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島田大祭 帯まつり

※このページは写真・文章ともに過去の祭り情報になります。 今年応援する祭りはこちらから

TV番組情報

制作
:静岡放送 SBS
放送
:2007年10月28日(日)16:00~16:54

ダイドードリンコスペシャル

華やかに舞い踊る 元禄の大絵巻 ~島田大祭 帯まつり~

島田大祭 帯まつり

東海道の宿場町として栄えた静岡県島田市。「越すに越されぬ」と歌われた大井川流域の町として、川への畏れや感謝とともに子孫繁栄や郷土の発展を願うのが島田大祭です。 3年に一度行われるこの大祭では、市内中心部が7つの街(ガイ)に分かれ、一~五街が「長唄祭り」、六街が「鹿島踊り」、七街が「大名行列・帯まつり」を担当します。そしてそれぞれの行列は、厳しいしきたりに従って寸分たがわぬスケジュールとコース取りで街を練り歩きます。 番組では、祭りの花形の一人で「長唄祭り」の屋台で舞いに挑戦する少女と、その成功を目指して舞台裏を支える人々や、腰の太刀に帯を飾って練り歩く大奴の男性に焦点を当てながら、日本の三大奇祭に数えられる島田大祭の魅力とその秘密に迫ります。

祭り紹介

  • 祭り写真館

島田大祭 帯まつり

3年に1度、3日間開催される「島田大祭帯まつり」は、日本三奇祭の1つに数えられています。平成元年に青年会部長として祭り全体を仕切り、現在は地元、一街(いちがい)の青年たちを支える堀江良則さん(52)に祭りの見どころをお聞きしました。

開催日
寅・巳・申・亥年の10月中旬の3日間
場所・アクセス
静岡県島田市本通及びその周辺
・JR島田駅から徒歩5分
お問い合わせ
島田市観光協会
0547-46-2844

※掲載された情報につきましては、独自に集積したものであり、変更されている場合もあります。
 お出かけの際には各祭りの主催者へのお問い合わせや公式サイトなどで必ずご確認ください。

神様は3年に1度お里帰り
堀江良則さん
堀江良則さん
スタッフ:「島田大祭帯まつり」はどのようなお祭りですか?

堀江:「島田大祭帯まつり」は大井神社のお祭りです。大井神社は、大井川の恵みに感謝し、水害のないことを願って建立されましたが、1276年に大井川の大洪水で社ごと流されました。しかしご神体は下流で拾い上げられ、現在の御仮屋町に祀られました。1789年、大井神社が正式に御仮屋町から大井町に遷座されると、3年に1度、神様がお神輿にのられて、御仮屋(おやすみ)に渡御されることになりました。神様のお里帰りですね。御仮屋へ渡御するお祭りが島田大祭のはじまりと言われています。
なぜ島田大祭に帯なの? page
大奴行列の写真スタッフ:島田大祭の大奴行列では、大奴の左右の木太刀に帯をつけて舞いますが、なぜ大奴と女性の帯というミスマッチがあるのですか?

堀江:過去、島田に嫁に来た新婦は皆、安産祈願のため大井神社に参拝し、引き続き島田宿内へ披露に回るのが常でありました。その後、祭典を機に、嫁入り時に持参してきた帯を、神前に捧げることで披露に代える風習が生じました。そして、元禄年間後期には、山伏の形を模した大奴が祭典の行列を警護するようになり、その下げ緒の代用に帯を披露するようになったとされています。今では、総勢25人衆の大奴が下げる50枚の丸帯が披露されています。
定時運行厳守のお祭りです! page
定時運行厳守のお祭りです!スタッフ:「島田大祭帯まつり」の見どころを教えてください。

堀江:祭りには「街(ガイ)」と呼ばれる町単位で参加します。一街から五街までが屋台、六街が鹿島踊り、七街が大名行列を出します。「街」というのは、1つの国のようなものです。初日と2日目は、1つの街の中に、同時に2つの街の催しものがいてはいけない、というしきたりを守らなければなりません。例えば、六街の鹿島踊りが三街にいる間、他の街の屋台や行列は一切、三街に入ることができないのです。各街の境目には、国境線ともいえる境界線を白線で引いています。街の催しが出入りする際は、同時に入って、同時に出るということをしなければなりません。街への出入りは何時何分という細かいタイムスケジュールが事前に組まれています。そこで、列車のような定時運行厳守のために走り回るのが、各街の青年本部の「伝令係」と「応接係」です。「伝令係」は通信連絡役、「応接係」は外交官です。例えば、一街の屋台がニ街から三街に入る際には、まず、一街の伝令係が、三街の青年本部に行って「今から一街の応接係が参ります」と伝えます。次に一街の「応接係」が三街の青年本部へ行き、「スケジュール通りに入ります」と伝え、三街の青年本部が「わかりました」と許可を出します。そこではじめて、一街の屋台は三街に入ることがでるのです。逆に一街屋台が出た二街青年本部へは同じ手順で「出ました応接」を行います。祭りでは、各街の伝令係、応接係が飛び回っています。
緊迫!カウントダウン!! page
緊迫!カウントダウン!!堀江:1つの境界線ですれ違い、同時にまたぐ場合があります。例えば、2時ちょうどに一街の屋台がニ街を出て三街へ入る、四街の屋台が三街を出て二街へ入るスケジュールだとしましょう。するとその境界線に、二街か三街かどちらかの応接係がいて、「14時1分前!・・30秒前」と時間をカウントダウンするのです。すれ違いでは、屋台の上ではお囃子がいっそう鳴り響くので、賑やかになりますが、屋台を引っ張る綱の先をもってる者は、少しでも境界線から出てはいけないと綱をぐるぐる巻きにもって緊張して待っています。そして14時ちょうどになると、一街と四街の屋台が一斉にすごいスピードで大きく揺れながらすれ違います。迫力があり、これも見所のひとつです。
人間国宝も登場!長唄歌合戦!! page
スタッフ:5つの屋台の催しを教えてください。

