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伏木曳山祭

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:TUT チューリップテレビ
放送
:6/2(日) 14:00〜14:54

ダイドードリンコスペシャル

海神に響け 男の魂 ~伏木けんか山~

伏木曳山祭

伏木曳山祭は毎年5月15日に行われる伏木神社の春の祭礼です。昼間は艶やかな花山車で町を彩った曳山が、夜には一変、幻想的な提灯山車へと姿を変え、「イヤサー」の掛け声とともに町中を練りまわります。伏木の曳山は別名「けんか山」とも呼ばれ、夜には「かっちゃ」と呼ばれる余興が行われ、重さ8tを超える曳山同士が激しくぶつかり合います。
伏木の男たちは「かっちゃ」を行うため山から木を調達し、自らの手で一つ一つ加工していきます。伏木の男たちは曳山に関するすべての作業を自分たちで行うことに誇りを持っているのです。一年のほとんどを曳山にかける男たちの情熱に密着します。

祭り紹介

  • 祭り写真館

伏木曳山祭

伏木曳山祭は、江戸時代後期から続く海岸鎮護・海上安全の神を祀っている伏木神社の春祭りで、別名「けんか山」と呼ばれています。昼は花山車、夜は提灯山車にその姿を変え、山鹿流出陣太鼓の囃子に合わせて、山車どうしが提灯を激しく揺らしながらぶつかり合う「かっちゃ」が行われます。

開催日
5月15日 ※毎年同日
場所・アクセス
富山県高岡市伏木地内、山町一帯(伏木中央町周辺)

■ 電車
「高岡駅」よりJR氷見線に乗り「伏木駅」下車。約15分

■ バス
「高岡駅」より「伏木経由氷見行・伏木循環」バスに乗り「伏木支所前臨時バス停」下車

■ 車
・「高岡インター」より国道8号線を富山方面へ進み「下田」交差点左折、約20分
・「高岡北インター」より県道32号線を伏木方面へ進み約15分
お問い合わせ
伏木曳山祭実行委員会
0766-44-0481

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

歴史幾度かの中断を乗り越えて伝えられる
伏木曳山の意気込み

シシゾウ:伏木曳山祭は、いつごろから始まった祭りなのでしょう?

野口さん:記録として残っているのは文政3年(1820年)です。このときに中町さんが山車(やま)を作ったのが始まりとされています。ただし、上町さんの福神に天明元年(1781年)の在銘があることや、山車が作られる以前は、祭日に福神を船問屋の座敷に講じ祀ったという伝承が残されていることから、山車を作る計画はもっと早く、安永の頃(1772~80年)に遡ることができると考えられます。

シシゾウ:曳山は伏木独自のものなのでしょうか?

野口さん:高岡には、今から約400年前から続く「高岡御車山(みくるまやま)祭」という祭りがあります。これは豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎えるときに使用した御車山を(加賀藩初代)前田利家が拝領し、(二代目)前田利長が慶長14年(1609年)に高岡開町の際に、町民に与えたのが始まりと伝えられています。この御車山を見て、寛永年間(1624~1645年)の中くらいから終りにかけて、高岡以外の周辺の地域でも順番に作られたようです。
周りでそういう山車が作られてきますと、伏木でも作りたいというような機運が生じたと考えられます。
伏木で山車が作られることになった直接の動機は、伏木神社の遷座に伺えます。もともと鎮守の神明社(現在の伏木神社)は海岸沿いにあったのですが、波崩れにあい文化10年(1813年)に今の場所に移されました。そのときに地主や船問屋の人たちが神社を作り、ご神体を乗せる神輿が現在の山車になったと考えられています。そして、中町さんに続いて文政7年(1824年)に上町(かんまち)さん、天保12年(1841年)に本町さん、寳路町(ほろまち)さん、万延元年(1860年)に石坂町さん、元治元年(1864年)に十七軒町さん、明治25年(1892年)年に湊町さんと、計7つの山車が作られました。しかし、最後の山車ができる23年前に十七軒町さんの山車は火事で焼失してしまっているので、7基がそろったことはありません。

シシゾウ:その頃から現在まで、変わることなく祭りは続けられてきたのですか?

