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表児の米

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:FBC 福井放送
放送
:9月30日(日) 14:00~14:55

ダイドードリンコスペシャル

神に捧げる男米(おとこまい) ~伝統神事 表児の米~

表児の米

いつの頃から、どのような形で始まったのか定かではないが、五穀豊穣、感謝の意味を込めて毎年秋に布久漏神社で行われる例祭「表児の米」。地域が誇る福井県の無形民俗文化財として、北横地区(福井県坂井市丸岡町)の人々によって連綿と受け継がれています。「今搗(か)つ米は百姓の涙米・・・」と唄に合わせて10人前後の男達が、一つの臼に大きなきねを振り米を搗く様は圧巻。その技は、古くから伝承されています。しかし、こうした伝統を守っていくのが困難な時代になってきている現状があります。「次の世代、そして若い子供たちに祭りの素晴らしさを伝えたい。この祭りを消滅させてはいけない・・」と奮闘する地区の人達がいました。彼らを動かす熱い想いはどこからきているのか?伝統の祭りを丁寧に取材しながら祭りの神髄に迫ります。

祭り紹介

  • 祭り写真館

表児の米

米どころ坂井平野に位置する布久漏神社(ふくろじんじゃ)の例祭で、水の恵みに感謝し、五穀豊穣を願う祭りです。神社と表児の米研修会館を、音頭を囃しながら行列が行き来しますが、なにびとも行列を横切る事は許されません。その年の初穂米を音頭に合わせて杵でつき(米搗ち・こめかち)、研いで蒸したものを奉納。参拝者にもわけられます。

開催日
9月の第3土・日曜日
場所・アクセス
福井県坂井市布久漏神社
・JR福井駅より「本丸岡」行き京福バス「北横地」下車徒歩5分
・北陸自動車道「丸岡インター」より車で10分
お問い合わせ
坂井市教育委員会文化課
0776-50-3164

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

祭りのご紹介
歴史
みどころ
注目ポイント
ふるさと自慢
メッセージ
表児の米保存会 会長 東 成穗(ひがし なるほ)さん
「餅をついたり神輿を担いだりする祭りは日本各地に数多くありますが、表児の米のように玄米を精米し、蒸して神様に奉納する祭りは珍しいと思います。表児の米は地区住民の絆を深めると同時に、歴史のある土地に暮らす誇りを象徴する行事です。」
表児の米保存会 会長
東 成穗(ひがし なるほ)さん
歴史

米を育む十郷(じゅうごう)用水への
感謝から始まった

シシゾウ:表児の米は、どのように始まった祭りですか?

東:表児の米は、北横地地区にある布久漏神社の神事です。布久漏神社は『延喜式神名帳(えんぎしきじんみょうちょう)※1』に載る式内社(しきないしゃ)で、応神天皇と神功皇后と共に越(こし)の国(=現在の福井県)出身の継体天皇の皇女・円弥媛(まるやひめ)を祀っています。福井県はブランド米のコシヒカリを生んだ米どころで、丸岡町がある坂井平野は県内屈指の穀倉地帯です。1000年以上前は九頭竜川(くずりゅうがわ)がたびたび氾濫したため、米作りがまったくふるいませんでした。そこで治水干拓のために開削されたのが布久漏神社の西隣を流れる十郷用水です。当時としては大事業だったこの用水開発に尽力したのが円弥媛で、十郷用水中流域の守護のために創建されたのが布久漏神社だと伝えられています。表児の米は、米作りで十郷用水の恩恵を受ける流域の住民たちが、五穀豊穣と用水への感謝の気持ちを込めて始めたものと考えられます。
表児の米にゆかりの十郷用水の起源については、地元に残る古文書に興味深い伝説が載っています。今から1100年ほど前、坂井平野に数多くの荘園を所有していた奈良の春日大社は、荘園の水利が悪く、米が十分収穫できないことが悩みでした。あるとき、3人の神官が三晩続けて同じ夢を見ました。内容は、「九頭竜川が山から湧き出るところを訪ねなさい」というものでした。「これは神様のお告げに違いない」と考えた神官たちが、言われた場所に行くと、幣(へい)をくわえた鹿が現れ、神官たちを導くように歩いては休み、歩いては休みしながら春日大社の荘園付近まで行き、フッと姿を消しました。このとき鹿の通った道筋を掘ってできたのが十郷用水で、鹿が休んで餌を食べたところが現在の布久漏神社の場所だということです。史実ではありませんが、大切にしたい伝説です。
表児の米が始まった年代について、火災や震災で古い文献が消失したため、記録で遡れるのは江戸時代末期までです。旧丸岡藩で名君の誉れ高い藩主の有馬誉純(ありましげずみ)公が家臣に命じて編纂させた『古今類聚越前国誌(ここんるいじゅうえちぜんこくし)』という越前の地誌に、「ふくろ堂なるものありて表児の米あり」という一文があります。この書物が作成されたのが約200年前ですので、そのころには既に現在の祭りの形ができあがっていたことは確かで、発祥となるとさらに100年前までは遡れるだろうというのが表児の米保存会の見解です。