堀江:屋台では10才くらいまでの子どもたちが、唄にあわせて踊ります。唄うのは長唄の各流派の家元です。一街では吉住小三郎さん、二街では長唄左門会、三街では芳村伊十郎さん、四街では長唄東音会が、五街では松島庄十郎さんがそれぞれ来られていますね。なぜ一街に吉住派の師匠が来てくださるようになったかというと、江戸時代、島田の宿に当時の吉住小三郎さんがいらした際、お金が底をついて困り、相談したところ、一街のある家が用立てたそうなんです。それが縁で、一街の屋台に吉住小三郎さんが出演、以降3年ごとに毎回、吉住派の師匠が来てくれるようになったのです。江戸時代、芸人さんたちは江戸から京都まで、東海道を行ったり来たりしていたわけですが、大井川で川止めにあってしまうことがしばしばありました。 人間国宝も登場!長唄歌合戦!!何日も留まると、お金もなくなり暇ですから、地元の人に芸を教える事もあったそうです。そんなことから、島田に長唄文化が根付いて祭りに取り入れられたのではないかと思います。1992年の第100回大祭の時には、人間国宝の芳村五郎治さんが唄いに来てくださいました。歩道の脇に座りながら、長唄家元の声を間近で聞けるのも島田大祭の醍醐味です。各町の屋台の長唄を聴き比べていただきたいですね。
衣装はあの「松竹」から借りたもの! page
衣装はあの「松竹」から借りたもの!スタッフ:長唄の家元が唄うとあっては、踊る子どもたちは大変ですね。

堀江:一街では、踊る子どもたちは地元の子たちですが、大特訓をします。 また子どもたちの衣装は、歌舞伎などの舞台を製作する松竹さんから借りています。衣装替えをするとき、糸を一度に抜くと、上に羽織っている着物がサッと落ちて、2曲目用の着物がバッと出てくる。歌舞伎座でやっているような引き抜きも、お見せしています。
5つの屋台すべてが松竹さんからではないのですが、どの屋台でも引き抜きができるような本格衣装をお借りしています。
七街の本陣入り、力入ってます!! page
七街の本陣入り、力入ってます!!スタッフ:3日目の見どころを教えてください。

堀江:初日、2日目は、各街が独立して屋台、大名行列などを披露していますが、3日目はお神輿のお渡りという神事が行われます。先頭は大名行列、次がお神輿、鹿島踊り、そして5台の屋台が続きます。2キロにも及ぶパレードです。
3日目の夕方、七街の大名行列が、本陣入りをします。
大きな通りを幕で遮断し、篝火を焚いて、本陣を作ります。大奴の歩きや、大鳥毛役が30キロもの大鳥毛を投げて受け取るといった行列でのエッセンスを、凝縮して披露します。私も見るたび、「七街、本陣入りにも力を入れてるなぁ」と思いますね。
隠れたオシャレ?豪華な法被!! page
スタッフ:法被(はっぴ)は、各街お揃いのものを着るのですか?

隠れたオシャレ?豪華な法被!!堀江:法被には、実は制服と私服があります。制服の表はそれぞれの街で決められたデザインですが、裏地はリバーシブルになっていて、自分の好きなデザインにしていいのです。街での催し以外のところでは、制服を裏返して着ます。また、まったくの私服を作る人も少なくありません。これにはみなさんお金を使われますね。ちなみに私は昭和52年の祭りの時に、母親がふんぱつして私服を作ってくれました。素材は絹で、表がひょっとこ、裏が雉の図柄で当時30万円かかったと言っていました。中には毎回、新しいデザインの法被を作るほどこだわりを持っている人もいます。面白いデザインの法被を見つけてみてください。
大井川の脅威と恵みが生んだ祭り! page
大井川の脅威と恵みが生んだ祭り!スタッフ:島田の方々は、粋ですね。

堀江:江戸時代、島田は東海道53次の宿場町でかつ大井川の川止めがあり、お金が町に落ちる状況があったのだと思います。粋な法被を着て、一流の長唄を楽んで、踊りも踊るし、豪華な帯も披露する。「島田大祭」は大井川の川止めがもたらした豊かな、いわゆるだんな衆の祭りだと思うのです。
しかし、祭りそのものは大井川の氾濫でご神体が流れたことがきっかけではじまりました。「島田大祭」は大井川の脅威と、恵みが生んだ祭りなのです。


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