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博多祇園山笠

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:RKB毎日放送
放送
:2011年8月20日(土)16:00~16:54

ダイドードリンコスペシャル

博多祇園山笠 ~770年目の絆~

博多祇園山笠

早朝の博多の街を疾走する重さ1トンの舁き山。770年の歴史を誇る「博多祇園山笠」は、勇壮で豪快な男たちの熱い想いで、伝統を守ってきました。7つある流の1つ「西流」の責任者の木梨久太郎さん(68)は、祖父の代からの根っからの「山のぼせ」。今年は一家3世代で山笠に参加します。さらに、今年「西流」は7年に1度巡ってくる、各流の先頭を走る栄えある一番山笠、木梨さんの気合も入ります。一方、過疎に悩む宮崎県高千穂町秋元地区の夜神楽は、伝統の継承を学ぶため、博多祇園山笠の「西流」と15年にわたって「祭り」で交流を続けてきました。番組では九州南北の「祭り」の伝統を守る男達の心意気を、山笠の熱気とともに描きます。

祭り紹介

  • 祭り写真館

博多祇園山笠

期間中、市中心部の要所要所に高さ10mを超える絢爛豪華な飾り山笠が建ち、後半の10日からは勇壮無比な舁き(かき)山笠が登場。日一日と掉尾の15日払暁の追い山に向け収斂されていきます。追い山の舁き出しは15日の夜明け、午前4時59分。数千人の舁き手の顔が最高に輝く一瞬。博多山笠は参加する人、見る人の心をとらえて離しません。

開催日
7月1日~7月15日※毎年同日
場所・アクセス
福岡県福岡市中央区、博多区櫛田神社、市内各所
・シティループバス「ぐりーん」櫛田神社・博多町家ふるさと館前すぐ
・シティループバス「ぐりーん」キャナルシティ博多前から徒歩2分
・地下鉄「中洲川端駅」「祇園駅」から徒歩5分
お問い合わせ
櫛田神社
092-291-2951

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

博多祇園山笠振興会 会長 瀧田 喜代三(たきた きよぞう)さん「博多祇園山笠の今日の隆盛があるのは、幾度も訪れた存亡の危機を乗り越えてこられた先人たちのおかげです。そういった先人の努力を無にすることなく、次の世代に伝統を継承していくのが私たちの務めだと思っています。」

【歴史】夏を無事に越せることを願って始まった山笠神事

シシゾウ:博多祇園山笠は、いつごろ始まった祭りですか?

瀧田:日本の蒸し暑い夏、冷房のなかった昔は、天然痘などのやまいがはやり、命を落とす人が少なくありませんでした。そこで、神仏にすがって夏を無事に越そうとして始まったのが博多祇園山笠です。
古くから博多の氏神として信仰されてきた櫛田神社(くしだじんじゃ)の祭礼として執り行われる博多祇園山笠の起源にはいくつかの説があります。博多祇園山笠振興会では、仁治(にんじ)2年(1241)、博多区にある承天寺(じょうてんじ)を開いた聖一国師(しょういちこくし)が、病をはらうために、お盆のときに供物を乗せる棚(施餓鬼棚(せがきだな))に自ら乗り、若者に担がれながら祈祷(きとう)水を町にまいたのが始まりという説を起源としています。その当時、日本古来の神様と大陸から伝わってきた仏様が混ざり合って信仰されていた時代だったため、いつしか災厄をはらう祇園信仰と結びついて山笠神事として発展していきました。明治維新後、博多祇園山笠は存続をあやぶまれる危機に何度か直面しましたが、それらを乗り越えて現在に至り、昭和54年2月には国の重要無形民俗文化財にも指定されています。

シシゾウ:祭りの名称にもなっている「山笠」とは何ですか?

瀧田:お神輿・山車(だし)の一種です。山笠の場合、棒を肩に乗せて走ることを「舁(か)く」と言うのですが、実際に舁いて動かす「舁き山笠」と展示用の「飾り山笠」があります。この山笠を出して祭りに参加するのが「流(ながれ)」です。博多の旧町の十数ヶ町、新町の数ヶ町が祭りを行うために集まった集合体のことで、現在、東(ひがし)流、中州(なかす)流、西(にし)流、千代(ちよ)流、恵比須(えびす)流、土居(どい)流、大黒(だいこく)流の七流(ななながれ)が舁き山笠を出しています。
舁き山は重さが約1tあり、水法被に締め込みという祭り装束に身をつつんだ20数名の男たちによって舁かれます。飾り山笠は、7月1日から最終日の15日まで博多の町の14ヵ所で展示公開されます。高さは約10m近くあり、博多人形師の手による豪華絢爛な人形で華やかに飾りたてられます。

シシゾウ:15日間にわたる祭り期間中、どのような催しが行われるのですか?

