ふんどし姿の若者が木造和船を漕いで速さを競い合う「おしくらごう」は、萩市の玉江浦(たまえうら)地区に伝わる漁村ならではの伝統行事です。旧玉江浦漁業協同組合組合長や、おしくらごう実行委員会委員長を歴任され、長年、おしくらごうの継承に努めておられる福永護(ふくながまもる)さんに、おしくらごうの見どころをお聞きしました。

※過去の祭り情報になります。2012年に応援する祭り34
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| 「おしくらごう 海に生きる男たちの誇り」 | ||||
| 山口放送 KRY | ||||
| 2009年6月20日(土)13:00~13:55 | ||||
山口県萩市・玉江浦地区。ここは古くから漁業で栄えた町です。「おしくらごう」は、そんな玉江浦地区に藩政時代から伝わる伝統の和船競漕で、毎年6月の厳島神社祭礼に合わせて行われる、海の男たちの祭りです。木製の和船に7人の乗組員が乗船し、櫓や櫂を使って一定の距離を漕ぎ、その速さを競います。かつては、その乗組員に選抜されることが、一人前の漁業者としての証でもありました。しかし、時代の流れと共に、町の漁業者は高齢化、祭りの主役となる若者たちの数も減少しました。近年は、漁業就労者以外の人の参加も得ながら、祭りを続けているのが実情です。それでも、地元に残る海の男たちには、熱い思いがありました。番組では、海の男として、地域の祭りと共に生きる玉江浦地区の男たちの姿に密着します。
シシゾウ:どうして和船の競漕が行われるようになったのですか?
福永:おしくらごうの発祥についての文献は残っていないのですが、言い伝えられているのは、江戸時代に萩藩によって始められたということです。萩の街は、阿武川(あぶがわ)の支流、橋本川と松本川という2つの川に囲まれた三角州にあって、萩藩藩主の毛利輝元は、その三角州の一番海側に萩城を築城しました。そのため、陸側から攻められると、背後は日本海であり、連絡の取りようも逃げ場もないということで、非常時の連絡の備えとして、萩城のお膝元にある玉江浦地区の漁民に、毛利水軍の早船の訓練として船の速さを競わせたのが、おしくらごうの始まりと伝えられています。また、おしくらごうという名称ですが、「おしくらごう」の「おし」は字にすると「押し」、これは櫓を漕ぐという意味で、それを競争する「押しくらべ」が訛って今の呼び方になったのではないかと言われています。
シシゾウ:競漕はどういった形で行われるのですか?
シシゾウ:競漕はどこで行われるのですか?
シシゾウ:和船を漕ぐのは、難しいですか。
福永:萩の和船大競漕では、中学の部、一般の部、おしくらごうの順番で、競漕が行われます。やはり、見応えは、クライマックスに行われるおしくらごうです。鉢巻をしたふんどし姿の男たちが、掛け声と共に、水しぶきを上げて櫓を漕く姿はなんといっても迫力があります。2kmを25分ほどで漕ぐのでスピード感がありますし、接戦になることが多いので、白熱すること請け合いです。おしくらごうのレースで特に盛り上がるのは、折り返し地点です。目印としてブイに旗が立ててあって、そこを回り込みながら櫂を掻く者が旗を取って、ゴールを目指すわけですが、ブイを上手に回れなかったり、へまをして旗を取りそこなって、もういっぺん取りに戻ったり、ということが起きて、追いついたり追いつかれたりの逆転劇が繰り広げられるので、そういったところも見物です。
シシゾウ:おしくらごうを見るのに、おすすめの場所はありますか。
福永:大会本部席が設けられている橋本川の河川敷が一番見やすいと思います。スタートから折り返し地点、そしてゴールまで、競漕のすべてを見られますし、本部席で放送している実況もよく聞こえます。ただ、やはりすごい人出です。折り返し地点の玉江橋の上も人気の場所ですが、こちらも非常に混み合いますので覚悟して行かれたほうがいいと思います。おしくらごう当日は、玉江浦ふるさとまつりが同時開催され、おしくらごうが終わった後も、河川敷の特設ステージでいろいろな催し物が行われるので、1日中、祭りの雰囲気を楽しめます。
福永:玉江浦のおしくらごうは、単に漁村に伝わる伝統行事ではなく、玉江浦の漁業のしきたり全てに関わる行事で、我々漁業者にとって、とても大切な伝統行事です。明治時代以降、200海里の規制があるまで、玉江浦地区は東シナ海を主漁場にする遠洋漁業で沸き返り、地元の若者は学校を卒業したら漁船に乗り込むのが当たり前でした。そんな若者たちが集団生活をしながら漁業者としての訓練を受ける場所が青年宿でした。漁業の不振や高齢化などで青年宿のしきたりはなくなりましたが、青年宿は漁村・玉江浦の象徴であり、その青年宿の象徴として、おしくらごうがあるのです。漁船に乗る若者にとって、集落の青年宿を代表して、おしくらごうに出ることは、これ以上ない名誉でした。選ばれる者は日頃の行いも体力も優れている模範青年だったので、若い者は皆、おしくらごうに出られないのは男の恥というくらいの意気込みで1年間一生懸命働きました。だから、おしくらごうで勝利することの価値は今とは比べようもありません。漁業が昔ほどの勢いがないのは事実ですが、毛利藩政時代から300年近く継承してきた地域の大切な行事を、人がいないからやめようというわけにはいきませんので、なんとしてもおしくらごうの伝統を守っていきたいと思っています。






