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桑名石取祭

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:CBC 中部日本放送
放送
:9/1(日) 15 : 00〜15 : 54

ダイドードリンコスペシャル

ゴンチキチン 三重県桑名市 石取祭

桑名石取祭

三重県桑名市の「石取祭」は清らかな町屋川の石を採って春日神社へ奉納する祭りで、江戸時代初期に始まったと言われています。祭車およそ40台が会し、太鼓に加え、鉦が打ち鳴らされる石取祭。そのけたたましい轟音からついた呼び名は「日本一やかましい祭り」。しかし、その打ち鳴らしは桑名の人々にとって子守唄に似た安らぎの音色なのだそうです。番組ではその桑名っ子のやかましい祭りへの誇りとは何か?をテーマにパワーオブフェスティバルを映像で表現し、石取祭の存在価値をリアルに描きます。町中に鳴り響く鉦と太鼓。一心不乱に打ちならす若者たちの汗。さらに華やかさの裏に見え隠れする苦悩等、様々な角度からのカメラアイで、およそ400年の歴史を持つ「日本一やかましい祭り」三重の宝“石取祭”の全てをお見せします!

祭り紹介

  • 祭り写真館

桑名石取祭

町屋川の清らかな石を採って春日神社に奉納する祭りで、江戸時代初期に始まったといわれています。本楽日の午後には各町の祭車が渡祭(とさい)順に曳き揃えを行い、浴衣に羽織の正装で行き交う姿は豪華絢爛な祭り絵巻を醸し出します。夕方からは祭車に灯が灯り、春日神社前で「日本一やかましいまつり」の渡祭が順次行われます。

開催日
8月第1土・日曜日
場所・アクセス
三重県桑名市本町春日神社周辺

■ 電車
近鉄名古屋線・JR関西線「桑名駅」より徒歩10分

■ 車
・東名阪自動車道「桑名インター」より国道1号線を通り約15分
・東名阪自動車道「桑名東インター」より国道258号線を通り約15分
お問い合わせ
桑名石取祭保存会
0594-24-6085

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史江戸時代初期の石取神事が発展して
地域住民の楽しみに

シシゾウ:石取祭の始まりと由緒を教えてください。

伊藤さん:始まりは江戸初期からといわれていて、400年以上たっていることになります。春日神社(正式名称:桑名宗社)は、桑名神社と中臣神社という2つの大きな御祭神があり、桑名神社の大祭が「比与利祭(ひよりまつり)」です。その比与利祭の中の神事が「石取祭」だったのですが、次第に盛り上がりをみせて、独立した形になったといわれています。
この比与利祭の時に石を奉納するのですが、その発祥については、神社の修理のために石を入れた、石占いのために運んでいた、流鏑馬を行う際、馬場に石を入れて整備をしたなど、様々な説があります。
また祭りの前に町屋川で石を取り、神社に奉納しますが(これを石取祭では『献石(けんせき)』といいます)、最初は簡素な荷台に乗せて運んでいたらしいのです。それが町の住民の楽しみになってきて発展し、やがてお囃子がついたり太鼓を鳴らし始め、現在のような形になったといわれています。

シシゾウ:では、祭車(さいしゃ)は、もともと石を運ぶための車が発展して今の形になったのですか?

伊藤さん:はい。石を運んでいると夜も遅くなるので、提灯に灯りを灯していました。それが今の提灯を付ける形になったのではないかと考えられています。さらに歌を唄ったり、笛などを鳴らしたりしながら運んでいたのが、時代とともに鉦(かね)や太鼓に発展し、当初は4輪車だったものも、よりスムーズに動くようにということで、3輪の御所車のような形に変わってきました。現存する祭車の中で、その名残のある祭車が「宝町」の祭車です。また一番古いのが安政年間(1854~1859年)に作られた「西船馬町」(市有形民俗文化財)ですから、その頃にはもう、祭車も今の形になったようですね。

シシゾウ:400年前から続いた歴史の中で、中断したことはなかったのですか?

伊藤さん:明治の始めごろ、各町同士のいさかいが多発して、県令として禁止を言い渡されたという話を聞いています。それと太平洋戦争の時と、この地区に大きな被害をもたらした伊勢湾台風の翌年に休祭しました。
太平洋戦争では空襲を受け、多くの祭車が戦災で燃えてしまいました。それでも、焼失してしまった町の人が、焼け残った町の祭車を一緒になって曳いたり、桑名の実業家の諸戸清六さんが、個人的に所有しておられた祭車を貸出しして石取祭をしたという時代もありました。そして戦後の苦しい時代にかかわらず、皆さんが寄付を募り、早いところでは2、3年で作り直したそうです。

シシゾウ:伊藤さんが子どもの頃と、最近の様子で変わったところはありますか?

