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相馬野馬追

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:TUF テレビユー福島
放送
:8月25日(土) 16:00~16:54

ダイドードリンコスペシャル

人馬一体戦国絵巻 「相馬野馬追」~天までとどけ熱き侍魂~

相馬野馬追

世界一の馬の祭典と言われる「相馬野馬追」。戦国絵巻さながら、甲冑姿の数百もの騎馬武者たちが意地と名誉をかけて出陣する誇り高き祭りです。その歴史は古く、一千有余年。相馬家の始祖、平小次郎将門が野馬を敵兵に見たてて捕える軍事訓練として、また、捕えた馬を神前に奉納する妙見神の祭礼として始まったと言われています。昨年は震災と原発事故の影響で規模を縮小して野馬追を開催。そこには相馬の人たちに受け継がれてきた侍魂とも言うべき「気概」がありました。気概とは困難にくじけない強い意志。そしてその気概が失われることなく今年は例年規模に戻して相馬野馬追は開催されます。
番組では震災と原発事故で被災した馬とそれを取り巻く人々の野馬追にかける想い、そして、ある一家の野馬追出陣に向けた揺るぎない決意に迫ります。

祭り紹介

  • 祭り写真館

相馬野馬追

旧相馬中村藩領にて毎年3日間にわたり繰り広げられる「相馬野馬追(そうまのまおい)」は、平将門が関八州の武将を集めて下総国で行った軍事訓練(野馬を放して、その馬を敵兵に見立てて捕える)が起源だといわれています。甲胃(かっちゅう)に身を固めた騎馬武者が、腰に太刀、背に旗指物(はたさしもの)をなびかせて勇壮な戦国絵巻を繰り広げます。

開催日
7月最終土~月曜日
場所・アクセス
福島県南相馬市雲雀ケ原祭場地
・JR常磐線 原ノ町(ハラノマチ)駅より29日のみ雲雀ヶ原祭場地会場近くまでシャトルバスを運行予定
※常磐線は、東日本大震災の影響で、広野~原ノ町駅間・相馬~亘理駅間の上下線で終日運転を見合わせております。
相馬~亘理駅間でバス代行輸送を実施しています。(2012年3月現在)
お問い合わせ
南相馬市観光交流課
0244-22-3064

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

祭りのご紹介
歴史
みどころ
注目ポイント
ふるさと自慢
メッセージ
刈和野大綱引保存会 会長 高橋 博(たかはし ひろし)さん
「野馬追あっての相馬というくらい相馬野馬追は私たち相馬の人間にとって重要な行事です。平成23年は規模はかなり縮小しましたが、東日本大震災で亡くなられた方々の鎮魂と復興を祈願し、行事を実施しました。今年はできる限り平時に近い野馬追を開催しようということで、関係者は皆頑張っています。」
小高郷(おだかごう)騎馬会 会長
本田 信夫(ほんだ のぶお)さん
歴史

約1000年前に野馬を放って行った
軍事訓練が始まり

シシゾウ:相馬野馬追は、いつごろ始まった祭りですか?

本田:相馬野馬追は今から約1000年前、下総国(しもうさのくに)(=現在の千葉県北部一帯)と奥州に勢力をふるった相馬氏の始祖と伝えられる平将門(たいらのまさかど)が関八州(かんはっしゅう)(=現在の関東地方)の兵を集め、野に野生馬を放して軍事訓練をしたことが始まりとされる歴史ある行事です。相馬氏は元亨(げんこう)3年(1323)に本拠地を現在の千葉県流山市から南相馬市小高区に移し、相馬中村藩の祖となりました。相馬中村藩は明治の廃藩置県まで一度も国替えがなく、現在も旧藩主家の相馬家と旧藩領のつながりは密接で、相馬野馬追にも相馬家の方が参加されます。
野馬追には旧相馬中村藩を構成する5つの郷[宇多郷(うたごう)、北郷(きたごう)、中の郷(なかのごう)、小高郷(おだかごう)、標葉郷(しねはごう)]でそれぞれ編成された騎馬会が参加します。五郷の騎馬会は相馬氏の守護神・妙見神を祀る3つの神社ごとに3軍に編成され、宇多郷と北郷は相馬市の相馬中村神社、中郷は南相馬市原町区(はらまちく)の相馬太田神社、小高郷と標葉郷は南相馬市小高区の相馬小高神社にそれぞれ供奉します。


シシゾウ:騎馬会のメンバーになるのはどういう人たちですか?