※1 延喜式神名帳:延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』の巻九・十のことで、当時「官社」とされていた全国の神社一覧


シシゾウ:表児の米という名称の由来は何ですか?

東:諸説がありますが、「感謝の志を表した米」を意味する「表志(ひょうし)米」を 語源とし、「ひょうし」がなまって「ひょうこ」になり、「児」と当て字をしたという説が有力です。

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みどころ

最高12人でリズミカルに米をつく、
伝統のパフォーマンス

東:表児の米は、布久漏神社から直線距離で約500m離れたところにある表児の米研修会館で行われます。北横地地区は、1区から4区の4行政区に分かれています。表児の米は各区が1年ごとに持ち回りで担当し、5年に一度だけ4区合同で行います。参加するのは地区の小学3年生以上の男性で、例年80人以上の氏子が参加します。以前、小学生は「おたしょり」だけに参加していましたが、近年は後継者育成のため、小学校3~6年生の男子児童も米搗ち(こめかち)に参加しています。


シシゾウ:表児の米のスタートは何時からですか?

東:基本的に表児の米は夜の神事です。昔は夜遅くの開始でしたが、今は子どもも参加する関係で夕方6時ごろにスタートします。「表児の米」と書かれた白鉢巻に白シャツ、白の下帯をつけた参加者たちは布久漏神社でお祓いを受けた後、「今搗つ米は百姓の涙米~」という歌詞の「表児の米の唄」を歌いながら行列を組んで表児の米研修会館へ向かいます。
会館に着いて最初に行われるのは「おたしょり」です。八百万(やおよろず)の神様に、「今から祭りを行うので荒ぶる気持ちを抑えてください」とお願いする行事で、参加者全員が肩を組んで大きな円陣を作り、伊勢音頭を歌いながら一斉に飛び上がって床板を大きく踏みならします。「おたしょり」が終わると、北横地地区の全住民から奉納されたその年の初穂米を精米するメイン行事の「米搗ち」が行われます。
米搗ちは昔の精米法で、木臼に玄米を入れ、杵でついて糠(ぬか)を取り除くものです。表児の米は、このつき方に特徴があります。まず、米をつく搗ち手が6人以上と大人数です。この搗ち手たちが臼を囲み、「表児の米の唄」に合わせてリズミカルに1人ずつ順番に杵を振り下ろします。搗ち手の人数は「6人搗ち」からスタートし、8人搗ち、10人搗ちと2人ずつ人数を増やしていきます。人数が多くなると搗ち手と搗ち手の間のスペースが狭くなり、杵を上げ下げするのが難しくなります。現在の最高人数は「12人搗ち」ですが、昔は「16人搗ち」まで行ったそうです。
杵の動かし方も独特で、普通に杵をふりかざし臼に振り下ろす前に、臼のへりを叩き、脇の下をくぐらせるようにして後方に杵を振り下げるという所作が加わります。この一連の動作を6人搗ちの場合は6つの所作、8人搗ちは8つ、10人搗ちは10、12人搗ちは12の所作に分け、全員で調子を合わせながら、ひとつずつ動きをずらして流れるように杵を動かします。私たちの米搗ちをご覧になって「分解写真を見ているようだ」とおっしゃった方がいましたが、その表現がぴったりだと思います(笑)。
平成23年は祭りを盛り上げるため、伝統の米搗ちに加えて、搗ち手が2人1組になり、1本の杵を交互にやりとりしながら玄米をつくという新しい搗ち方を試みました。元々、表児の米の搗ち方は、普通に精米するだけではつまらないからと昔の人が遊び心で考え出したものだと思いますで、保存会では先人に倣い、これからも伝承の意義を踏まえた新しい搗ち方に挑戦していくつもりです。


シシゾウ:米搗ちで精米する米の分量はどのくらいですか?

