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片貝まつり 浅原神社秋季例大祭奉納大煙火

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:NST 新潟総合テレビ
放送
:9月23日(月・祝)15:00~15:55

ダイドードリンコスペシャル

片貝まつり ~神に捧げる大輪の花~

片貝まつり 浅原神社秋季例大祭奉納大煙火

三尺玉発祥の地として知られる小千谷市片貝町の花火は、400年に及ぶ歴史があります。片貝まつりは浅原神社の秋の例大祭で、花火はこの浅原神社への奉納を意味します。昭和60年には四尺玉の打ち上げにも成功し、ギネスブックに掲載されるなど、名実ともに世界一の打ち上げ花火として知られています。片貝の町では、朝から浅原神社へ花火の玉を奉納する「玉送り」や、花火打ち上げの成功と無事を祈る「筒引き」などの古式ゆかしい伝統行事の数々や、花火の迫力で会場は熱気にあふれます。番組では、長きに渡り継承されてきた祭りを支える地域の人々に密着し、花火をあげる人、花火を作る人の想いを描きます。

祭り紹介

  • 祭り写真館

片貝まつり 浅原神社秋季例大祭奉納大煙火

別名「花火祭り」といわれる伝統の「片貝まつり」は、三尺玉発祥の地として知られた片貝町で毎年9月9・10日に行われ、「筒引き」「玉送り」等の伝統行事や四尺玉の打ち上げなど町中が花火一色になる祭りです。浅原神社へ奉納する花火で、個人や企業が色々な想いを込めて花火を奉納します。

開催日
9月9日~9月10日 ※毎年同日
場所・アクセス
新潟県小千谷市片貝町浅原神社

■ バス
JR上越線「小千谷駅」から急行片貝経由長岡行バスに乗車、「一之町」下車、徒歩約20分
JR長岡駅から急行片貝経由小千谷行バスに乗車、「五之町」下車、徒歩約10分

■ 車
関越高速「小千谷インター」より約10分、「長岡インター」より約20分
お問い合わせ
片貝町煙火協会
0258-84-3900

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史それぞれの想いを込め、打ち上げ花火を神社に奉納

シシゾウ:片貝まつりは、いつごろ始まった祭りですか?

吉井さん:片貝まつりは通称で、浅原神社秋季例大祭が正式名称です。浅原神社は、当地で古くから信仰されてきた若一王子大権現(にゃくいちおうじだいごんげん)を御祭神としています。この神様は石の祠(ほこら)でまつられていましたが、宝暦年間(西暦1751~1763年)に住民の話し合いで鎮守社に定められ、現在地に社殿が建てられました。浅原神社という社名が正式に与えられたのは天保15年(西暦1844年)で、神社の例大祭に打ち上げ花火が盛大に上げられるようになったのもそのころからといわれています。観光パンフレット等に片貝まつりは400年の伝統があると書かれていますが、それはかなりおおまかなとらえ方で、郷土史を研究している私の見解としては、村の鎮守社と定められた宝暦年間(西暦1751~1763年)、つまり約250年前に始まったと考えるのが正しいと思います。

シシゾウ:神社の例大祭に花火が打ち上げられるようになったのはどういう経緯からですか?

吉井さん:日本最初の打ち上げ花火は江戸時代の享保18年(西暦1733年)、隅田川の両国川開きで打ち上げられました。当時の最先端文化だった打ち上げ花火が、江戸から片貝に伝わった経緯については諸説があります。当時、花火作りの原料である硝石などは非常に高価だったため、打ち上げ花火は贅沢な娯楽でした。そのころの片貝は造り酒屋が10数軒あり、越後一の酒造米高を誇り江戸や松前(現在の北海道)にも出荷するなど酒造業で栄え、酒造王国と呼ばれていました。また酒造りから派生した酒樽や杉の葉を使った線香の製造で農閑期にも仕事があったため、近隣地区に比べて豊かでした。そこで祝い事などがあるたびに打ち上げ花火が盛んに打ち上げられ、そのうち地区最大の催し事である神社の例大祭に打ち上げ花火を奉納するという流れになったのではないかと推察されます。