瀧田:祭りの幕開きとなる初日は、舁き山笠の流や町内で各区域内を清める「注連(しめ)下ろし」という神事が行われます。なお、恵比須流だけは旧暦6月に行っていた明治時代の名残りから6月1日に注連下ろしを行います。また、飾り山笠は1日目から展示されるため、飾り山笠に神様を呼ぶ「ご神入(しんい)れ」や、舁き山七流の中でその年の当番になった町の舁き手がみそぎ用のお汐井(しおい)(真砂)を箱崎浜まで取りに行く「お汐井とり」もこの日に行われます。9日には、七流全部の舁き手が、箱崎浜までお汐井とりに行きます。10日目になって、いよいよ舁き山が動き出します。「流舁(ながれが)き」と言って、それぞれの流の町内に舁き手が集まって、自分たちの区域のすみずみまで山笠を舁いて回ります。翌11日には、早朝と夕方に山笠が舁かれます。朝は「朝山(あさやま)」と呼ばれ、山笠に貢献した町の功労者をもてなしたり、子どもを乗せて舁かれます。夕方は「他流舁(たながれが)き」と言って、自分の区域から外に出て山笠を舁きます。12日は「追い山ならし」といって15日に行われる舁き山のタイムレース「追い山笠」のコースよりも約1km短いコースを駆けて、本番同様に速さを競います。13日は商人町・博多で生まれた山笠が唯一、城下町・福岡に舁き入れる行事「集団山見せ」があります。14日は、流の区域内を舁く最後の機会で、翌日の「追い山」に備えて、舁き手は調整も兼ねて、名残を惜しむように町中を舁いて回ります。

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【みどころ】山笠人が名誉を賭け、博多の町を駆け抜ける「追い山笠」

シシゾウ:博多祇園山笠の一番のみどころはどこですか?

瀧田:15日間にわたる博多祇園山笠の最大のクライマックスは、15日早朝に行われる神事「追い山笠」です。
15日は午前1時半ごろから、山笠が櫛田神社前の土居(どい)通りに集まり、各流の舁き手も続々と集合します。桟敷席や沿道に詰めかけた見物客がかたずを飲んで見守る中、午前4時59分、その年の一番山笠が大太鼓の合図とともに、櫛田神社に山笠を奉納する「櫛田入(くしだい)り」のスタートを切ります。神社境内に入った山笠は、境内に立てられた猩々緋(しょうじょうひ:赤の布地)に白字で"清道"と書かれた清道旗(せいどうき)を回ったところでいったん止まり、「祝いめでたのー」の歌詞で知られる博多祝い唄を、七流を代表して観客と一緒に大合唱します。このために、一番山笠だけが1分間だけ出発時間を前倒ししています。歌い終わると、山笠は神社の境内を出て旧博多部に設けられた約5kmの"追い山コース"を一生懸命舁きます。一番山笠が出発してから6分後に二番山笠、三番山笠以降は5分ごとに出発し、前を行く山笠を追いかけます。こうして各流の"櫛田入り""コース"の所要時間を計測して速さを競うわけです。一番速かったかたといって優勝旗や賞状などがあるわけではありませんが舁き手たちはそれぞれの名誉をかけて懸命に舁くのです。

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【注目ポイント】博多人形師の匠の技、舁き山の舁き手の目にご注目ください

シシゾウ:飾り山笠、舁き山笠を見学するときのそれぞれのポイントを教えてください。

瀧田:飾り山笠については、そばに説明書きがありますので、それをよく読み、飾り山の表題に書かれた言葉の意味も考えながら、山笠を飾る人形と対話をしてほしいと思います。もちろん人形が言葉を発するわけではありませんが、じっくり見ていると「どげんしようとや」とか「ちょっと暑かばってん、暑さに負けたらいかんばい」などいろいろなことを語りかけてくれるように感じられるはずです。また、人形の目・表情・手の動きなどに見られる博多人形師の匠の技もご鑑賞ください。博多人形師は現在100名ほどいますが、その中で山笠の人形を作れるのは10人ちょっとです。人形師にとって山笠の人形を作ることは非常に名誉で、それができてようやく一人前として扱われます。それを考えると博多の伝統文化を継承するという意味においても博多の山笠は非常に重要な役割を果たしていると思います。
舁き山については、飾り物もありますがそれ以上に山の舁き手が真摯に取り組む表情に注目していただきたいです。山を舁く人間は、ただおもしろいから、楽しいから、山を動かしているのではありません。15年ほど前、家族の知人女性が追い山を初めて見たのですが、後で感想を聞くと、まず鳥肌が立ってきて、次に涙がポロポロ出てきたと言っていました。舁き手たちの欲得なしの真剣さが、初めて見た人にも伝わり、心をうったのだと思います。
追い山のみどころということで思い出されるのは、私が以前、数年間にわたってテレビで追い山解説を受け持っていたときにゲストで来られたお二方のことです。1人はプロ野球監督の落合博満さん、もう1人はお亡くなりになられましたが作家の立松和平さんです。私が追い山では何に注目してご覧になりますかとお聞きしたら、違う年のゲストで同席されたわけでもないのに、お2人とも「舁き手の目に注目したい」と同じことをおっしゃいました。私としては、自分が常日頃思っていたことをズバリと言い当ててくださったので胸のすく思いがしましたし、一流の域に達しておられる方は視点が一緒なのだなと感銘を受けました。

