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和久里壬生狂言

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:FBC 福井放送
放送
:5/4(日) 14 : 00〜14 : 55

ダイドードリンコスペシャル

その面は語らずして語る ~和久里壬生狂言~

和久里壬生狂言

和久里壬生狂言は小浜市和久里西方寺境内に建立された「市の塔」七年祭りの供養として子(ね)の年、午(うま)の年に奉納されるもので、京都壬生寺のものと同じく無言劇の狂言です。江戸時代の中ごろに伝わったとされるこの狂言は、長く途絶えていた時期もありましたが昭和53年に復活。復活時には、以前使われていた紙製の面を使用していましたが、昭和59年の奉納では木製の面を使おうという話になり、当時のメンバーが前回に自分が演じた役の面を作りました。あれから30年、この先人たちの熱い思いを後の世代に伝えようと新たに面を彫り始めた男たちがいました。その面を通して、男たちの「壬生狂言への思い」そして「和久里への思いを」描きます。

祭り紹介

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和久里壬生狂言

和久里壬生狂言は、福井県小浜市和久里西方寺境内に建立された、市の塔七年供養祭として6年に一度奉納される狂言です。和久里区民が3日間にわたって面を付け演じる無言の劇は、京都壬生寺の壬生狂言が伝わったものとされています。勧善懲悪などわかりやすく、ユーモラスなパントマイムのようで、娯楽性に富んでいます。

開催日
4月中旬※6年に一度
場所・アクセス
福井県小浜市和久里 西方寺境内

■電車
JR「敦賀駅」より約60分「小浜駅」下車、タクシーで約5分

■バス
JR「小浜駅」よりJR西日本バス「近江今津駅」行き約4分「湯岡橋」下車、徒歩3分

■車
舞鶴若狭自動車道「小浜インター」より約3分
お問い合わせ
今富公民館
0770-56-1211

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史760年前に京都で発祥した、壬生狂言の伝統を今に伝える石塔奉納

シシゾウ:和久里壬生狂言は、いつごろ始まったのですか?

平井さん:壬生狂言は仮面をつけた演者によってすべてパントマイムで演じられる宗教劇で、正式名は「壬生大念佛狂言(みぶだいねんぶつきょうげん)」といいます。壬生狂言は約700年前の鎌倉時代に京都・壬生寺の興隆に尽くした円覚上人(えんがくしょうにん)によって創始されました。京都で生まれた壬生狂言が若狭・小浜に伝わった経緯は定かではありませんが、京都と若狭は鯖街道(さばかいどう)の通称で知られる若狭街道を通じて文化経済の交流があったため、若狭街道を介して伝わったことは想像に難くありません。古い資料をひもとくと、京都・清涼寺の御本尊の出開帳(でがいちょう)が小浜市内の極楽寺で行われたとき、清涼寺から約70名の関係者がやってきたという記録がみつかります。清涼寺は嵯峨釈迦堂の別名があり、京都三大念仏狂言のひとつ、嵯峨大念仏狂言を伝えています。ここからは推測ですが、清涼寺から派遣された人数が多いのは集団の中に狂言師の一座がいたからで、その人たちが出開帳で披露した壬生狂言を小浜の人々が習い覚えたのではないかと思います。
壬生狂言が若狭で行われたことを伝える最も古い資料は、江戸時代に廻船問屋(かいせんどんや)を営んでいた人物が著した日記です。それには文化13年(1816)、小浜市男山にある八幡神社そばの永三小路(えいさんこうじ)にある石塔の供養に壬生狂言が奉納されたと記されています。石塔というのは現在、和久里地区の西方寺境内にある「市の塔(いちのとう)」と呼ばれる宝篋印塔(ほうきょういんとう)です。
市の塔の建立は南北朝時代の延文3年(1358)です。南朝方で下司(げす)という代官職に就いていた永井雅楽介(ながいうたのすけ)が失脚して出家し、沙彌朝阿(しゃみちょうあ)と名乗って西方寺を創建した後、乱れる世の中の平安を願って建てたものです。市の塔は、分かっているだけでも3回移築されています。最初に建立された場所は不明で、江戸時代初期、若狭の領主になった京極高次(きょうごくたかつぐ)が今宮区にあった魚市場を整備したとき、市場の繁栄を祈願して移築されたことは記録に残っています。その後、石塔は青果市場のあった永三小路に移され、七年供養祭に壬生狂言の奉納が行われるようになり、さらに明治時代、廃仏毀釈運動により神様である八幡神社前に仏様の宝篋印塔(ほうきょういんとう)があるのはよくないということで西方寺境内に移築されました。移築された当初は七年供養祭の法要だけ行われていましたが、明治45年(1912)、和久里地区の住民が永三小路で狂言を奉納していた人たちに教わり、壬生狂言の奉納を初めて行いました。その後、6年ごとの石塔供養祭に狂言を奉納してきましたが、昭和17年を最後に戦争や戦後の混乱、昭和28年の大水害などにより狂言奉納は長く途絶えていました。復活したのは昭和53年(1978)で、それ以降、6年ごとに奉納する伝統が守られています。