伊藤さん:私たちの若いころは、極端にいえば自分たちだけが楽しむ祭りでした。警察の厳しい規制も、祭車曳き回しの時間規制も有形無実で、夜中から朝7~8時まで鉦や太鼓を叩いていたこともありました。今は警察の指導や市民からの声もあり、皆さんにご理解いただける時間帯に祭りを行い、石取祭のクライマックスである春日神社前の渡祭時間も8分間と厳しく定められています。そういう意味では、おとなしくなりました。自分たちで楽しむ祭りから、市民に理解される祭り、見せる祭りへと変わってきたという認識があります。

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みどころ神楽太鼓の合図を受けて
鉦と太鼓が鳴り響く「叩き出し」

シシゾウ:祭りのスケジュールを教えていただけますか。

伊藤さん:6月の第1日曜日にその年の祭車曳き廻しの順番を決める「御籤占式(みくじうらないしき)」があります。この日を皮切りに7月の第1日曜日には「祭車曳廻し会議(さいしゃひきまわしかいぎ)」、中頃に「川原祓式(かわらはらいしき)」が行われます。7月15日から20日まで間の6日間は鉦鼓(しょうこ)練習期間で、太鼓や鉦の腕を磨き、海の日には昭和27年から続く「石取祭ばやし優勝大会」が開催され、子どもの部・女子の部・一般の部に分かれ各町の技量を競います。(2013年は練習日の関係で、海の日ではなく次の日曜日である7月21日に開催されます)
祭りの前日には、自分たちの町内の宿に立てる笹を用意する「笹取り(ささとり)」が行われます。次の日の夕方は「おかっつあん」。これは子どもたちや青年が神社に参拝に行く行事です。そして祭りの1日目、「試楽」の午前0時に「叩き出し」があって2日目の「本楽」と続きます。

シシゾウ:さまざまな神事が行われますが、一番の見どころは何でしょう?

伊藤さん:やはり、叩き出しが一番の見どころだと思います。7月15日から20日までの鉦鼓練習が終わってから祭り本番まで、一切太鼓の打ちならしが禁止されています。そして、皆さんが1年間、待ちに待った祭りの始まりでもあります。言うに言えない緊張感と、午前0時を迎える前の静けさ。これが打ち破られて鉦と太鼓が打ち鳴らされる瞬間は実に迫力があります。
叩き出しの内容を詳しく説明しますと、午後11時30分頃より、拝殿において「鉦鼓打ち始め式」が執り行われます。この式典には保存会役員が羽織、袴の正装で参列し、祭祀に続き神前より「斎火(いみび)」と「バチ」が撤下され、斎火は赤提灯に点され、バチは一旦会長である私に引き渡されます。バチは私から0時5分前には宮司に渡し、その時を静かに待ちます。
午前0時を目処に、私から春日神社の宮司に「午前0時になりました。お願いします」と伝え、神楽太鼓を打ってもらいます。神楽太鼓を受けると同時に、控えていた青年連盟役員が春日神社の赤提灯を振ります。その赤提灯をもとに各町内が送り火、「送り提灯」というのですが、役提灯を上に掲げて合図を送ります。神社に近いところから順番に合図が伝わっていくわけですから、遠く離れたところは3分~5分後にならないと叩き出せない。それも一つの醍醐味ですね。
このように、鉦や太鼓を叩く日や時間は厳密に決められています。鉦鼓練習や祭り以外の日に叩く必要があれば、保存会会長に届けを出して許可をもらう必要があります。
余談ですが、石取祭の取り仕切りは全てこの役提灯(馬上提灯といいます)によって取り仕切られます。馬上提灯に書かれる図柄によって役職、役割がわかるようになっています。

シシゾウ:鉦鼓練習は夕方から夜に行われると聞いています。かなりの音響ですから、地域になじみのない方は驚かれませんか?

伊藤さん:それが一番頭を悩ませているところです。昔は警察の方にクレームが入り、警察から会長へ、会長からクレームの起きた組の代表の祭事員へ、祭事員から各町内へ連絡し確認するということが、よくありました。今は時間を厳格に決めていて、守らないと罰則もあるのでそんな事はないのですが、昔は時間を過ぎても叩いていたこともありました。そこで、2、3年前は10時に必ず終わるようにしていましたが、10時の目安が難しいので、昨年から10時10分前には終わるように通達を出しています。それ以降、ご指摘があっても「10時10分前には終わりますので」という話をし、ご理解をいただいています。

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注目ポイント八間通を埋め尽くす、
勇壮で「日本一やかましい」祭車

