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豊烈神社の打毬

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:YBC山形放送
放送
:11/3(日)15:00〜15:55

ダイドードリンコ日本の祭り

『人馬一体』になる瞬間~山形・豊烈神社の打毯~

豊烈神社の打毬

山形県山形市中心部、ビルや住宅に囲まれた「豊烈神社」。ここで毎年10月6日に開催されるのが「豊烈神社打毬」です。6騎の騎馬に乗った騎士たちが紅白2チームに分かれ、馬上から網の付いた杖で毬をすくい上げ、的穴に投げ入れます。5個の毬を入れた後、あげ毬と呼ばれる十文字印の毬を早く入れた方が勝ちです。騎馬打毬は紀元前5世紀頃、古代ペルシャで発祥し、シルクロードを経て中国に伝えられたとされています。そして、遣唐使の往来とともに平安時代、日本に伝えられました。現在、国内で定期的に対戦が行われている騎馬打毬は、「宮内庁打毬」、青森「八戸長者山新羅神社打毬」と山形「豊烈神社打毬」の3つを残すのみです。「人馬一体」となり、毬を投げ入れる威風堂々とした対戦の様子、そして祭りを後世に引き継ごうとする参加者たちの思いを伝えます。

祭り紹介

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豊烈神社の打毬

江戸時代、山形を治めた水野家の祖先忠元公の命日10月6日に、山形市の豊烈神社に奉納される神事。6騎の騎馬が紅白に分かれ、紅組は赤い毬を、白組は白い毬を馬上から網の付いた杖ですくい上げ、毬門の的穴に投げ入れます。5個の毬を入れた後、あげ毬と呼ばれる十文字印の毬を早く入れたほうが勝ちとなります。

開催日
10月6日※毎年同日
場所・アクセス
山形県山形市桜町 豊烈神社

■電車
JR「山形」駅下車、徒歩約8分。

■車
山形自動車道「山形蔵王」インターより国道286号線を山形駅方面に向かって約10分。
お問い合わせ
豊烈神社/023-642-7108

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史古式打毬の伝統を守る3ヵ所のうちのひとつ

シシゾウ:豊烈神社の打毬の歴史を教えてください。

影沢さん:打毬は紀元前6世紀のペルシャ(現在のイラン)で生まれた馬術競技で、ヨーロッパに伝わってポロに発展しました。また、中国、朝鮮を経て日本にも伝わり、奈良時代や平安時代には、宮中の年中行事として行われました。その後、一時衰退しますが、江戸時代に8代将軍徳川吉宗公が馬術の鍛錬として奨励したことによって、諸藩で盛んに行われるようになりました。
豊烈神社は、水野家初代の水野忠元(ただもと)公を御祭神とする神社です。文政4年(1821)に、水野家11代で浜松城城主の水野忠邦(ただくに)公が浜松城内に創建し、忠元公の命日にあたる10月6日を例祭日と定め、打毬が奉納されました。その後、豊烈神社は水野家の山形藩転封に伴って山形城内に遷されました。廃藩置県後の一時期は茨城県結城市に遷座されましたが、明治13年(1880)に山形市内の現在地に遷されました。打毬の奉納が復活したのは明治16年(1883)の例大祭で以後、神事として毎年行われるようになりました。現在も、豊烈神社の例大祭には水野家のご当主夫妻が必ずご出席になり、打毬を観戦されます。

シシゾウ:打毬の伝統を伝えるところは全国でも数えるほどしかないそうですね。

影沢さん:豊烈神社以外では、古式馬術を伝承する宮内庁主馬班(しゅめはん)と青森県八戸市の長者山新羅神社(ちょうじゃさんしんらじんじゃ)だけです。豊烈神社と宮内庁の競技ルールは一緒で、昭和25年(1950)には三笠宮崇仁殿下をお迎えし、宮内庁との交流試合が行われました。

シシゾウ:打毬を行うのはどのような人たちですか。

影沢さん:山形豊烈打毬会という有志による団体が奉納を担当します。現在、山形豊烈打毬会には20代から70代まで24名の会員が所属しています。職業は様々で、昔と違って豊烈神社の氏子でない人も参加しています。女性会員も数名います。
また、実際打毬を行う我々を支援してくれる「山形豊烈打毬保存会」(平成18年9月設立)が組織され、現在個人会員、企業・団体会員等合わせて150会員が、この打毬を末永く後世に伝承されるよう支援しております。

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みどころ陣笠に紋服、袴の騎手が紅白に分かれて
馬場を駆け巡る

