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豊年祭・古堅のミーミンメー

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:RBC琉球放送
放送
:6/24(日)15:00~15:54

ダイドードリンコスペシャル

青年会のミーミンメー~南城市古堅の豊年祭~

豊年祭・古堅のミーミンメー

沖縄本島南部の集落、南城市古堅(ふるげん)。毎年旧暦の4月1日に行われる祭りが「ミーミンメー」です。五穀豊穣を願って、祭りの中で行われるのが“弥勒(みるく)行列”。旗頭を先頭に、中国の弥勒仏が変身した姿だとされるミルクや、子ども達が集落をねり歩きます。ハイライトは、各拝所での子ども達の踊り。ミーミンメーの由来ともなった、わらべ歌「ミーミンメー」をチャンチャンコにハチマキ姿で歌い踊ります。祭りの一月前、公民館では練習が始まります。普段関わりの少ない保育園児からお年寄りが、踊りの練習を通しての交流。いつもとは違う、ちょっと格好いい大人たちの姿や、にぎやかな集落の夜。本編では祭りの主役となる“子どもの目線”から、ミーミンメーのドラマを描きます。

祭り紹介

  • 祭り写真館

豊年祭・古堅のミーミンメー

約200年前に首里から南城市大里古堅地区に伝わったとされる五穀豊穣や子孫繁栄を願う伝統行事。南城市の無形民俗文化財にも指定されています。弥勒(ミルク)や旗頭を先頭に踊り手の子どもたちが、地域の拝所や集落内を練り歩きます。耳たぶをつかみながら「ミーミンメー」と歌い踊る子どもたちの姿が可愛らしく、地域の活力となっています。

開催日
※旧暦4月1日
場所・アクセス
沖縄県南城市古堅集落内・古堅公民館

■バス
糸満バスターミナルより沖縄バス36系統糸満新里線行きで約21分、「古堅入り口」下車、徒歩約1分。

■車
那覇空港自動車道「南風原北」インターより国道329号線、県道77号線を通り約6分。
お問い合わせ
南城市教育委員会文化課/098-946-8990

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史旧暦4月1日に開催する180年の伝統を持つ豊年祭

シシゾウ:古堅のミーミンメーは、いつごろ始まりましたか?

上原さん:言い伝えでは約180年前です。ミーミンメーの起源は諸説があります。ミーミンメーが行われる旧暦の4月1日はクルンゲー(衣替え)の時期にあたることから、女性たちが夏服用の芭蕉布(バサージ)で夫や恋人のために着物を縫い、織りや染めなど仕立て上がりを競ったスディーチラーアラシイ(筒袖着物競争)や、女たちが新調した服を着て男たちが荒れた畑を耕すのを競った荒畑競争(アラハタアラシイ)を起源とする説が広く知られています。また、首里赤田(現在の那覇市首里赤田町)で行われていた祭礼を、古堅から奉公に行っていた人が見て、古堅にもたらされたという説もあります。
長年、旧暦4月1日に行われてきたミーミンメーですが、私が親から聞いた話では、遠い昔、別の日に行ったことがあったそうです。すると、集落に災いがあったため、すぐ4月1日に戻したそうです。平成27年からは皆が参加しやすいように、旧暦の4月1日が平日の場合は拝み(=神々に感謝を捧げる神事)だけを当日に行い、道ジュネーなど集落の人たちが大勢参加する行事はその週末に実施しています。

シシゾウ:ミーミンメーという祭りの名称は何に由来しているのですか?

上原さん:地区の守り神であるミルクの行列が集落内の拝所(=神をまつって拝む場所)を巡る道ジュネーで、踊り手として行列に参加する子どもたちが踊るときに歌われる童歌の歌詞に由来しています。なお、ハヤシの部分ミーミンメーはミルク様の福耳、シーアープーはミルク様のふくよかなほっぺたのことで、囃子のフレーズが古堅のミーミンメーの名称の由来になっています。

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みどころ旗頭を先頭にミルクと子どもたちが
拝所を練り歩く道ジュネー