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みどころ世界一の四尺玉が、夜空に大輪の花を開かせる

吉井さん:片貝の花火を全国的にしたのは、昭和60年の四尺玉打ち上げの成功です。世界一の打ち上げ花火ということでギネスブックにも掲載されました。片貝の大型花火の歴史は明治24年(西暦1891年)に日本初となる三尺玉花火を4発打ち上げたことに始まり、以来、大型花火を打ち上げるのが恒例になりました。現在、2日間で約1万5000発の花火が打ち上げられますが、中心になるのは大型の尺玉・二尺玉・三尺玉などで、両日とも四尺玉がフィナーレを飾ります。地上800mの上空に直径800mの巨大な花を開かせる四尺玉を見られるのは片貝だけです。
もうひとつ、片貝の花火で昔から定評があるのは音です。花火を打ち上げる浅原神社裏手の背後に屏風状の小高い山があるため音が反響し、豪快な破裂音が辺りに響き渡り、臨場感たっぷりです。片貝まつりよりも花火の打ち上げ数が多い花火大会は全国にたくさんありますが、四尺玉を打ち上げ、音が楽しめる山の花火ということにおいて、片貝まつりの打ち上げ花火は全国で唯一無二ではないかと自負しています。

シシゾウ:片貝まつりの花火は一発ごとにコメント放送されるのも特色のひとつですが、いつから始まったのですか?

吉井さん:昔から片貝の花火は、住民各人が個人的な願いを込め、神社に奉納するという形で行われてきました。片貝の花火が奉納煙火であるといわれるゆえんです。打ち上げ前のコメント放送が行われるようになったのは昭和50年代です。花火を奉納する理由は、結婚や子どもの誕生などの冠婚葬祭、家の新築や改築、家内安全や商売繁盛の祈願など多種多彩ですが、その内容をコメントとして打ち上げ花火のプログラムの「花火番附(はなびばんづけ)」に掲載し、打ち上げ前にアナウンスすることにしました。花火は一瞬ですが花火番附は形として残ります。それを見ればその年に家族に何があったのが一目瞭然なので、記念にちょうどいいと喜ばれ、コメント放送が始まってから花火を奉納する人がさらに増えました。コメント放送があるため花火の打ち上げ間隔が間延びしていると、見物に来られた町外の方からご意見をいただくこともありますが、奉納煙火ならではと温かい目でご覧いただければ幸いです。
片貝町の住民は昔から花火にお金を惜しみません。片貝中学校の同級会では成人・還暦といった人生の節目のお祝いや42歳の厄年の厄除けに、スターマインや大玉など豪華な花火を奉納するのが恒例で、一発の花火のために10万円以上の寄付をすることも珍しくありません。就職や結婚で町を出ても花火で結ばれた関係は一生続きます。
最近は町内だけでなく町外からの花火奉納も増えており、観光で訪れる方にも花火の打ち上げに参加していただこうということで、数年前からワンコイン(500円)で大スターマイン打ち上げに協賛できるツアーが企画され、大変好評です。ツアーに参加された方たちは、自分たちの花火が打ち上げられるというアナウンスを聞くと、ひときわ盛り上がってご覧になっています。