東:臼に入れる1回分の玄米の量は二升(3.6L)で、全部で7~8臼分の玄米をつきます。本来の米搗ちは、完全に精米できるまで行いますが、祭りでそこまで行うと時間がかかってしまうので、臼1回分にかける時間は10分程度です。短いようですが、米搗ちは体力をかなり消耗するので、大の男でも頑張って5分続けばいいほうです。搗ち手の誰かが疲れてくると、周りで待機している人間が肩を叩いて合図し、すばやく入れ替わります。米搗ちの流れを少しも途切れさせることなく交替するところはちょっとしたみどころです。

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注目ポイント

木臼を用い、力自慢のパフォーマンス

シシゾウ:精米した米はどうするのですか?

東:清水で研がれ、せいろで蒸された後、神前に奉納されます。神前に奉納されなかった残りの米は小さく団子状に丸められ、神様のお下がりとして参拝に来られた方々へまかれます。毎年200~300個用意しますが、大半はすばしっこい子どもたちが拾うので、大人で拾えた方はラッキーです。
お下がりの米はすぐ食べてもいいですし、乾燥させ、保存食にしてもいいかと思います。食べる時は、ご飯を炊くときに混ぜ込めば普通にいただけます。私が表児の米のお下がりをいただいたときにはまず神棚におまつりします。また親戚や知人に子どもが生まれたとき、「一生食べ物に困らないように」という思いを込めてプレゼントします。
「表児の米の唄」の歌詞に「昔、古来の表児の米は、人のやまいの妙薬と」という一節があります。昔の人は米が貴重品だったため、表児の米で神様からお下がりになった米を大事にとっておき、家族の誰かが病気になったときに食べさせ、元気をつけさせたことから妙薬と言われたようです。


シシゾウ:米搗ちの合間に行われる「盤もち」とは何ですか?

東:男たちが木臼を持ち上げ、力比べをする余興が「盤もち」です。
臼は中がくり抜かれていて重心がとりにくいため、実際の重さ以上に持ち上げるのが難しく、臼の扱いが下手だと肩まで持ち上げることもできません。臼の重さは米一俵相当(60㎏)なのですが、「盤もち」のポイントは力ではなく技になります。私は年をとっていますが、肩までなら今でも簡単に持ち上げられます。肩から上に持ち上げるには技だけでなく力も必要です。技と力を両方備えると、臼を片手で差し上げたり、「虚無僧」(こむそう)といってさかさまにした臼で頭を隠すといった高度な技ができるようになります。表児の米保存会では米搗ちだけでなく「盤もち」の技術指導もしています。

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ふるさと自慢

天守を備える天下の名城・丸岡城

シシゾウ:坂井市丸岡町でおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

東:丸岡町で一番の観光名所は、国指定重要文化財の丸岡城です。全国に天守が現存する城は12ありますが、その中で最も古い建築様式とされています。また、福井の伝統工芸として全国的に有名な越前竹人形のテーマパーク『越前竹人形の里』は、新しい観光スポットとして観光客の方に人気があります。

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メッセージ

十郷用水への感謝の気持ちを、
表児の米を通じて後世に伝えていきます

東:地区の先人たちが、米を育む十郷用水の恵みに感謝して始めたのが表児の米です。その十郷用水は平成24年3月、パイプライン化工事の完成によって暗渠(あんきょ)※2になり、水の流れが見えなくなりました。目に見えないものに感謝するのは難しいことです。地区の子どもたちから「十郷用水はどこにあるの?」と聞かれる時代に、用水への感謝の気持ちを引き継いでいくため、表児の米の保存継承に精一杯取り組む私たちの男意気を感じていただければ幸いです。

※2 暗渠:地下に設けた水路(岩波 国語辞典 第7版参照)

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