シシゾウ:道ジュネーについて教えてください。

上原さん:道ジュネーは、午後5時にスタートします。先端になぎなたの飾りをつけ、「金聲玉振(きんせいぎょくしん)」と書かれた旗を持つ旗頭(はたがしら)を先頭に、ドラ、太鼓、ミルク、老爺に扮したウスメー・老婆に扮したハーメー、踊り手の子どもたち、集落の人たちが続き、最後にチョウバンと呼ばれる枡型の飾りをつけ、「豊年」と書かれた旗を持つ旗頭がつきます。行列の最中はずっとドラと太鼓が打ち鳴らされます。
道ジュネーのスタート地点は、古堅集落発祥の地で、集落の祭祀の中心になるニーヤー(根屋)と呼ばれる家です。そこでミルク役を務める人はミルクのかぶりものを付けます。ミルクの面は頭からすっぽりかぶるので、前方が見えません。そこで、歩くときは古堅区の区長に手を引かれます。ミルクの持っている軍配で沿道の住民の頭上をかざす所作は無病息災をもたらすと言われています。ウスメー・ハーメーは、子どもたちの世話役で、ミーミンメーを踊るときに振りをリードしたり、行列のときにきちんと並ばせたりします。
ニーヤーを出発した道ジュネーの行列は、高台にあるお宮へ行き、そこから公民館、神事が行われる広場のアシビナー(遊び庭)、アシビモー(遊び毛)と回ります。踊り手の子どもたちはニーヤーをはじめ各拝所でミーミンメーの踊りを奉納します。最後のアシビモーでは、スーリアガリ(スーリ東)、ユンタンザ、三村(みむら)踊り、ハイファー棒などの伝統芸能も奉納され、最後はミルクが踊るカチャーシーで締めくくります。なお、ニーヤー、公民館、アシビモーでもスーリアガリやハイファー棒の一部などが踊られます。道ジュネーが終わるのは午後7時前後です。

シシゾウ:ミーミンメーの踊りの特徴を教えてください。

上原さん:ミーミンメーを踊るのは保育園から小学校低学年くらいまでの子どもたちです。遠い昔は男の子だけが踊っていたそうですが、私が子どもだったころには今と同じように女の子たちも一緒に踊っていました。
装束は手ぬぐいの鉢巻に法被をはおり、両手にジンナーク(銭鳴棒)という5円玉が付いた短い棒を持ちます。ミーミンメーで歌われる童歌は本来3番まである長い曲です。子どもたちが歌うのは、曲中の囃子部分に相当する「ミーミンメー、シーヤーブー」のフレーズです。三線に合わせて「ミーミンメー」と歌いながら耳たぶをつかんで首を左右、前後にかしげる子どもたちはとても愛くるしく、地域の大人たちは笑顔で見守ります。

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注目ポイント古堅集落だけに伝わる勇壮なハイファー棒

シシゾウ:ハイファー棒は、古堅集落だけに伝わるものだそうですね。

上原さん:そうです。起源については、ハイファーという名前の朝鮮人の方によって伝えられたという伝承が残っています。棒術というよりも棒踊りという表現がふさわしく、白の上着に白のトレパン、白黒の縦縞のケハン(脚絆)、青い紐でたすきがけをした踊り手たちがドラと太鼓に合わせ、「ハー、ハイファー、ハー、ハイファー」と掛け声をかけながら棒を振り、勇ましく踊ります。棒は六尺棒と三尺棒の2種類があり、それぞれ5~6人の集団で踊る演目があります。また、踊り手が一対一になり、六尺棒対六尺棒、六尺棒対三尺棒で打ち合う演目もあります。六尺棒で打ちかかるのを三尺棒で受け止めたり、一方が背を向けたときに後ろから攻撃をしかけたりといくつかの型があり、勇壮です。

シシゾウ:夜にも催しがあるそうですね。

上原さん:道ジュネーが午後7時ごろに終わると一旦解散になり、それぞれ自宅に帰って夕食をとった後、夜の部が行われる公民館に集まります。開始は午後8時で、青年会や婦人会、老人会、舞踊研究所のプロの踊り手によって歌や踊りが奉納されます。観客は床に敷かれたゴザに座って見物します。
プログラムの演目は17~18あります。その中のひとつ、「六忠臣(ろくちゅうしん)」は男性2人が踊る古堅集落だけに伝わる演目です。約2時間にわたる催しのトリを飾るのは集落の青年たち全員によって踊られる「クーダーカー(久高)」です。ハイファー棒を演じるときと同じ白装束で、小さい笠を持ち、「クーダーカーマンジューシュヤ チュラユーベー~」と太鼓と三線に合わせて独特の所作で練り歩きます。私が小さいころには、踊り手たちが女性の扮装など仮装をするのが恒例でした。クーダーカーが始まると今年の豊年祭も無事に終わったなと感じます。

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メッセージミーミンメーは集落のかけがえのない宝です

上原さん:祭り当日は帰省する人や、市内外からも多くの方々のご来場をいただき、祭りを盛り上げてくれることに感謝し、区民一同、伝統文化の継承、発展に尽力して参りたいと思います。

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※祭り紹介者 古堅のミーミンメー保存会 会長 上原 一宏(うえはら かずひろ)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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