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新野の雪祭り

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:SBC 信越放送
放送
:2月5日(日)16:00~16:54

ダイドードリンコスペシャル

神が近い里 ~新野の雪祭り~

新野の雪祭り

信州の南端、愛知県に境を接する阿南町新野。四方を山に囲まれた標高800mの盆地に、はるか鎌倉時代中期に遡る歴史をもつ祭りが受け継がれてきました。降りしきる雪を稲穂の花に見立てて豊作を祈る祭りで、国の重要無形民俗文化財に指定されています。松明の燃えさかる伊豆神社境内では、夜を徹した祭りが行われます。お神籤(おみくじ)で選ばれた人は、ご神体の仮面を身につけることで神となり、祝福の唱えごとや、大地の生命力を甦らせるための舞いを見せます。観衆は神との1年ぶりの再会を喜び、褒めたりひやかしたりしながら舞いを盛り上げます。そこには遠い昔から祖先が大切にしてきた、神と人とのつながりや、心の通い合いがあります。神様と舞人、見物人がまさに一体となる雪祭りは、新野の人々にとって大きな心の支え。真摯に祭りと向き合う人々の想いを伝えます。

祭り紹介

  • 祭り写真館

新野の雪祭り

新野の雪祭りは豊作を願う祭りで、伊豆神社境内で「田楽」「舞楽」「神楽」「猿楽」などが徹夜で繰り広げられます。「当日に雪が降ると豊作になる」という五穀豊穣祈願で、使用する19種の仮面=面形(おもてがた)に、作り物の駒(こま)、獅子頭(ししがしら)、馬形、牛形が加わり、仮面をつけることによって神の化身となります。

開催日
1月14日~1月15日※毎年同日
場所・アクセス
長野県阿南町伊豆神社
・JR飯田線 温田駅よりタクシーで約30分
※バスは平日のみ運行。約40分
お問い合わせ
阿南町振興課
0260-22-4055

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

祭りのご紹介
歴史
みどころ
注目ポイント
ふるさと自慢
メッセージ
新野雪祭り保存会 会長 金田 昭徳(かなだ あきのり)さん
「新野の人間にとって新野の雪祭りは一年の始まりを告げるもので、雪祭りを行うことが心の大きな支えになっています。豊作と健康で働けること、そして新野の地域社会が平穏であってほしいという祈りが込められたこの祭りは、新野の人たちの神仏を崇拝する気持ちが素直な形で伝えられたものだと思います。」
新野雪祭り保存会 会長
金田 昭徳(かなだ あきのり)さん
歴史

春日大社の能と伊勢の田楽舞が融合

シシゾウ:新野の雪祭りはいつごろ始まった祭りですか?

金田:新野の雪祭りは今から750年ほど前の鎌倉時代中期に、伊豆出身で奈良県の春日大社に神官として仕えていた方が新野にやってきてそのまま住み着き、春日大社で行われていた薪能(たきぎのう)を中心とした能の舞台を持ち込んだのが始まりだといわれています。さらにそれから約130年後の室町時代初期に、今度は三重県の伊勢平氏の流れをくむ関氏という豪族が新野にやってきて、城を築いてこの地を治めました。その関氏は伊勢に伝わる田楽舞を新野に持ち込みました。こうして春日大社の能の神様の舞と伊勢に伝わる田楽の仏の舞、これがひとつに混じり現在の新野の雪祭りの形ができあがりました。この祭りは神仏習合(しんぶつしゅうごう=日本固有の神と仏教が融合して信仰されること)という日本文化の源流を伝える祭りだといって過言ではないと思います。


シシゾウ:舞を奉納する祭りが雪祭りと呼ばれるのはなぜですか?

