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数方庭祭

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:KRY 山口放送
放送
:8/24(日) 12 : 00〜12 : 55

ダイドードリンコスペシャル

数方庭祭 ~巨竹に挑む 真夏の七日間~

数方庭祭

下関市長府に1800年続く『数方庭祭』 真夏の7日間、祭人は、4つのグループに分かれて、連夜、ただひたすら、長さ30メートル、重さ100キロに及ぶ“巨竹”に挑みます。竹を担いで境内を廻る。一見、単調な祭りに見えますが…現実は、甘くありません。粋に担ぐことができた男たちは、羨望の眼差しが向けられる存在。簡単には担げません。転倒する人、ぶつかり合う人々…「天下の奇祭」は、実は、荒々しい夏祭りです。「誰よりも長く、太い竹を担ぎたい」 担ぎ手だった父の思いを受け継いだ、ある男性とその仲間たちに密着します。病に倒れ、担ぐことができない父に代わり“竹”を語り合う息子たち。“祭人(まつりびと)の思い”は、次の世代へと引き継がれていきます。

祭り紹介

  • 祭り写真館

数方庭祭

毎年8月7~13日に忌宮神社で行われる祭りです。男は、2本の竹をつないで作られた、高さ約30メートル、重さ約100キロある「大幟(おおや)」を担ぎ、女は、「切籠(きりこ)」と呼ばれる灯篭を付けた七夕飾りを持って、「鬼石」の周りを回ります。第14代仲哀天皇の時代に始まったとされ、山口県無形民俗文化財に指定されています。

開催日
8月7日~8月13日※毎年同日
場所・アクセス
山口県下関市長府宮の内町 忌宮神社

■電車
JR「下関駅」より約15分「長府駅」下車、タクシーで約10分

■バス
JR「長府駅」よりサンデン交通「下関」行き約5分「城下町長府」下車、徒歩約5分

■車
中国自動車道「下関インター」より約20分
お問い合わせ
忌宮神社
083-245-1093

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史自ら弓をとり、敵将を倒した仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)の武勇を讃え、踊ったのが始まり

シシゾウ:数方庭祭は、いつごろ始まった祭りですか?

礒部さん:数方庭祭を主催する忌宮神社は、第14代仲哀天皇が九州の熊襲(くまそ)平定のために7年間、豊浦宮(とよらのみや)と呼ばれる仮の皇居が置かれた跡であるといわれています。仲哀天皇が豊浦宮にご滞在中、熊襲の後押しをしていた朝鮮半島の新羅(しらぎ)の総大将、塵輪(じんりん)率いる敵軍が攻め寄せてきました。兵士たちが苦戦をしていると、ついに仲哀天皇自らが弓を取り、矢を射って塵輪を倒しました。勝利をおさめ、兵士たちは塵輪の屍(しかばね)の周りを槍や刀を手に踊り回ったのが数方庭祭の起源と伝えられています。塵輪の首をはね、埋めた跡とされるのが境内にある鬼石(おにいし)で、この鬼石を中心に数方庭祭の神事は行われます。

シシゾウ:数方庭祭が7日7晩続けられるのには意味があるのですか?

礒部さん:仲哀天皇は7年間当地で過ごされた後、本格的に熊襲を討つために九州の香椎(かしい)に赴かれますが、1年足らずで崩御されました。仲哀天皇のご遺志を継いでお后の神功皇后(じんぐうこうごう)は朝鮮半島に出兵されるのですが、出陣前に豊浦宮で7日7晩、忌籠り(いみごもり)をされたと伝えられています。この故事にちなんでいるとされるのが、忌宮神社の御斎神事(おいみしんじ)です。12月にお籠りの神事として行われ、7日7晩、私たち神職は一歩もお宮から外へ出ず、一般の方の参拝は禁じられます。昔は期間中、氏子の人たちもつつましやかな生活を送ったということです。数方庭祭を動の祭りとするなら、御斎神事は静の祭りで、この2つの対照的な神事は呼応していると考えられることから、数方庭祭も7日間行われるのではないかといわれています。

シシゾウ:数方庭祭で、長さ約30メートル、重さ約100キロという大幟が担がれるのはなぜですか?

礒部さん:昔は仲哀天皇戦勝の故事にのっとり、槍や刀などの武器をかざしながら鬼石の周りを踊り回っていたようです。竹の幟(のぼり)を持つようになったのは江戸時代の元禄年間(1688~1704)で、長府藩三代藩主の毛利綱元(もうりつなもと)公が、天下泰平の世に武器を持つのはふさわしくないといって現在の形に改められたということです。
ただ、当初は今ほど大きくはなく、普通の真竹(まだけ)の一本物を使っていたようです。大型の竹の幟が登場したのは大正時代です。ある氏子の方が、孟宗竹(もうそうだけ)に真竹(まだけ)を継いだ、目を見はるような大きな幟を出したのが最初で、それを見た他の氏子さんたちも競って大きな幟を出すようになり、現在のサイズになったといわれています。ちなみに数方庭祭の大幟は「おおのぼり」ではなく「おおや」と呼びます。これは、最初に大幟を出した氏子の方が魚屋を営んでいたため、“うおやののぼり”と皆が呼んでいたのが次第に縮まり、“おおや”になったものです。

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みどころ「チャンコホイホイドンパッパッ」のリズムにのって幟が鬼石の周りを周回