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注目ポイント古式ゆかしい「筒引き」「玉送り」行事

吉井さん:昼に行われる「筒引き」と、昼夜行われる「玉送り」は片貝まつりでしかご覧いただけない珍しい行事です。玉送りが始まったのは明治14年(西暦1881年)です。花火製造が免許制になる以前、片貝では各家庭で花火玉が作られ、各自で打ち上げ場所まで運び、花火師に打ち上げてもらっていました。しかし、打ち上げ数があまりにも増えすぎて個々に対応できなくなったため、各町内で花火玉をまとめて打ち上げ場所まで運ぶように取り決められました。運び方ですが、「奉納大煙火」と大書された玉箱にまとめて入れ、それを大八車に積んでしめ縄を張り幣束を立て、町内をめぐったあと、社頭とお立ち台で奉納木遣りを歌い、花火が打ち上げられます。それが儀式化されたのが玉送りです。
花火の成功と無事を祈願し、山車に木製の巨大な花火の打ち上げ筒を乗せ、町内を引き回す筒引きは明治20年(西暦1887年)に全国で初めて試みられ、行事化されました。筒引きの道中で披露される勇壮な纏(まとい)の演舞もみどころのひとつです。

シシゾウ:玉送りや筒引きで木遣りが歌われるのはなぜですか?

吉井さん:片貝まつりで歌われる木遣りは、前唄・道中木遣り・奉納木遣りと呼ばれる3曲で、これらの元唄の曲名は「てこ」「さらば」「かまくら」といいます。木遣りは山仕事や土木作業など集団で力仕事を行うときの掛け声から誕生したもので、江戸城築城の折、関西から呼び寄せられた木遣り師を通じて江戸に伝わり、八代将軍徳川吉宗が創設した江戸町火消たちによって継承されました。天明6年(西暦1786年)、片貝は幕府直轄の天領に組み入れられ、それを機に江戸に倣って幕末には6つの火消組が組織されました。現在、片貝まつりを中心になって支える6つの町内はその火消組の流れをくむものです。江戸の町火消と同じように火消組が慣れ親しんでいた木遣りがハレの舞台である祭りに取り込まれていったことは想像に難くありません。
片貝の木遣りの一番の特徴は、囃し立てる掛け声が中心になっているところです。江戸木遣りは江戸時代末期にお座敷や宴席で歌われる祝儀歌へ変化してしまったため、江戸木遣りの原初の姿を伝える片貝の木遣りは貴重といえます。なお、片貝まつりで各町内の人間が着用する祭り半纏は江戸町火消の装束を模していて、町内6組中4組の半纏の柄は江戸町火消の伝統の半纏柄をアレンジしたものです。そういったところにも江戸文化の影響が色濃く残っています。

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ふるさと自慢四尺玉にちなんだ菓子や酒が人気

シシゾウ:小千谷市片貝町でおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

吉井さん:花火の町・片貝にお越しになられたら花火にちなんだ商品をみやげにいかがでしょうか。一口サイズの丸いボンボン羊羹を花火玉に見立てた「玉花火」という和菓子は、容器に本物の花火の玉皮を使うなど見た目も趣向をこらしています。片貝の酒造りの伝統を受け継ぐ町内の酒造会社はその名も「四尺玉」という日本酒を製造販売しています。片貝まつりの半纏を製造する「紺仁(こんに)工房」という染物屋さんは、伝統の越後正藍染の祭り半纏や祭り半纏をアレンジしたTシャツなどを販売しています。祭りのときには片貝物産お土産販売所が開設され、花火にちなんだ商品をはじめ片貝の特産品を販売しているので祭りにお越しになられたらお立ち寄りください。

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メッセージボランティアガイドが片貝まつりと
片貝町の歴史をご案内します

吉井さん:片貝町は人口がわずか5000人ほどの山の中の小さな町ですが、片貝まつりのときには町外から20万人もの方がお越しくださいます。花火で片貝に関心を持っていただけたら、この町の歴史にも目を向けていただければ嬉しく思います。片貝は明治時代まで三島郡の経済文化の中心地で、長岡藩校よりも先に村塾が作られました。また天明・天保の大飢饉のときに、私財を投じ近郊の村を救った佐藤佐平治という篤志家も輩出しています。
片貝の歴史や片貝まつりについてくわしく知りたいという方は、片貝総合センター内にて、片貝の歴史を勉強した観光ボランティアガイドがご案内させていただきますので、ぜひご利用ください。(※平成25年夏より発足予定)

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