金田:新野の雪祭りと呼ばれるようになったのは大正時代以降です。それまでは正月の神事、あるいは神楽が奉納される伊豆神社と神仏習合で祀られてきたお寺の名前から、「二善寺(にぜんじ)の祭り」と呼ばれていました。大正15年1月、民俗学者の折口信夫(おりくち しのぶ)先生が新野の祭りを調査にいらしたとき、夜中に雪がしんしんと降る中で祭りが行われているのをご覧になって、「新野の人たちが農作物、特にお米の豊作を祈ってお祝いをするこの祭りで、降りしきる雪は稲が咲かせる白い花に重なって見える。雪を大事にしている祭りだから雪祭りとしたらどうですか」と提案してくださったことから、この名前になりました。実際、この祭りは雪が重要で、伊豆神社の御祭神の伊豆権現(いずごんげん)に雪をお供えするのが決まりです。新野に雪がないときは、近隣の標高の高い山や峠に行って雪をとってきます。それも手に入らないときは塩を皿に盛って雪に見立てて供えます。

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みどころ

農耕の神様や馬が跳んではねて豊作を祈る

金田:祭り本番は1月14日の午後、神楽を奉納する舞人など祭りに参加する氏子たちが町内にある諏訪神社から祭りの舞台となる伊豆神社まで、隊列を組んで約2時間かけて行列するお上(のぼ)り行事から始まります。諏訪神社を出発するのが夕方4時ごろで、伊豆神社の入口に夕方6時ごろに到着します。すると、祭りの舞の役のひとつ、天狗(てんごう)と呼ばれる鬼役3人が先回りしていて、松明を持って行列を迎えに御坂(みさか)へと出てきます。そのころには日は暮れているので、天狗の松明の火に足元を照らされながら100段近くある急な石段を上って境内を目指します。続いてササラ衆による田楽舞の奉納などが行われる「神楽殿の儀」、御祭神の伊豆権現をお迎えする「本殿の儀」が行われます。それが終わるころには夜もすっかり更け、深夜12時を回って日付が15日に変わります。氏子たちは、神様に早く出てきてほしいという気持ちを込めて、舞の仮面である面形が収められ、舞人たちの支度部屋になる庁屋(ちょうや)の扉を薪など木の棒で叩きながら、「乱声(らんじょう)、乱声」と口々に叫びます。それを合図に、前もって地元の消防団員によって境内に立てられた高さ約3mの巨大な大松明が、綱で操る宝船に見立てた舟形に載せた燈明の火で点火されます。大松明が炎を上げて燃え始めると、いよいよ祭りはクライマックスの「庭の儀」へと移っていきます。


シシゾウ:「庭の儀」のみどころはどこですか?

金田:「庭の儀」はその名の通り境内の庭を舞台に舞が舞われます。舞人と見物人の境界はなく、氏子たちは舞人を取り囲むようにして見物します。新野の雪祭りには14種類の舞があり、それぞれ意味があります。祭り本番では、各舞が始まる前に私から簡単に解説をさせていただきます。 まず注目していただきたいのは最初に登場する幸法(さいほう)の舞です。幸法神は五穀豊穣をつかさどる新野の農耕神の中で最も位の高い神で、舞人がつける面形も優しい顔立ちで品があります。この幸法神は、左右の手に松と田うちわという道具を持って舞うのですが、舞の特徴として常に爪先立ちで伸び上がるようにして地面を蹴って舞います。幸法の舞は約1時間にわたり、その間、庁屋を9回出入りし、田楽舞を舞うササラ衆を引き連れて一緒に舞ったりもします。みどころは幸法神が観客の中に入っていくところです。幸法神は腰にホッチョウと呼ばれる木の棒を下げているのですが、その棒を取り出して、特に若い女性を選んで頬にその棒をすりつけます。幸法神は農耕の神であると同時に子孫繁栄の神です。これは子宝を授ける仕草と伝えられ、非常に縁起がいいのですが、初めてご覧になる方からはキャーキャー歓声が上がります。幸法の舞に続いて、「茂登喜(もどき)」という幸法神のライバル神が登場します。茂登喜は一見すると幸法神にそっくりですが、よく見ると面形の表情が厳しく、舞も幸法神が爪先立ちなのに対して、爪先を上げ、かかとで地面を蹴るといった具合になにもかもが対照的です。この茂登喜は幸法神の引き立て役といわれています。ササラ衆の田楽舞は、夜田楽といわれる雪祭りの真髄です。
新野の雪祭りの舞の中で花形とされるのは「競馬(きょうまん)」です。競馬は農作物の病害虫を追い払う役割の舞で、馬の造り物を身につけ、騎乗しているかのような姿に扮します。舞も、跳ねる馬の手綱をさばいたり、弓を射ったりと動きが華やかです。2人の舞人が「一の馬」「二の馬」になり、前後左右に立つ位置を変えながら、「競馬の鼻合わせ」といって鼻同士をすり合わせたり、「競馬の背合わせ」といって背中を触れ合わせたりして舞います。競馬の舞で一番盛り上がるのは、馬が横跳びをしてみせるところです。古くから「新野の競馬様は横に跳ぶ」ことで有名で、横に跳ぶ馬が見たければ新野の雪祭りに行けばいいといわれているくらいです。他所ではご覧いただけないものなのでご注目ください。

