定の年に喧嘩神輿は中止になり、太鼓台はリヤカーに載せて曳行することになりました。上級生だった私たちに回ってきたのは太鼓台を曳く役目で、楽しみにしていた太鼓叩きは下級生が務めました。それから曳き車での巡行は15年ほど続きました。しかし、若者たちから昔の太鼓台を再現したいという声が上がり、担ぐ太鼓台が復活しました。数年前にも担ぎ手不足により曳き車での運行を余儀なくされましたが、若者たちが島外にいる同級生などに声をかけて担ぎ手を確保し、喧嘩神輿の伝統をつないでいます。私の息子も島外に暮らしていますが祭りには必ず戻ってきて神輿や太鼓台を担ぎます。
昔の喧嘩を知っている者から見ると今の喧嘩神輿は、手加減をしてやっていますが、それでも次第に熱くなり、本気になってくるので初めてご覧になった方々は迫力に圧倒され、「大丈夫ですか?」と心配してくださいます。

ページ先頭へ

ふるさと自慢養殖の完全国産カンパチやマダイをブランド化

シシゾウ:島野浦島の食の名産品を教えてください。

結城さん:島野浦島は巻網漁で栄えた漁業の島で今もイワシ、アジ、サバなどの漁が盛んです。小さな島ですが干物の生産量は宮崎県一を誇っています。周辺の海域は水がきれいで潮流が速いわりに波は穏やかなことから養殖業にも適しています。中でもカンパチとマダイはブランド魚として売り出し中です。ブランドカンパチのひとつ、「ひなた小町」は全国でも希少な国産稚魚から育てる完全国産カンパチとして注目されています。また、「しまうら真鯛」は色も味もピカ一で毎年シェアを伸ばしています。

ページ先頭へ

メッセージ島の連帯感を深める祭りです

結城さん:島野浦神社大祭は約300年の歴史を持つ島野浦島最大の行事です。神輿に乗って集落に下りてきてくださる御祭神に氏子は五穀豊穣ならぬ大漁を感謝し、家内安全と無病息災を願います。準備を含め、祭りには子どもから大人まで島の多くの人たちが我が事として関わります。だからこそこの祭りは続いてきたし、島の人たちの絆と連帯感を深める意味においてもとても大切なものだと感じます。

ページ先頭へ

※祭り紹介者 全国離島振興推進員 結城 豊廣(ゆうき とよひろ)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

  • 日本の祭り 名産品
  • 祭り写真館
  • 祭りカレンダー
  • 注目の祭り
  • 吉村作治先生の祭り考察
  • ダイドーグループ日本の祭りチャンネル
  • DyDo online shop
  • 日本の祭りボード 日本の祭りに関する発言はこちらへ!

日本の祭りポスターをプリントしよう!

ダイドーグループは「NPO(特定非営利活動法人)日本の祭りネットワーク」に加盟しています。