シシゾウ:打毬奉納のスケジュールを教えてください。

影沢さん:例大祭当日の午前11時から午後3時まで豊烈神社の馬場で7試合が行われます。合間には地元の小学生による徒(かち)打毬の試合も披露されます。

シシゾウ:豊烈神社の打毬のルールを教えてください。

影沢さん:長さ約42メートル、幅約12メートルの馬場で、6人の騎手が紅白に分かれて競います。正式なルールは4対4での対戦ですが、現在は馬場が昔より狭くなったため人数を減らしています。競技者の騎手は水野家の沢瀉(おもだか)紋の入った紋服に陣笠、袴、こてを身につけ、毬杖(きゅうじょう)と呼ばれる竹製のスティックを馬上で操り、和紙でできたゴルフボール大の毬を馬場の序端に設置してある毬門(きゅうもん)の的穴に投げ入れます。なお、的穴の高さは地面から約2.5メートルです。
勝負は先に毬を6個入れたほうが勝ちです。毬は最初、馬場の一方の地面に置かれています。騎手は毬杖で毬を救い上げ、馬場のもう一方に設置された毬門に向って大声をあげながら勇ましく馬を走らせます。紅組が的穴に毬を入れたら鐘、白組が入れれば太鼓が鳴らされます。また、毬が入るごとに紅組なら赤旗、白組なら白旗が毬門の前に掲げられます。勝負が決まる6番目の毬はあげ毬といって十文字の印がついています。あげ毬を入れるときには、毬を持たない他の騎手は相手チームの妨害をするなど入り乱れての攻防が繰り広げられます。
勝負がつくと両者は整列し、毬奉行と呼ばれる審判役が勝った側に勝ちを告げます。退場時、勝者側は乗馬したままですが、敗者側は下馬し、勝者の後から歩いて馬場を去ります。

シシゾウ:打毬で難しいのはどのような点ですか?

影沢さん:馬を自在に乗りこなすのが難しいのは言うまでもありませんが、それと同じくらい毬杖を操るのも難しいです。長さ約100センチ前後で、毬杖の先は網になっています。すくった毬を落とさないように腕を振りながら毬門まで運び、的穴に投げ入れます。口で言うほど簡単ではありません。そのため、初心者は馬に乗らずに毬杖を振る練習をします。

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注目ポイント徒歩で行う徒打毬で将来の担い手を養成

シシゾウ:試合を見るときの注目点を教えてください。

影沢さん:騎手のレベルは上級者から初心者まで幅があるので、馬の速度、毬杖の振り方など技術の違いを見比べていただくと打毬の奥深さをご理解いただけるのではないかと思います。レベルに合わせて的穴の大きさを変えるところにも注目です。的穴の大きさは、直径60センチの大輪(だいわ)、直径40センチの中輪(ちゅうわ)、直径30センチの小輪(こわ)の3種類があります。上級者の対戦は小輪や中輪、初心者は大輪を使います。試合中は打毬会のメンバーが実況で解説するので観戦の際には参考になさってください。

シシゾウ:徒(かち)打毬について教えてください。

影沢さん:馬に乗らずに行う打毬です。徒打毬は後継者育成のために平成4年から豊烈神社のある氏子地域の小学校の児童が行っています。今は学校に打毬クラブを組織して日ごろ練習に励んでおります。私が子どもたちを指導するときには、「大きくなったら神社で打毬をやるんだよ」と必ず声をかけています(笑)。実際、山形豊烈打毬会には、徒打毬を経験した若いメンバーが加入してきてくれているので今後に期待しています。

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ふるさと自慢芋煮会は山形の秋の風物詩

シシゾウ:山形市の食の名産品を教えてください。

影沢さん:里芋と一緒に肉と野菜を鍋で煮込む芋煮は山形を代表する郷土料理です。河川敷で芋煮の鍋を家族や職場、友人たちと囲む芋煮会は山形市民の秋の恒例行事です。芋煮には地域性があり、同じ山形県でも山形市を含む内陸部は牛肉、日本海側の庄内地方は豚肉を使うのが一般的です。山形は国内屈指の果物生産地でもあり、さくらんぼとラ・フランスの収穫量は全国一で、りんご、ぶどうなども豊富です。

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メッセージ他所では見られない打毬をぜひ見に来てください

影沢さん:かつては全国で行われていた打毬も現在、その伝統を守るのはわずか3ヵ所のみです。多くの方に私たちの打毬をご覧いただきたいです。山形豊烈打毬会としては豊烈神社の打毬奉納が末永く続いていくように後継者育成をはじめとする継承活動にも頑張って取り組んでいきたいと思います。

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※祭り紹介者 山形豊烈打毬会 会長 影沢 克巳(かげさわ かつみ)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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