本田:明治時代まで野馬追は士族の行事でしたが、廃藩置県後は士族以外も参加できるようになりました。しかし、騎馬会の会員間の軍律が厳しいこともあり、広く一般の人が参加するようになったのは戦後になってからです。最近は若い人たちも多く参加するようになりました。私の家は先祖から数えて25代にわたって野馬追に参加していて、現在は私と私の息子、孫たちの3世代で出ています。

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みどころ

騎馬武者が行軍、疾走する壮大な戦国絵巻

シシゾウ:今年から祭りの開催日が変わるそうですね。

本田:以前は固定日でしたが、平成24年からお勤めされている人も参加しやすいように開催日を7月最終の土・日・月の3日間に変更しました。
相馬野馬追の1日目には各神社で出陣式が行われます。五郷の騎馬会を指揮する総大将は宇多郷騎馬会の長、副大将は北郷騎馬会の長が務める習わしです。宇多郷騎馬会は相馬中村神社、中の郷騎馬会は相馬太田神社、小高郷騎馬会と標葉郷騎馬会は相馬小高神社でそれぞれ出陣式を行った後、相馬野馬追祭場地の雲雀ヶ原(ひばりがはら)に向け、各社の神輿に従って進軍します。宇多郷の騎馬武者たちを従えた総大将は、途中で副大将率いる北郷騎馬会に出迎えられ、そこから一緒に雲雀ヶ原に向かいます。
午後1時に全軍が雲雀ヶ原に勢揃いすると、足慣らしとして1周1100mのコースを12頭立てで競争する宵乗り競馬(よいのりけいば)が行われ、夜には五郷の騎馬会幹部が集まって軍議をする軍者会(ぐんじゃかい)が行われます。
2日目は、南相馬市原町区の中心から北に約1km離れた小川橋(おがわばし)に五郷の騎馬武者たちが集結し、雲雀ヶ原までの約3kmを行軍します。例年、参加する騎馬は約500~600頭です。雲雀ヶ原に着くと相馬野馬追のメインイベントとされる甲冑競馬と神旗争奪戦が行われます。甲冑競馬は、前日の宵乗り競馬と同じ要領で鎧兜を付けた騎馬武者たちが1100mのコースを12頭立てで競争するレースで、10レース行われます。神旗争奪戦は、2枚の御神旗が入った花火を打ち上げ、落ちてきた御神旗を騎馬武者たちが素手でつかんだり、ムチでからめ取ったりして奪い合います。花火は20発打ち上げられます。旗指物をなびかせた騎馬武者たちが疾走したり、争ったりするところは非常に迫力があります。それが終わると各騎馬会の騎馬武者たちは、それぞれの神社に帰還します。小高郷騎馬会の地元の小高区では、帰ってくる騎馬武者たちをかがり火で出迎える火の祭りが行われます。昔、戦いから戻ってくる武者たちをかがり火で迎えたという故事にちなんだ行事で、地元の小中学生や婦人会の人たちが手作りした約5000個のかがり火が地区を取り囲むように立てられます。煌々とかがり火が燃える光景は本当に見事で、地元の人々は全国の有名な火祭りに匹敵すると自負しています。昨年は火の祭りができませんでしたが、今年は例年通り実施する予定で、復興に向かうひとつのシンボルにしたいと思っています。