シシゾウ:「おかっつあん」という行事がありますが、「おかっつあん」とは「お母さん」ではなく「お勝さん」という意味らしいですね。

伊藤さん:初代桑名藩主である本多忠勝の「勝」というふうによくいわれますが、織田信長の次男、織田信雄(のぶかつ)の「かつ」と「勝つ」の掛け言葉であるというのがいわれのようです。信長の後継者争いの小牧・長久手の戦いで信雄と家康の連合軍が、秀吉軍の滝川一益を破った時の凱旋歌が今に伝わっているのではないか、と。歌にある「蟹が桃を挟みちぎって放ったった」は即ち蟹は蟹江城主の信雄のことであり、桃は一益の家紋である。ですから、石取祭よりも古い歴史があるとも考えることができます。

シシゾウ:女性の方も男性と同じように多く参加されていますが、これは昔から許されていたのですか。

伊藤さん:いいえ。40年近く前は少なかったのを覚えています。神事は女性を敬遠していましたが、近年では、何処の町においても女性の参加が見られます。昨今ではむしろ華やかで元気な女性が中心となっている町が多く見受けられます。
昔は、食事の面倒を見ていただいたり、祭りの祭車の掃除をしていただいたりという裏方が主でしたが、今は女性に頼るところが多いのは、社会一般の傾向と同じです(笑)。

シシゾウ:去年の祭りと今年の祭りで何か違う点はありますか?

伊藤さん:桑名の市街地は春日神社を中心にして北市場と南市場に分かれています。そして、奇数年は北市場、偶数年は南市場という形で、祭車を並べる場所が変わります。今年は北市場ということになります。南市場の場合、旧東海道の狭い町並みに並ぶのですが、北市場の場合、桑名駅から桑名城跡までの「八間通(はちけんどおり)」に整列します。旧東海道と違って八間通は道幅が広く、祭車が一列に並んでいるところは勇壮的ではないかと思います。

シシゾウ:地域の方々にとっての祭りとはどういうものですか?

伊藤さん:祭りに対する思いは大変熱いものがあります。また町自体の親睦が祭りで保たれています。祭りにはお年寄りから子どもまで参加して、各世代が知り合いになって和気藹々と参加します。そんな祭りが出来ることが素晴らしいと思うのです。町内中の人が集まって会えるという幸せ。これに尽きるのではないでしょうか。
一年が祭りに始まり祭りに終わる。年がら年中祭りの事を考え、桑名っ子は祭りと共に生きています。普段から祭りを通じて絆を保っていますので、災害が起こった時でも、良い形で動けると思っています。2つ3つ離れた町内の人となると誰も知らないということが一般的かもしれませんが、桑名では同じ祭りに参加しているということで、顔見知りになって声を掛け合うこともできる。そのつながりを保つためにも祭りは大切な地域の絆であると考えています。

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ふるさと自慢歴史と文化に育まれた観光資源も豊富な町

シシゾウ:桑名市の特産品や観光スポットを教えてください。

伊藤さん:桑名はご存じの通り、焼きハマグリが有名です。あと、皆さんがご存じなのがナガシマリゾート(長島温泉)ではないでしょうか。また、実業家だった諸戸清六さんの建てられた「六華苑」という、洋館と和館、蔵などの建造物群と日本庭園で構成された素晴らしい名所があります。桑名は非常に歴史と文化がある、食べ物もおいしいところがたくさんある、十分楽しんでいただける場所だと思います。

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メッセージ祭車の華麗さに感激を味わってください

伊藤さん:全国的に見ても、単一の神社の一神事にこれほどの祭車が一堂に会する祭りは大変珍しく少ないと思います。又、平成19年3月には「桑名石取祭の祭車行事」の名称で国の重要無形民俗文化財の指定を受けた由緒正しい祭りでもあります。
本楽日の夕刻には整列した40台に及ぶ豪華絢爛の祭車に灯が灯り、蜿蜒半里(えんえんはんり)に亘って鉦鼓を打ち鳴らし祭車を曳き回す姿はまさに一幅の絵といえます。昼間の各祭車の見事な彫刻、金物、織物、塗りの豪華さと共に、夜の華麗さといった昼夜の祭車の表情の違いを楽しんでいただきたいです。
是非、桑名にお越しいただき直にご覧いただいて、「こんな小さな町に、こんな祭りがあったんだ」と知っていただきたいです。
また平成27年には、全国の祭人に石取祭の素晴らしさを知ってもらおうと、国指定重要無形民俗文化財の指定を受けた祭りで組織する、全国山・鉾・屋台保存連合会の全国総会を桑名で開催する事が内定し、「温かいおもてなし」をテーマに準備を進めています。

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