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みどころ本家・壬生寺で廃れた演目を含め、9演目を伝承

平井さん:和久里壬生狂言は市の塔を供養する七年祭に奉納されます。狂言奉納は3日間連日で、2日目の中日には狂言奉納に先だって石塔の供養会が行われます。また、地元の小学生男子児童による宝塔縁起(ほうとうえんぎ)の朗読が3日間とも披露されます。
和久里壬生狂言を奉納するのは甚六会(じんろくかい)という和久里地区青壮年のグループです。和久里地区は昔からある約60戸の旧和久里地区と戦後、住宅地として開発された新しい和久里地区に分かれます。甚六会は、旧和久里地区の世帯主の男性で構成されています。昭和48年に発足した当初は、酒を酌み交わし語り合う親睦団体だったのですが、地元振興のために何かできないかという話し合いの中から、長く途絶えていた壬生狂言の奉納の復活に取り組むことになりました。私はその当時のメンバーの1人でした。幸い、かつて壬生狂言を奉納していた古老の方々がご健在で、必要なことはすべて教わることができました。今の若い人は狂言を覚えるのに映像を参考にしますが、その当時は、映像どころか台本もなかったのですべて口伝です。地元の先輩方のおかげで昭和53年に無事復活をすることができたのです。

シシゾウ:和久里壬生狂言はどのような演目があるのですか?

平井さん:和久里壬生狂言の演目は「狐釣り」「腰祈り」「寺大黒」「愛宕(あたご)詣り」「餓鬼角力(がきずもう)」「炮烙(ほうらく)割り」「座頭の川渡り」「とろろすべり」「花盗人(はなぬすっと)」です。9つある演目のうち、本家の京都・壬生寺では廃れてしまった「狐釣り」「座頭の川渡り」を伝承しているところが大きな特徴です。実は昭和53年に復活する際、壬生寺に問い合わせをしたのですが、壬生寺では京都以外で壬生狂言を上演しているところがあるのをご存じでなく、連絡を受けて非常に驚かれ、和久里まで見にいらっしゃいました。最初、本当に壬生狂言なのかと半信半疑でおられたようですが、演目もストーリーもまったく一緒で、かつて壬生寺で上演され、現在は演じられなくなった演目も伝承されているということで、壬生寺の管主様から本物の壬生狂言であるとお墨付きをいただきました。