野口さん:いえ、もともとは大正6年(1916年)までは、神社の遷座があった翌日の9月25日に行われていました。しかし翌年の秋にコレラが大流行し、また9月の中頃は雨が多いという理由から、祭礼日は春になりました。明治41年(1908年)から大正2年(1913年)までは特設電話開設などによる架線工事で山が通れなくなったため曳行が中断し、昭和12~21年(1937~1946年)の戦争中も曳かれませんでした。
最近では、祭りの見どころにもなる山車と山車をぶつけ合う「かっちゃ」が4対2から総当たり戦に変わりました。本町さん、上町さん、中町さん、寳路町さんの青年団が「本町青年団」を結成して4基の山車が団結し、新開地の石坂町さんと湊町さんの2基との対抗戦を繰りひろげていましたが、平成8年(1996年)からは総当たり戦になりました。ただし、それ以前は総当たり戦だったそうなので、昔に戻ったというところでしょうか。
それから、それまで曳行は男性ばかりで行われていましたが、平成14年(2002年)から女性の曳子も認めるようになりました。そして平成16年(2004年)には、十七軒町さんの福神である寿老人が復元されています。さらに提灯の明かりを電球からLEDに変えました。おかげで電源用のバッテリーを、大幅に減らすことができました。

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みどころ華麗な昼の花山車と優雅で勇壮な夜の提灯山車

シシゾウ:曳山祭りのスケジュールはどのようになっていますか?

野口さん:本祭りの前に一度山車を曳いてみないと、一年間納めていた車輪の状態や山車の調子全体がわからないので、本番前に保管庫である「山倉」から倉出しを行います。昨年は5月3日に行っており、いわゆるためし曳きみたいなものですね。14日の夜は6基の山車が山倉に並んでライトアップされ、「宵祭り」として1時間半程度イベントを開催します。
15日の本祭りは、まず午前中各町山宿で福神をのせて、それから自分の町の町内曳きをします。そして、午前11時から祭りが本格的に始まり、「かっちゃ」が終わるのは夜の12時。それからまた町内を廻って、伏木神社に御幣を返して山倉に収めます。

シシゾウ:昼と夜では曳山の様子も変わるんですね。

野口さん:昼は花山車といって、中町さんが福禄寿、上町さんが布袋、本町さんが弁財天、寳路町さんは恵比寿、石坂町さんが大黒天、湊町さんは毘沙門天の福神をのせて巡行します。
ただし、十七軒町さんの山車は焼失したために福神の寿老人は山宿に鎮座しています。さらに、「だし」と呼ばれる飾りにもそれぞれ特徴があります。中町さんでしたら千成瓢箪で子孫繁栄の願いが込められ、上町さんは笹竜担で延寿長生、本町さんの場合は五鈷鈴で宝来招福、寳路町さんは重ね分銅で富貴蓄財、石坂町さんは「壽の字」といって不老長寿の字が書かれ、十七軒町さんの法螺貝は未来永劫という意味、湊町さんは胡蝶で意味は財宝福徳。このように、それぞれの願いや意味がだしに込められています。この華麗な花山車が弥栄(いやさかえ)という意味の「イヤサー、イヤサー」の掛け声とともに練り歩きます。山車の巡行だけでなく、伏木神社のお神輿が出る「御幸行列」も行われます。このとき子どもたち12人が、「母衣武者」といわれるお神輿の警備として参加します。
夜になると山車は提灯山車にかわります。1年365日ということで、360個前後の提灯と四季を表した大きな提灯4個が周囲に飾られます。その提灯が曳かれるときや、「かっちゃ」のときの揺れ具合と音が特徴のひとつです。「かっちゃ」が行われるので夜はよくクローズアップされるのですが、昼間の山車もみどころが多く、昼から夜まで楽しめるお祭りといえます。
また数年前から、「七福神めぐり」というスタンプラリーをやっています。これは台紙を伏木小学校4年生から6年生に作成してもらい、各町の「山宿」や伏木神社を巡ってハンコをもらい、全部集めると記念品がもらえるというイベントです。全国から来られるお客様の中にも台紙を持って廻られる人もいて、好評ですよ。

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注目ポイント万全の体制で安全が守られている
大迫力の「かっちゃ」

シシゾウ:曳山について、もう少し詳しく教えてください。

野口さん:山車の高さは8m、重さ8tといわれています。形で特徴的なのが「付け長手」です。
重い曳山の舵取りの役目と「かっちゃ」に備えた武器でもあり、長さ5mほどの樫の木が使われています。山車につける方法は縄で縛るだけ。ボルトなどを使わないのがこだわりで、各町秘伝の縛り方などがあると聞いています。

シシゾウ:そんなに大きくて重い曳山が、「かっちゃ」ではぶつかり合うんですか?