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注目ポイント

「眠い」「寒い」「煙たい」が真骨頂

金田:新野の雪祭りを言い表すのによく使われる表現が「眠い」「寒い」「煙たい」です。眠いというのは、深夜から朝方まで夜通し行うからです。寒いというのは、祭りが行われるのが暦でいう大寒にあたる時期で、標高800mの新野は深夜にはマイナス10度を超えます。この時期は雪が多いので、屋根のない境内の庭にいる舞人の上にも見物人の上にも雪が降り積もります。煙たいというのは、大松明の煙です。正月に新野の各家庭で飾られた門松を集めて松明と一緒に燃やすのですが、松明の芯に松の生木が使われているため、燃えるときもすっきり燃えないで大量の煙が出て、非常に目にしみます。そういうと大変な祭りのように聞こえるかもしれませんが、眠い・寒い・煙たいがあってこその新野の雪祭りなのです。


シシゾウ:おすすめの見方を教えてください。

金田:新野の雪祭りを見にいらっしゃるときは暖かい格好をしてお越しください。境内奥には地元の人たちが、おそばや焼き鳥、燗をしたお酒など、温かい食べものの屋台販売をしています。 それを食べてお腹を温めながら、氏子たちに混じって舞をご覧いただければと思います。地元の氏子たちは舞人を取り囲み、舞人が動けばそれについて回って声援を送ります。幸法の舞だったら、足を踏ん張って開く型をすることが多いので「おとっさま、腰つきがいいな」、競馬の舞で跳ね方が良かったら「日本ダービーを制する勢いだぞ」といった具合にはやしたてます。そうすることで舞人のモチベーションを上げて、祭りを盛り立てるのです。まさに神様と舞人と見物人の氏子が一体になって今年の豊作を祈願するもので、実際にご覧になられたら臨場感がすごいと思います。氏子たちの中に入っていって舞を見物し、興に乗れば舞人に声援を送ってください。そうやっていれば、いつしか知らずに時間が経ち、朝を迎えていることでしょう。

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ふるさと自慢

標高800mの盆地に育まれた
トウモロコシの味は天下一品

シシゾウ:阿南町新野地区でおすすめの特産物や観光スポットを
教えてください。

金田:農作物ではお米やトマト、リンゴ、トウモロコシが特産です。とりわけトウモロコシは標高800mで昼夜の温度差が大きいことが良い影響を与え、甘みが非常に強く、私は天下一品の味だと思っています。ほかにシイタケや清流で育てられるアマゴの加工品などもあります。これらの特産物は幸法神のモニュメントが目印の「道の駅信州新野千石平」で販売されています。この道の駅の近所にある「つるや菓子舗」さんの「つるや饅頭」も新野名物です。まんじゅうの餡と皮に黒糖が使われていて味と香りが良く、名古屋や静岡からもわざわざ買いに来る人がいるくらい人気です。
また、道の駅から歩いて3分位の所には「阿南町農村文化伝承センター」と「阿南町歴史民俗資料館」が併設されているのですが、特に「阿南町農村文化伝承センター」には町にある「6つの民衆俗芸能」が、パネル展示を中心に紹介されています。

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メッセージ

日本の祭りの原初の姿を伝える祭りを
見に来てください

金田:新野の雪祭りは、折口信夫先生が日本の祭り形式の中で最も原初の形、古式を伝える祭りだということで高く評価をしてくださいました。現在は国の重要無形民俗文化財の指定を受けています。この祭りは、古くから新野にいた人たちが神仏を自分たちの守り神として敬い、大切にしてきたことを物語る伝承文化で、現在、新野に暮らす私たちはこの地に約750年間受け継がれてきたこの祭りを後世に繋いでいきたいということで舞を披露しています。昔と違って今は交通の便も良くなっていますので、多くの方に見に来ていただきたいと思います。

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