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注目ポイント

裸馬を素手で取り押さえて奉納する
由緒ある野馬懸

本田:野馬追の3日目は、私たち小高郷と標葉郷の両騎馬会によって野馬懸(のまがけ)が行われます。野馬懸は、野に放たれた裸馬を陣羽織姿の騎馬武者が相馬小高神社の竹矢来(たけやらい)に追い込み、その馬を白装束に身を固めた御小人(おこびと)と呼ばれる男たちが素手で取り押さえ、神前に奉納する儀式です。野馬懸は野馬追の原点とされ、昔の生活文化を伝える生きた資料として極めて価値が高いと文化庁からお墨付きを受け、相馬野馬追が国の重要無形民俗文化財に指定される決め手になりました。昔は裸馬を雲雀ヶ原から放しましたが、現在は相馬小高神社から約1km離れた小高区大井字岩迫(いわのさく)の農道で放しています。放す馬の数は全部で5~7頭で、1頭ずつ放されるのを7~8人の騎馬武者が神社に追い込みます。最大のみどころは御小人が裸馬を取り押さえるところです。素手で暴れる馬を扱うのは容易ではありません。1頭を取り押さえるのに10分近くかかり、見ていてもすごい迫力です。
昨年の野馬懸は相馬小高神社が福島第一原発事故の警戒区域に入っていたため、原町区にある多可神社で神前に馬を献上する儀式のみを行いました。しかし、相馬小高神社でどうしてもやってほしいという地元住民の声が強いため、今年は本来の形で野馬懸を行いたいと考えています。2012年4月頃に警戒区域の見直しが実施されるという話があり、相馬小高神社が警戒区域圏外になる可能性が高いので、私たちとしても大いに期待しているところです。


シシゾウ:相馬野馬追の最大の魅力はどういうところでしょうか?

本田:まるで時代劇を見ているかのような勇壮な侍の世界が繰り広げられるところではないでしょうか。騎馬武者たちが身に付ける装束の鎧甲冑は文化財級の貴重なものが多いですし、武者同士が交わす会話はすべて侍言葉です。また、馬に騎乗する時、出発する時、馬の歩みを速めたり遅めたりする時など、軍勢への合図はすべて法螺貝で行われます。「野馬追は貝に始まり、貝に終わる」といわれる由縁です。ちなみに、法螺貝の合図は全部で18種類あります。騎馬会ではこうした伝統を継承していくため、会員向けに年に数回、言葉遣いや武装馬装を勉強する会を開いています。
騎馬会は純粋な縦社会です。軍律は非常に厳しいですが、若い人たちが騎馬会に入会して野馬追を経験することで生活態度が改まったという例が少なくありません。現代で希少になっている規律正しさも魅力ではないかと思います。

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ふるさと自慢

旧相馬中村藩ゆかりの地巡りがおすすめ

シシゾウ:相馬市・南相馬市でおすすめの観光スポットを教えてください。

本田:旧相馬中村藩にゆかりの場所をぜひご覧いただきたいと思います。野馬懸の会場の相馬小高神社は、千葉県から移ってきた相馬氏が約280年間本拠を置いた居城・浮舟(うきぶね)城跡に建立されています。相馬氏は慶長16年(1611)に相馬市中村の相馬中村城に本拠を移しました。その城内に建てられたのが相馬中村神社で、社殿は国の重要文化財に指定されています。小高区の同慶寺(どうけいじ)という寺院は相馬氏の菩提寺で、相馬中村藩の歴代藩主の霊廟(れいびょう)があります。
相馬中村藩と直接関係はありませんが、「大悲山(だいひざん)の石仏」は、日本三大磨崖仏(まがいぶつ)のひとつに数えられる石仏群で、国指定史跡にもなっています。大悲山には樹齢1000年以上といわれる大杉もあります。一見の価値がありますので機会があればぜひ足を伸ばしてください。

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メッセージ

旧相馬中村藩の侍として頑張ります

本田:昨年は規模を縮小して行いましたが、今年は例年通りの野馬追をしようということで、行政の支援も受けながら五郷の騎馬会が一致協力して取り組んでいます。祭場地の雲雀ヶ原がある南相馬市の北部は、ほぼ平時の生活に戻っているので甲冑競馬と神旗争奪戦は例年通りご覧いただけます。2012年2月の時点で、例年通り開催できるかどうか未定なのは野馬懸です。小高郷騎馬会と標葉郷騎馬会の会員が暮らす南相馬市小高区、浪江町、大熊町、双葉町は、福島第一原発事故の警戒区域に入っているため、住民は避難生活を送り、復旧復興の見通しも立っていません。私も会津若松に避難しています。このように非常に残念な状況におかれてはいますが、私たち騎馬会の会員は旧相馬中村藩の侍として、いつの日か郷里に戻り、相馬を復興させたいという思いでいっぱいです。私の好きな「一陽来復」という言葉通り、厳しい冬が過ぎれば必ず春が訪れると信じて一生懸命頑張りますので、応援をよろしくお願いいたします。

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