野口さん:そうです。すごい迫力ですよ。

シシゾウ:「かっちゃ」はいつ頃から始まったのですか?

野口さん:よく聞かれるんですが、それがわからないんです。明治25年(1852年)に湊町の山車が作られてから始まったのではないか、と書かれている本もありますが、実際のところは何とも言えないのが現状です。古老の方々からは、自分たちの山車の進行の邪魔になるから、どかせるためにぶつけたのではないかと言われます。今のように付け長手と付け長手をぶつけるのではなく山車に突っ込んで行って、とにかく自分の山車を先に行かせるという意味合いがあったと話しておられました。ただ、本当のケンカや壊し合いではないんだから、ということでルールを設けられるようになったと聞いています。そのルールが、付け長手の太さとか長さとか、ぶつける場所や距離ですね。
「かっちゃ」は各町の総代さんが提灯を振って、それが合図になって走り出します。勝った負けたは無く、終わり方は場の雰囲気の中で総代さん同士が決めます。お客さんの「もっとやれ、もっとやれ」という空気の中で、総代さん同士が山車の付け長手に上がり、握手したら終わりです。お互い「いい祭りだった」と。

シシゾウ:迫力のある行事ですが、事故やケガはないのですか?

野口さん:最近は無いですね。というのは、お酒を飲んでいる人は絶対に曳かせない、整備員が曳き手を注意深く見る、さらに、法被を着ていない人は曳けない、という決まりごとを設けています。徹底して事故には気を付けています。そして、役員も自覚を持って祭りに臨んでいます。お客様についても、観客警備員を配置しましてフェンスを組んで、それ以上は入れないようにします。とにかく山車と山車とをぶつけられる環境を万全の気遣いで作る。警察官とともに警備を行う観客警備員も、町内から出します。山車と山車とがぶつかったらどういう風に動いていくかをよくわかっていらっしゃる、お年寄りや中堅の方が担当しています。

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ふるさと自慢海岸を越えて見える立山連峰はまさに絶景

シシゾウ:伏木地区や高岡市のご自慢を教えてください。

野口さん:高岡市は昨年6月に「歴史都市」に認定されました。そしてその一端を担っているのが伏木です。伏木は、古くは越中の国府が置かれた土地で、天平時代には「万葉集」の編者ともいわれる大伴家持が約5年間(746~751年)国司として赴任しています。家持は在任中に伏木をはじめ高岡周辺の素晴らしい景観に触れた歌を詠み万葉集におさめられていることから、「越中万葉」の舞台の一つとしても知られています。
江戸時代には、寛文3年(1663年)に幕府が全国13港の1つとして指定したと伝えられていて、加賀藩支配のもと大阪への米の積み出し港として、また19世紀から明治期にかけては北海道との交易による「北前船」の往来で栄えました。この廻船問屋の人々が担い手となって、曳山の創設をはじめ伏木の町の発展に様々な貢献が行われました。

シシゾウ:観光スポットや名産品は何がありますか?

野口さん:文化遺産では、伏木には国の重要文化財である「勝興寺」、高岡には国宝の「瑞龍寺」があります。また自然景観では、「雨晴海岸」からの立山連峰がおすすめです。海を越えて3000m級の山々が見えるのは、日本ではここだけではないかなと。特に冬の晴れた日の景観は素晴らしいですよ。
名産品では、私個人としては「大仏コロッケ」ですかね。奈良大仏・鎌倉大仏とならび日本三大仏に数えられる高岡大仏をモチーフに、大仏という名前のごとくワラジくらいの大きさがあって、なかなか食べ応えがあります。

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メッセージ先人たちの思いを
次の世代の子どもたちに伝えるのが務めです。

野口さん:奈良時代、越中の政治・文化の中心として栄えてきた伏木は、江戸時代には北前船を扱う廻船問屋の人々によって繁栄していきます。そんな人々が担い手となって曳山造りが始められ、それから多くの先人たちの非常な苦労と努力で「伏木曳山祭」は現在に引き継がれています。先人の祭りに賭けた思いは、伏木神社の遷座200年の年にあたり、「かっちゃ」で魅せる港町の誇りとしてますますの弥栄えを願い、次の世代の伏木っ子に伝承していくのが今、祭りに関わる私たちの務めだと考えています。

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