礒部さん:数方庭祭は7日間行われますが、毎日まったく同じスケジュールで進行します。午後7時、これから祭りを始めますと神前にご報告する本殿祭(ほんでんさい)と奉仕者の皆さんの清祓い(きよはらい)が行われます。
7時半に一番太鼓がドンと鳴らされ、それを合図に、切籠と呼ばれる七夕に登場するような笹飾りを持った氏子の女性の方々やお子さんたちが鬼石の周りを3周します。切籠の数は20本ほどで、次に幼稚園や小学生の子どもたちが小幟(このぼり)を持って登場し、鬼石の周りを3周します。小幟は竹の長さが約4メートルで、太いものになるとかなり重量があるので大人が介添えしなければならない場合もあります。小幟に続いて、中幟(ちゅうのぼり)、最後に大幟が登場します。それぞれ鬼石の周りを3周するのは切籠、小幟と同様です。切籠に始まり小幟、中幟、大幟に至るまでの流れが一晩に1番太鼓から4番太鼓まで4回繰り返されます。
神事の最中には、太鼓、締め太鼓、鉦のお囃子が演奏されます。「チャンコホイホイドンパッパッ」と形容される独特のリズムにのって、切籠、小幟、中幟が順番に登場し、鬼石の周りを回るうちに境内は静かな期待感に包まれ、ついに巨大な大幟が登場すると一気に雰囲気が盛り上がります。初めて大幟をご覧になったら、“あんな大きなものを1人で抱えて歩くのか!”と驚かれると思います。幟を操る奉仕者の人たちは、「ホイ、ホイ」と掛け声をかけあいながら回るのですが、大幟になると声に一段と力がこもり、迫力満点です。

シシゾウ:幟は、毎年新調されるそうですね。

礒部さん:そうです。切籠と小幟は神社が用意しますが、中幟と大幟はご奉仕される皆さんが自分たちで作られます。中幟は小幟よりも大きな真竹や小さめの孟宗竹を使った一本物です。大幟は孟宗竹に真竹を継いだ二本継ぎで、最近は根付きの孟宗竹を使うのが流行です。
幟作りは大変な作業です。最近、人の手が入らず荒れた山が増え、幟に適した長くてまっすぐな真竹が少なくなっているので、竹を準備するだけでも一苦労です。竹を手に入れると1ヵ月ほどかけて磨き上げ、竹の先に鳥毛、家紋や社紋を染め抜いたダシと呼ばれる幟と白い幟を飾り付けます。完成すると神社に運ぶのですが、大幟はあまりにも長いので普通の車には載せられず、トレーラーをチャーターして運びます。大幟の準備は大がかりになるので、一個人で奉納するのは不可能で、企業や地元商店街などがグループを作り、協力して奉納しています。現在、奉仕者のグループは4つあり、1グループが大体15~20本の大幟を作って奉納します。

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注目ポイント優雅な切籠、勇壮な大幟の対照の妙

礒部さん:数方庭祭のみどころは、最初に登場する切籠が風にサラサラと舞う優雅さと、最後に登場する大幟の勇壮さです。ライトアップされた中、約60本の大幟が夜空に高々と林立する様は見事です。また、鬼石の周りを大幟が4、5本連なって回るところは、勇ましくも美しいと思います。

シシゾウ:大幟が倒れることはないのですか?

礒部さん:もちろんあります。長いだけに1人が倒してしまうと、周囲の大幟も巻き添えをくってバタバタ倒れてしまいます。そういったハプニングも見る側にとっては醍醐味のひとつですが、奉仕者の方にとっては大幟の重量があるだけに危険と隣り合わせです。気をつけてはいても、誤って持っていた大幟を足の上に落としてしまったり、倒れかかってきた大幟が頭に当たったりして負傷することは珍しくありません。見物の皆さんがいる場所は、防護用のロープがはりめぐらされているので、倒れた大幟がぶつかる心配はありませんが、目の前に倒れかかってくることはあり、非常にスリリングです。

シシゾウ:磯部さんは大幟を持たれたことはありますか?

礒部さん:試しに持たせていただいたことはあります。腰で支えるようにして持つのですが、思っていた以上にバランスをとるのが難しく、少し練習したくらいで持てるものではありません。昔、大相撲の相撲取りの方がたまたま祭り当日にいらっしゃり、大幟を試しに持たれたのですが、一歩も歩くことができませんでした。力の問題ではなく、経験がものをいうようで、大幟を持つ名人級の方々のほとんどは60代前後のベテランの皆さんです。

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ふるさと自慢古代貨幣と維新発祥の地。豊かな歴史に彩られた城下町・長府

シシゾウ:下関市でおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

礒部さん:忌宮神社のある下関市長府地区は、幾度も歴史の表舞台に登場してきた城下町で、現在も古い町並みを残しています。幕末に活躍した尊王攘夷の志士、高杉晋作が義挙した地として知られるほか、日本最古の金属貨幣といわれる和同開珎(わどうかいちん)を鋳造した長門鋳銭所跡(ながとじゅぜんしょあと)もあります。どちらも忌宮神社の周辺にあるので、数方庭祭にお越しになったら、併せて史跡巡りをされると楽しいと思います。

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メッセージ天下の奇祭といわれるおまつりごとをぜひ一度ご覧ください

礒部さん:数方庭祭は、長い竹を持って踊り回るという非常に珍しいおまつりごとで天下の奇祭といわれています。約1800年という長い歴史と伝統を持っていますので、一度ご覧いただければありがたく思います。よろしくお願い致します。

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※祭り紹介者 忌宮(いみのみや)神社 宮司 礒部 正明 (いそべ まさあき)さんにお応えいただいたインタビューをもとに、記事をまとめています。

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