シシゾウ:これまで博多祇園山笠に関わって来られた中で、最も印象に残っている出来事は何ですか?

瀧田:昭和53年10月に日本商工会議所の創立100年記念行事の一環として開催された「全国郷土祭」にねぶたや阿波踊りなどの全国の有名祭りとともに参加したことです。山笠が博多の町から出たのはそのときが初めてで、山笠の長い歴史の中でも画期的なことでした。このときは、飾り山笠を明治神宮外苑の国立絵画館前に展示するとともに、七流合同で舁き山笠を国立競技場に持ち込み、昭和天皇・皇后陛下が御臨席される前で、博多祝い唄を披露して、手締めの「博多手一本(はかたていっぽん)」を入れました。このとき、東京在住の博多出身の方たちも参加され、皆で心をひとつにして山を舁けたことは非常に良い思い出です。その後、ハワイ、オーストラリア、ニュージーランド、最近では平成16年に中国の上海に行きましたが、やはり山笠の歴史初ということで全国郷土祭のときのことが一番印象深いですね。

シシゾウ:博多の人にとって博多祇園山笠はどのような存在でしょうか。

瀧田:博多っ子、山笠人(やまかさびと)の心意気ですね。「山があるから博多たい」という言葉がありますが、まさにその通りだと私は思います。山笠を取ったら博多は博多ではないです。
博多っ子が山を舁くのは損得でも理屈でもありません。博多の人間は子どもの頃から山のことを「自分たちの山」という気持ちでいて、大きくなったら山を舁くんだと皆、心に期しています。そうして大きくなって自分が山を舁くようになると、その姿を人に見てもらいたいと思うようになるんです。特に若者連中は「俺が真剣に取り組むところを見てくれ!」という気持ちで奥さんや恋人に自分の雄姿を見せたい気持ちでいっぱいです。女性たちは女性たちで「あんた、しっかりやらないかんよ」という気持ちでいて、夫や彼氏が山を舁く男っぷりを見て、改めて惚れ直すわけです。私も山笠に関わるようになって数十年になりますが、今でも祭りの時期になると「かあちゃん、行ってくるぞ」という気持ちでいますよ。

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【ふるさと自慢】屋台で味わう博多の味は絶品

シシゾウ:博多でおすすめの特産物や観光スポットを教えてください。

瀧田:博多と言えばラーメンやもつ鍋です。特に屋台をお勧めしたいと思います。辛子明太子や博多人形などおみやげ品もたくさんあります。博多祇園山笠の記念には、博多祇園山笠グッズがおすすめです。山笠のフィギュアからお酒まで様々なものが揃っていますので、旅の思い出にいかがでしょうか。

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【メッセージ】山笠が起こって770年目 その歴史を伝えるのが使命です

瀧田:2011年は山笠が起こって770年を迎える節目の年です。これまでの長い歴史の中で山笠には、私が存亡の危機と呼んでいる4度の危機的状況がありました。明治5年には、政府が戦争に備えるという名目で祭礼禁止の条例を出しました。明治31年には、県知事が風紀問題などを理由に山笠禁止令を出しました。明治38年には、伝統ある流のひとつだった福神(ふくじん)流が追い山ならしでの過ちの責任をとってその年以降、舁き山を出さなくなりました。さらに昭和41年には、福岡市の区画整理に伴う町名改革で、流区域が混乱に陥りました。そういった苦難をその都度、乗り越え、山笠の今があるわけです。山笠の会合があるたびに私は、「今日の山があるのは、自分たちのおじいさん、そのまたおじいさんたちが苦労したおかげだから、そのことを頭に入れて山を舁けよ」という話をします。先人たちの非常な苦労と努力を心に刻み、先人の祭りに賭けた思いを次の世代の博多っ子、山笠人に伝承していくのが今、祭りに関わる私たちの務めであろうと肝に銘じています。

※博多祇園山笠のギオンのギの字は、正しくは「示」に「氏」です。

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