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注目ポイントアドリブ満載。融通自在な演技に抱腹絶倒

平井さん:壬生狂言は、円覚上人の説法を聞くために何百何千という人々が集まり、肉声ではすべての人に教えが届かないので、身ぶり手ぶりで伝えようとしたのが始まりといわれています。宗教劇なので主題は勧善懲悪・因果応報など教訓的ですが、庶民に仏の教えを説くために作られたので、ストーリーは分かりやすく、おもしろおかしい内容です。演目のひとつ、「餓鬼角力」を例にすると、地蔵様と地獄の閻魔大王が相撲をとるというユニークな設定で、地蔵様が閻魔大王を討ち負かすという結末で地蔵様の功徳を讃えています。 上演前には簡単なストーリーをアナウンスし、希望者には和久里壬生狂言の概要を載せた小冊子をさしあげています。ご覧になるときは、無言劇で台詞はないので舞台からひとときも目を離さず、登場人物の仕草が何をしているところかを想像しながら見るとより一層お楽しみいただけると思います。
和久里狂言ならではのもうひとつのみどころは、演者のアドリブです。京都の壬生狂言は約700年の伝統があり、華やかな公家文化が栄えた京都で格式高く受け継がれてきているので伝統芸能として定まった様式があります。対して、和久里の壬生狂言には、ここはこうしなければいけないという細かい決まり事はありません。ストーリーに沿ってさえいれば演技は演じる人の自由でアドリブもOKです。初日と3日目の演技がまったく違うということも珍しくありません。和久里壬生狂言をよくご存じの方の中には、3日ともご覧になって「今日はこんなことをやっているな」と演技が変化するのを楽しまれる方もおられます。以前、福井県若狭歴史民俗資料館のスタッフの方が映像資料を作成するため、初日に9演目すべてを撮影され、あとの2日間は撮影をせずご覧になっていました。すると3日目に初日とまったく違った演技が舞台上で行われていたので大変驚かれ、3日間すべて撮影しておけばよかったと残念がられると同時に「これこそが和久里の壬生狂言なのですね」と非常に感心しておられました。

シシゾウ:そのほかに注目点はありますか?

平井さん:私たちが手作りした仮面にもご注目ください。昭和53年の復活時には以前使われていた紙製の面を使用したのですが、昭和59年の奉納では木製の面を使おうという話になりました。そこで、製作を依頼するために福岡県の木彫作家の方を訪ねたところ、自分たちで作ってみてはどうかとアドバイスされました。それで道具を揃え、メンバー全員が昭和53年に自分が演じた役の面を作りました。私は餓鬼角力の地蔵様を作り、思った以上に良い出来だったので鬼の面も作りました。作る前は素人の自分たちにできるだろうかと不安でしたが、完成してみるとどれもなかなかの出来栄えで、現在もそのとき皆で作った面を使用しています。
境内に仮設する奉納舞台は昔ながらのやり方で手作りしています。檜の柱と竹を組み合わせて舞台を作り、屋根は藁でふき、ひさしには青々とした杉と檜の葉を飾ります。能舞台に準じ、舞台下手には橋掛かりもちゃんと作っています。骨組みになる竹は大量に必要なので九州の大分県から取り寄せ、檜は地元の山から伐り出してきます。甚六会のメンバーは3月下旬から舞台作りにとりかかり、4月に入ると和久里地区の住民にも応援してもらい、集落の力を結集して舞台を完成させます。

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ふるさと自慢御食国の歴史を今に伝える豊かな食文化と伝統産業

シシゾウ:小浜市でおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

平井さん:小浜市はこれまで大災害や戦災にあわなかったので国宝級の寺院や仏像が多く残っています。自然も美しく、日本海の荒波によって作り出された断崖奇岩、2つの洞門が連なる蘇洞門(そとも)を遊覧船で巡る蘇洞門めぐりは人気観光コースです。
小浜は食文化も豊かです。奈良時代から朝廷に塩や海産物を献上していた御食国(みけつくに)だった歴史を背景に「食のまちづくり」が市を挙げて進められています。その中核施設が「御食国若狭おばま食文化館」で、館内のミュージアムでは小浜の食にまつわる歴史に触れることができます。食にゆかりの深い漆器の若狭塗、若狭めのう細工、若狭和紙などの伝統工芸品も多く、御食国若狭おばま食文化館では若狭塗の箸の研ぎ出しや、めのう磨きなどの伝統工芸体験もできます。

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メッセージ気楽な気持ちで理屈抜きに楽しんでください

平井さん:和久里壬生狂言は3日間とも9つの演目をすべて上演します。どの演目も滑稽でおかしみがあるので、気楽な気持ちで理屈抜きに楽しんでください。和久里の場合は、客席から演者の親戚や知人が舞台上の演者に声をかけ、演者が仕草で応えたりするなど、和やかでアットホームな雰囲気です。興味のある方はぜひ観覧にお越しください。

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※祭り紹介者 和久里壬生狂言保存会 元会長 平井 康雄(ひらい やすお)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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